憧れのマイホーム、軌道エレベーター付き。

古野ジョン

憧れのマイホーム、軌道エレベーター付き。

「では、こちらの通りに進めてまいりますので」

「はい、お願いします」


 カウンターの向こうに座った社員が書類にささっとペンを走らせる。俺は手元に置かれた湯飲みを取り、すっかり人肌くらいに冷めてしまったお茶を飲みほした。この度めでたくマイホームを建てることになり、今日は図面の最終確認をするために工務店を訪れている。せっかくだからといろいろ注文をつけたので、ハンコを押す書類が多くなってしまった。


「最後になりますが、他にご希望などございますか?」

「そうですねえ……」


 社員に促され、改めて図面を眺めた。コンセントの位置、風呂とトイレの構造、台所の広さ。どれも文句ない。特にこだわったのがホームエレベーターだ。完成後の家には妻に加えて俺の両親も住むことになっている。二人とも膝を痛めて階段の上り下りが大変だというので、奮発してホームエレベーターを取り付けることにしたというわけだ。


 ここでふと、くだらないことを思いついてしまった。かつて空想科学小説に胸を躍らせた少年時代の記憶が蘇ったのかもしれない。それとも、建設開始に向けて緊張しているであろう自らの心を和ませようとしたのかもしれない。まるで「トイレに手すりを」とでも言うような感じで、俺は何気なく口を開いた。


「このエレベーター、軌道エレベーターに出来ますか?」

「出来ますよ」

「出来るんだ」


***


 会社から帰ってきた俺は、エンジンを止めて車から降り、歩を進める。門扉から玄関までの道は石畳にしてあり、見た目にも美しい。やはりローンを組んで新築してよかった。このこだわりのマイホームを眺めていれば、あと数十年は続く会社員としての前途にもいくらか希望が見えるというもの。色を吟味した外壁、昼寝も出来るウッドデッキ、芝生が敷かれた広い庭。そして――瓦屋根を突き抜け、天高く伸びる黒い四角柱。


「……」


 異様な光景だが、見慣れてしまえばどうということはない。……ということはなく、今でも帰宅するたびにビビっている自分がいる。どうして俺の家から上空10万キロメートルに伸びる塔が立っているのか、完成して数か月が経った今でも理解が追い付かないままだった。はあと息をついて、気持ちを落ち着かせてから、玄関の扉を開いた。


「ただいま」

「おかえりなさーい」


 車のエンジン音で帰宅に気づいていたようで、妻が迎えに来てくれていた。鞄と上着を預け、床に腰かけて安物の革靴を脱ぐ。


「ごはん、もう出来てるけど」

「じゃあ食べるよ」

「はーい」


 妻はとてとてと足音を響かせ、居間の方へと歩いていった。ちなみに床もこだわりのフローリングだ。いったん二階の自室で着替えようと思い、件のホームエレベーターに向かう。は一階にいたようで、呼び出しボタンを押すと直ちにドアが開く。そっと乗り込み、行先ボタンを眺め――再びはあと息をついた。


 下から順に、一階、二階と書いてあるところまでは良い。だがその先が問題だ。二階の次にあるのが「静止軌道」で、一番最後にあるのが「カウンターウエイト」となっている。ちなみにカウンターウエイトというのはつり合いをとる重りのことで、軌道エレベーターの最先端についているものだ。どちらにせよ、ホームエレベーターにあるボタンにしては不自然すぎる。


「……」


 考えるのをやめて、「二階」のボタンを押した。ちなみに「静止軌道」と「カウンターウエイト」のボタンは押したことがない。理由は単純。クローゼットに宇宙服など入っていないのだ……。


***


「いただきまーす」

「いただきます!」


 両手を合わせた後、目の前に置かれた箸を手に取った。ごはんと味噌汁、鯖の味噌煮、ほうれんそうのおひたし。一汁二菜である。俺の気持ちを感じ取ったのか、妻がむっとしてこちらを睨んだ。


「……不満なの?」

「いや、別に」

「もー、あなたが軌道エレベーターなんかつけるからでしょ!」

「わ、分かってるよ」

「全くもうっ、4000万円で済むはずが4050万円になるなんて!」


 それくらいは誤差だろ、と言いたい気持ちを抑えて左手に茶碗を持った。妻曰く、俺の余計なこだわりで家計が圧迫されたので、晩飯のおかずを減らして食費削減をしているとのことだ。はっきり言って、この妻と結婚したのは失敗だと思う。


 別に二日連続で味噌汁が出汁無しだったり、喉が焼けそうなほどおひたしがしょっぱかったり、白飯がおかゆぐらい柔らかかったりすることを不満に思っているわけではない。……軌道エレベーターが中古自動車並みの価格で完成したことに対し、何の違和感も抱かないほど鈍感な人間だと思わなかったのだ!


