第7話
彼は一息つくと、山羊の顔が刻印された木箱のケースから葉巻を1本取り出し、先端をナイフで切り落としてから火をつけた。
次いでテーブル上のリモコンを手に取りボタンを押し、壁に備え付けてある大型のスクリーンを起動させた。
当時の収容所の様子を前時代の大型映写機が映し出した。
画面上には、まずテロップが流れた。
(ソドムの街のファッションショー)
その後、収容所内のいくつかの都市部の映像が流された。
多彩な色合いと凝ったデザインの布地の
鼻口からのウィルス侵入を防ぐための効果的な対応策として各種メディアは轡の装着を促していた。
地域によっては強硬な措置が取られ義務化になり日常生活の自由がままならなくなった。
また感染防止という触れ込みで無認可の薬物の接種を医療専門家たちがこぞって推奨していた。
メディアを使った子供騙しの映像や情報が思いのほか功を奏し、感染防止策として次から次へと整合性の欠片もない馬鹿げた対応策が行使されていた。
収容所内のすべての媒体が連携して看守の掲げた目標に向かって疾走していた。
報道機関お抱えの裏方の役者も多数動員され、病院内の看護師や患者に扮装した彼らは現状がいかに逼迫した状況であるかをしきりに煽り立てていた。
恐らく平時の倍以上の報酬に喜び勇んで我先にと飛びついたのだろう。
医療従事者、疫学者、政治家、その他の関係者も同じ穴のムジナであることは映像から察することができた。
彼らは轡の装着や薬物接種は医療的な恩恵だけにとどまらず他者に対する思いやりであると定義づけし、人道的、倫理的、道徳的な行為であるとしきりに訴えていた。
それに意義を唱える者は自己中心的な不埒者とレッテル貼りをされるだけにとどまらず、経済的な基盤を人質に取られていた。
至極真っ当な意見を唱える者は仕事を解雇されたり、公共交通機関の利用や店舗への入店を拒否されるといった理不尽な扱いを受けるようになった。
その後も全体主義の大波に呑まれた囚人たちは、前代未聞の無報酬治験者となり妖しい薬液を自ら進んで自身の身体に注入するのだった。
こうして囚人同士の強固な相互監視の定着化と億単位の人体実験を成し遂げ、それをもって計画の第1段階は終了ということになったそうだ。
映像が終わると彼は十八年もののシングルモルトをグラスに注ぎ、再び話し始めた。
「戦争を演出するのは難儀な時代になったが、映像を駆使した大衆操作は電気の供給がある限り安泰だろう。
それにしても囚人どもがいかに無知蒙昧であるか、よく解るドキュメンタリー映画だと思わんかね」
画面を指差し、蔑みの笑みを浮かべながら彼は私に問いかける。
それには答えず、
「この計画にはどのような意図があるのか」
と彼に訊いてみた。
すると彼はこう答えた。
「薬液に仕込んである微生物が世界を一変させることになる、
そいつは深海に生息する無髄生物から採取したDNAを基に、最先端の遺伝子工学で生み出された新種の生命体なのだ」
瞭然としない彼の答えに、
もう少し具体的に、
と質問を重ねる。
彼は少し困ったような表情になり、仕方なしにという風に話し始めた。
「そいつは遺伝子を改変するのだよ」
「別の言い方をすれば新しい人類が誕生するということになる」
と注釈を加えた。
「改変された遺伝子は元通りにならないのか」
という私の質問に、
「ひとつだけある、なんだか分かるかね」
問いかける彼の目は私の心中を探るかのようだ。
首を振る私にこう答えた。
「断食だよ、体内細胞のすべてを入れ換えることで本来の遺伝子に戻ることが可能だが……。」
と言いかけ、グラスの残りを飲み干してから話を続けた。
「すべての細胞組織を復元するには最短でも1ヶ月は掛かるのだ。
その術を知ったところで奴らには無理だな。
飢え死にする恐怖が目の前に立ち塞がるんだよ、そう教示してあるからな。
せいぜいやれて一週間かそこらだろうよ。
こういうところで、1日3食という馬鹿げた通説がジャブのように効いてくるんだよ」
と矢継ぎ早に話した後、目の前の空間に向けて拳でパンチを打つ動作を数回繰り返した。
それ以上の質疑応答は不必要に思われ、その後会談はお開きとなった。
部屋から出て玄関に向かう途中で屋敷の使用人と思しき者とすれ違った。
その時彼の見せた部下を卑下する態度に不快感を覚えた。
言葉は発しなかったが相手の顔も見ず、片手の掌を2回軽く振って野良犬を追い払うかのような所作をしたのだ。
私に対しても幾許かの猜疑心と不信感を抱いているのが表情から垣間見えた。
若すぎる管理人だからか、女だからか、それとも垢抜けない身なりの私を見下していたのか……。
町の中心部までリムジンで送ってもらった。
車から降り立った私に周囲の人々の視線が注がれた。
映画俳優でも降りてくると思ったのだろう。
熱く注がれた視線は期待外れの風貌に瞬く間に散り散りとなった。
無彩色の服に身を包んだ私は極彩色の街には不釣り合いだった。
日が暮れ始めた街には街灯やネオンが一斉に灯り出し、これからが本番だとうそぶいている。
ショーウインドウに飾られた服や指輪やピアスやネックレスなどを眺めながら、お祭りのように電飾が連なる目抜き通りを散策した。
飾られている品々は無用の長物にしか思えないものばかりだった。
不必要としか思えない金属や鉱物を加工した装飾品の数々、派手な色合いとデザインを施した奇抜な服、ヘンテコな形状の鞄、やたらと透けて見える下着の類。
私の世界では日用品や服は政府からすべて支給される。
6種類あるデザインの中から選択することができた。
自分で裁縫した服を着る者もいるが、私は支給品でなんの不満もなかった。
支給品は生地も天然素材が使われており、肌に心地よく馴染み耐久性にも優れているからだ。
心の中で難癖をつけながら歩く私は、思いとは裏腹にショーウィンドウの煌めく明かりに自然と視線が吸い寄せられ、行き交う人々の装いをつぶさに観察しながら浮き足だった眩い歓楽街を夜が更けるまで回遊したのだった。
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