怠惰なる銀の女王、その横にいる『コスプレイヤー』が俺。

近衛彼方

第1話 魔王はどこにでも現れる

 自宅でカレーを食べていたら、魔王が現れた。

 魔王だというのは後程判明したことなのだが、状況を端的に説明するとこうなる。


「なんだ、それは。それがここの食事か?」


 六畳の洋室に何の前触れもなく出現した魔王の存在に理解が追いつかず、口を開けたまま固まっている俺からスプーンを奪うと、魔王は食べかけのカレーをパクリと口に運んだ。


「ん……なるほど、美味いではないか。妾の分を新たに用意するがよい」


 そう言って魔王はこたつ机の向かい側にドッカと座り込んだ。






 思考停止したまま余分に炊いていた米と、明日明後日明々後日と四日分の飯になる予定だったカレーをよそって魔王の前に提供する。水と福神漬けも忘れない。


「おお、温めると香りも良くなるのか」

「特製混合スパイスの力だ」


 カレー自体は市販のルーを使っている。しかも甘口。

 だが、仕上げにウスターソース、少量の砂糖、バターを隠し味として追加し、ガラムマサラをベースに好みの配合をしたミックススパイスを掛けてある。

 甘いと思わせておいて突然辛い、味の変化が楽しいカレーだ。

 しかもスパイスを追加で後入れしているので、魔王の言う通り、広くもない部屋にはフレッシュな香辛料の香りが漂っていた。


「辛さが足りないと思ったら、さらに上から掛けてみな。トぶぜ?」


 寝かせたカレー用の味調整スパイスのボトルも出す。カレーを寝かせると美味くなるのはいいが、まろやか、かつ味が均一になってしまう気がする。アクセントが欲しい時に掛ける辛味付けの配合だ。


「ふむ。では後で試させてもらおう」

「そうするといい…………じゃ、ねーよッ!!! カレーの話はどうでもいいんだよ!!!」


 口を回している内に、だんだんと思考が回復してきた。


 なんだこいつは!

 三十代も半ばにして独身を貫く俺の自宅に、いるはずのない存在がどうやって存在してきた!


「急にどうした」

「こっちの台詞だよ!? どこからどうやって入ってきて、お前はどこの誰で、なぜ俺のカレーを食っているんだ!?」

「先にかれーとやらを食べたいのだが。温かい料理が冷めたら不味くなるのはこの世界でも同じだろう?」

「それはそう」


 俺たちはカレーを食べた。


 玉ねぎとチキンのシンプルなカレーだが、結局これが一番好きで美味いカレーだ。調理も簡単で楽だし。

 無心でカレーを食べ、無心で水を飲む。頑張って無心にならなければ安穏とカレーを食えるはずもなかった。


 カラン、と空になった皿にスプーンを転がして、


「さあ、食い終わったぞ。俺の質問に答えてもらおうか」

「待て待て。まだデザートが残っている」

「デザート? あいにくヨーグルトもマンゴープリンも切らしている」


 本場の人間がやってるカレー屋ではよく見かける気がするから挙げてみたが、どうやらそうではないっぽい。


 魔王はチッチッと喉を鳴らして言った。


「このかれーも美味かったが、これよりも芳醇でふくよかな匂いを放つものがあるじゃあないか」

「何のことだ……?」

「気付かないものかね。妾にとって、一番のごちそうはおぬし自身であると」


 俺は魔王の顔を見て、それから未だスプーンで遊んでいる指先を見た。


 魔王は人間で言うところの『傾国の美女』らしき姿をしている。女だ。


 テレビでも滅多にお目に掛かれないレベルで整った、柔らかで親しみを感じる相貌。一粒付いた泣きぼくろが無ければ、美貌から想定される実年齢よりも若すぎる印象だっただろう。

 なだらかにさらさらと揺れる銀色の髪は幽玄な雰囲気を醸す……、神秘的と言っても良かった。

 スプーンをゆらゆらと弄ぶ白い指先は、シルクの手袋もかくやと言わんばかりの滑らかさだ。彩色ミスってないか?


 俺は尋ねた。


「……性的な話か?」

「生殖的な話ではないな。妾たちは自然発生するものだ」

「クソがよ!」


 三十半ばにしてやってきたチャンスかと思ってちょっとウキっちゃったじゃねえか!

 美貌の麗人が一人暮らしの男の家に現れて、「デザートはお前」とか言ってきたらそういう可能性を考えるだろうが!


「そんならどういう話なんだってんだよ!」


 エッチな方に物語が進まない不可思議な現象に出会ってしまった人間の末路というのは、バリエーションがかなり限られている認識だ。


 大体は酷い目にあって、その場だけの出番を終える。

 悲しいながら超常現象に抗う術を持たぬ人間にはどうすることもできないのだ。


 そして今回もまた当たらずとも遠からず――


「妾は“啜り呑む者”と呼ばれておる概念種族の一つ。生きる物に宿る魂を好んでいる」

「突撃お前が晩ごはん、ってこと?」

「それは知らぬが、おぬしがそう思うならそうだ」


 長い間、ブラックとグレーを反復横跳びしている会社で酷使されてきて、最期はこんなワケの分からん女に食われて死ぬのか……。


 それならせめて無駄に貯めてきた金を使いきってから死にたい。

 使う暇が無くて、いくら通帳に金があるのかも分かっていないが、まあそれなりに貯まっているはずだ。


 たまの休みでやる料理のために揃えた調味料やちょっと良いフライパンや包丁ぐらいで溶けていたりはしないだろう。


 クソみたいな仕事はさっさと辞めて、貯金が無くなるまで風俗でも行くのが手っ取り早いか?

 風俗って話には聞くけど行ったことないから気になるんだよな。


 ……目の前の女は、最高級風俗でも滅多にいない美女なのでは?


「なあ」

「急に興奮し始めて、なんじゃ」


 俺の心臓の音が聴こえてんのか。内心バックバクで訊いた。


「魂を食われる前に、情けだと思ってお前と生殖行為させてくれない?」

「構わんが、この身体は人間種を模しておるだけで、妾たちを増やす生殖の機能はないぞ」

「穴が空いてるなら何でもいい!」

「そうか。妾はやり方を知らんから好きにしてよいぞ」


 俺は魔法使いの棒を固く持ち、戦いに赴いた。

 人間と同じ身体をしているならワンチャン分からせ構文が使えるはずだ。

 図らずも生まれた起死回生の一手。


 頼む、最期まで持ってくれよ、俺の玉体!

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