「そういえば、ご近所さんから苦情が来たの」

「へえ、何?」

「うちのエレベーターによく鳥が激突していて可哀想だって。鳥よけグッズとか買った方がいいのかな」

「ま、まかせるよ」


 ご近所さんも苦情を入れるポイントを間違っていると思う。こんな馬鹿みたいなホームエレベーターのせいで、うちの近所はさながら巨大な日時計と化したのだ。日照権とかなんとか権とかで訴えられれば我が家の敗北は必至である。幸いにして今まで裁判所からのラブレターは届いていないが、JAXAやNASAのあたりからも届いていないのはどういうことだろうか。俺が既婚者だから遠慮しているのかな。そんなわけないか……。


「……でね、聞いてる?」

「えっ、何?」

「だから、パートでも始めようかなって!」


 考え事をしていたら、妻が何やら大事そうな話を始めたことに気が付かなかった。どうやら我が家の経済状況を憂いて働きに出るつもりらしい。それ自体は結構なことだが、50万円の軌道エレベーターを無批判に受け入れる金銭感覚で労働なんかして大丈夫だろうか。


「パートって言ったって、何するの?」

「んー、スーパーとかがいいかなって思ったんだけど。お義父さんたちのこともあるし、家にいた方がいいかなって」

「そうだなあ……」


 妻は両親の眠る寝室の方に顔を向けた。ちなみに両親は一階の和室で寝るようになったので、あまり二階に上ることはない。要するに我が家のホームエレベーターは無用の長物も同然なのである。はっきり言って、ぬかった。10万キロの置き物。たぶん将来の子孫に馬鹿にされると思う。おっと、今は妻のパートの話だ。


「じゃあ家で出来る仕事ってこと?」

「うん、だからネットで探してみてるの。でもなかなか見つからなくて……」

「あまり無理しないようにな。ごちそうさま」

「あっ、お風呂も沸いてるから入っちゃってね」

「はいよ」


 自分の食器を両手に持ち、広々とした台所へと向かう。ビルトインの食洗器を開き、皿と器を放り込んだ。あのデカブツ以外は完璧な家なんだけどなあ。思いつきで軌道エレベーターを作ったことを後悔しながら台所を出て、脱衣場へと向かう。疲れていたのでさっさと服を脱いでしまった。折り畳み式のドアを開くと、これまた美しい檜の浴槽。かけ湯をするや否や、ドボンと音を立ててお湯に浸かった。


「ふう……」


 鼻から檜独特の匂いを感じる。ああ、本当に良い家だ。ローンを組んで良かったな……などと思えたらどんなに良かったことか。今や檜の匂いを嗅ぐと軌道エレベーターのことを思い出す体になってしまった。工務店の棟梁曰く、あのエレベーターには「檜から丹念に削り出したカーボンナノチューブ」が練りこまれているらしい。かんなを片手に自信満々で語ってくれたが、個人的には早くその魔法の道具を理化学研究所かどこかに提供して欲しいと思っている。人類史が変わるぞ、マジで。


 風呂で体を温めた後、居間で妻とテレビを観るなどしていたのだが、互いに眠くなってきたので就寝することにした。俺たち夫婦の部屋は二階にあるので、二人で居間を出て階段へと向かう。途中、エレベーターの前を通るのだが、その時に俺はあることを妻に尋ねた。


「なあ、お前は『静止軌道』とか行ったことあるか?」

「えっ? ないよ」

「ないの?」

「だって行く用事がないじゃない。もー、あなただって行ったことないくせに」


 まるで無駄な健康グッズを買って一度も使わない夫を批難するような口ぶりである。いや、妻の指摘はもっともではある。もっともではあるがそうじゃない。もっと重要なツッコミどころがあると思うのだが、それを言っても仕方ないだろう。


「そうだな、悪い悪い。でも、せっかくなら有効活用したいよな」

「有効活用ねえ……」


 妻は手を口に当て、何か考えているようだった。とはいっても、単なる会社員と専業主婦が宇宙に行ってもなあ。そもそも「静止軌道」やら「カウンターウエイト」やらの降り場の構造すら分からないのだ。工務店も「宇宙に行けますよ」としか説明してくれなかったし。かごを降りたらそこは真空の宇宙、なんてジョークでは済まない。


「考えてもアレだし、今日は寝るか」

「……」

「どうした?」

「んーん、なんでもない……」


 妻はさっきよりも深く考え込んでいるようだ。どうしたのかな。不思議に思いつつ、自室に向かって階段を上っていった俺であった。


***


「ただいまー」

「おかえりなさい!」


 マイホームに住み始めて半年が経った。今日も仕事を終え、いつも通りに玄関で迎えられる。


「ごはん出来てるからね」

「分かった、これを上に置いてからな」


 妻が居間の方へと戻っていったのを見送りつつ、俺は大きい段ボール箱を抱えたまま家に上がる。職場から荷物を持ち帰ってきたのだが、これを自室に運び入れる必要があるのだ。そうだ、こういうときのためのホームエレベーターだよな。乗り場に向かい、呼び出しボタンを押す。


