第4話

 私は今、小さな島にいる。

本日現地時間の午前11時46分、収容所内に入った。

滞在期間は半年間、最長2ヶ月の延長は可能とされていた。

その間に6人の看守と面会し現地の視察も兼ねることになる。

 港から程近い場所にある歴代の管理人御用達のホテルに到着した。

チェックインを済ませ、3階のリビングルームがある部屋の中で旅の行程を練っている。

このホテルに泊まるのは2度目だ。

前回はこの島といくつかの国の見学に限られた。

 海沿いに面したこの街は狭い小道と古風な造りの住宅が立ち並び、背後には標高千メートル級の山が聳え、山の裾野は鮮やかな濃緑色に彩られていた。

表向きは観光地として人気の場所でカフェやレストラン、宿泊施設なども充実し、旅の携行品も容易に入手できる。

この島は収容所の中と外を隔てる氷の壁に一番近い場所にあり、外からの派遣職員も常駐していて物資の調達や必須の技能研修なども請け負ってくれる。

派遣職員は島から外へ出ることは許可されておらず、所内常駐の看守と内部監査時の管理人だけが自由に収容所の世界を見回ることができるのだ。

 収容所への往来手段は飛行機か船になる。

船の場合は囚人たちが立ち入る事のできない沖合の領海域で潜水艦と高速艇の乗り換えを行う。

潜水艦は海底近くまで潜水し氷の壁の下をくぐり抜け、あちら側とこちら側の行き来をする。

飛行機の場合は専用の輸送機での行き来となる。

前世紀の看守たちの間で批准された条約によって氷の壁の外側へは許可された軍用機以外は飛ぶことはできない。

その際のパイロット及び乗組員はすべて外の世界の人間だ。

囚人は外の世界に行くことはできないし存在を知る者は誰もいない。

今回私は海側のルートから入った。

 この島はこちら側の世界とあちら側の世界の国境のようなもので、空路にしても海路にしても一旦この街で入所手続きをしなければならない。

本人確認と必要な携行品のための写真撮影や各種の書類にサインをした後、正式に収容所内に入ることが認可される。

島に到着後港の近くにある指定されていた酒場に赴き入所手続きを済ませた。

古びた外観の煉瓦造りの建物だった。

書類申請に関しては杖をついた老紳士が対応してくれた。

数日後に同じ場所で必要なものを受け取る手筈になっている。


 滞在するホテルの部屋には稀にしかお目にかかれない照明器具や調度品が備えつけられていた。

初めて訪れた時は部屋の中にあるものをまじまじと眺め回したものだ。

 任期満了後の看守が手土産に郷里に持ち帰った珍品の数々は、外の世界のフリーマーケットでも入手可能だが出回っている玉数は少なかった。

その上(収容所作業製品)目当ての蒐集家に買い漁られてしまうため、向こうの世界で目にする機会はほとんどない。

街全体がマニアには垂涎ものの宝物で溢れかえり、まるで異世界テーマパークか巨大な蚤の市の様相だ。

前回は先輩看守の手前、実直な見習い研修生という役柄に徹した。

あの時は好きなように街中を見学できなかった。

大きな声では言えないが今回は邪魔者はいなかった。

心ゆくまで物見遊山をさせてもらうつもりだ。

 だがその前にやらなくてはいけないことがあった。

2週間かけて必須の技能訓練を行うことになっていた。

 

 滞在3日目の正午に、初日に訪れた古びた外観の酒場に徒歩で向かった。

常駐派遣員である店の主人と出発前の詳細な打ち合わせをする事になっていた。

店の前に着くと、Closed(閉店中)の板切れが入口の扉に掲げてあった。

約束の時間ちょうどにギィという音と共に色褪せた木製の扉が開いた。

「だいたい揃ったよ」

と彼は言い、私を店の中に招き入れた。

 店内は経年劣化の味わいを醸しているテーブルや椅子がきちんと並べられており、同じく年代物の店主に良く似合っていた。

壁に掛かけてある風景画やモノクロームの写真なども不思議と懐かしさを感じてしまうのだった。

何か飲むか、と訊かれた私は温かい紅茶を頼んだ。

今後必要となるものがテーブルに置かれていた。

パスポートにクレジットカードが6枚、携帯電話が2台、ノートパソコン、高額紙幣の札束が5つ。

パスポートの中身を確認すると名前は偽名になっており、性別は女、年齢は21歳と記載されていた。

管理人に女性が採用されたの今回が初めてだということだった。

それに加えて若齢ということもあって就任直後はその話で持ちきりだった。

国籍はここから遠く離れた国の名前になっていた。

その国には収容所の管制塔とも呼ばれている名高い研究所があり、今回の訪問先のひとつでもあった。

 目の前に座った彼はゆっくりと慇懃な口調で話し始めた。

明日から車の教習所に通ってほしい、

と言い、地図と住所を書いたメモを私に手渡した。

できるだけ街を散策してほしい、

こっちの世界に早く慣れるだろうから、

と言い、窓の外を指差した。

次いで、

必要とあらば、プライペートジェットでも輸送ヘリでも即座に手配が可能である事を告げ、

銃器も同様だ、

いつでも、どこでもね、

と悪戯っぽい笑顔を作り、左目で軽くウィンクした。

帰り際に店先まで見送ってくれた彼は、

右手に持った杖でトントンと足下の地面を2回小突き、

「悪くないよ、こっちの生活も」

と言って、穏やかな笑みを浮かべながら別れ際に手を振った。

 私は、この世界の車を運転したことがなかった。

操作マニュアルに目を通してみたもののドーナツ型のハンドルや足で踏んで操作するブレーキペダル、スピード調整ペダル、他にも変速ギアなどが付いていて少々難解そうだ。

 他にも知らないことがたくさんあった。

パスポートと携帯電話以外は初めて扱う代物だ。

現金の使い方、ATMの操作方法、公共交通機関の利用方法、ガソリンの入れ方まで、挙げ出したらキリがない。

この2週間で移動の際に必要なことはすべて覚えなければならなかった。

 窓の外を見渡すと港に係留された小さな帆船が一日の終幕を彩る桃皮色に染まり、海鳥がその周りを飛んでいるのが見えた。

次第にくっきりし始めた海岸通りに連なる紅白の車燈に見惚れながら、小さな緑の硝子瓶に入ったビールを飲んだ。

 

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