「……ん?」


 違和感を覚え、思わず声を上げた。なんだかいつまで経ってもかごが来ない。二階にいるときでも、呼び出せばすぐに来てくれるのに。おかしいな。


「ねー、ごはん食べないのー?」

「い、今行くー!」


 妻が急かしてくるので、仕方なく段ボール箱を乗り場の前に置き、居間の方へと向かった。とりあえず、荷物はあとで上に運ぶことにしよう。腹も減ったし、夕飯を食べるのが先だな。


 食卓についた。いつも通りの一汁二菜。今日の白飯はなんだかガッチガチに固まっている。炊飯器をどう設定すればこうなるのか知りたいが、飯を作ってもらっている以上文句は言えない。などと思っていると、妻が台所からお盆を持ってやってきた。


「はい、これ」

「えっ……?」


 妻が盆から寄越したのは、温玉乗せおひたしの入った器。そう、三品目のおかずである。おかしいな、ローンはあと三十年残っているはずなんだけど。


「どうしたの?」

「あれ、言わなかったっけ? 私、働き始めたの」

「ああ、なるほど」


 前に言っていたパートか。家で出来る仕事を――なんて言っていたけど、無事に見つかったわけだな。それで我が家の食卓に一汁三菜が戻ったというわけか。良かった良かった。


「じゃ、いただきます」

「いただきます!」


 両手を合わせ、箸を手に取る。それにしても、家計がいくらか楽になるようで何よりだ。在宅で出来る仕事ってなんだろうな。まあ今はネット全盛の時代だし、そういう仕事はなんでもあるのだろう。


「で、そのパートはどうなんだ?」

「すっごい順調なの! なんかいっぱい儲かっちゃって!」

「へ、へえ」


 怪しいバイトじゃないだろうな。軌道エレベーターより50万円の無駄遣いを責める妻のことだ、とんでもない仕事を見つけたのかもしれない。怖くなったので詳細を聞くことはせず、別のことに話題を逸らそうと試みる。ああ、そういえば明日はゴミ捨て場の掃除当番だ。町内会で持ち回りだから、しっかりやらないと。


「明日の掃除、何時くらいに行こうか?」

「ああそれ、無くなったよ?」

「どこかの家に代わってもらったのか?」

「んーん、ゴミ捨て場が無くなったの」

「はっ?」


 妻の意外な返事に戸惑う。「無くなった」ってなんだ? ゴミ捨て場が不要になることなんてあるのか? なぜ?


「ゴミ捨て場が無かったら、うちの町内会はどこにゴミを捨てればいいんだよ」

「うちだよ」

「うち……ってどういうこと?」

「今週からね、町内会のゴミはうちで引き受けることにしたの。お金はちゃんと貰ってるよ」

「はっ?」


 理解が追い付かない。我が家はいつからごみ処理場になったんだ。10万キロのエレベーターは建てたが、焼却炉とか埋め立て場とかを作った記憶はない。夢のマイホームであって夢の島ではないからな。


「どういうこと?」

「あのエレベーター、有効活用しようって言ったのはあなたでしょ!」

「えっ?」

「説明するね」


 妻は箸を一本だけ持ち、温玉乗せおひたしの入った器を引き寄せた。


「まずね、あのエレベーターにゴミを載せるでしょ?」

「ああ」

「そしたらね、『カウンターウエイト』のボタンを押すの!」

「はっ?」

「私はそこで降りる。ゴミだけ宇宙まで行くの」

「で、どうなるんだ?」


 俺が疑問に思っていると、妻はふふんと胸を張った。そして箸で温玉をつつき、中の黄身を垂れ流したのである。


「ほら、こんな感じでゴミが空気と一緒に宇宙に吸い出されるの! そしたらあとは空のかごがうちまで戻ってくるってわけ! 私って賢いと思わない?」


 口をあんぐり開けていると、妻はあざとく顔を傾けた。……なるほど、それは思いつかなかった。どうやら金銭感覚と工学のセンスは相関しないらしい。この妻と結婚したのは案外失敗ではなかったかもしれないな。


「あっ、もしかして早速宇宙に行ってるのか?」

「そう! さっき初めてやってみたの!」

「そうかあ、うまくいくといいなあ」


 道理でさっき呼び出してもかごが来なかったわけか。少なくとも50万円はこの商売で回収出来そうだな。ホームエレベーターを普段使いしにくくなるが、無用の長物よりはよっぽどいいだろう。


「かご、いつ戻って来るんだろうな」

「せっかくだから見に行ってみる?」

「そうだな」


 俺たちは席を立ち、エレベーター乗り場へと向かった。耳を澄ませてみるとゴワンゴワンという動作音がする。お、ちょうどよく帰ってきたみたいだな。


「うまく吸い出されているといいな」

「うん!」


 妻もワクワクした目で待っていた。まさか人類で初めて軌道エレベーターを商用利用することになるとは思わなかった。棟梁、ありがとう。檜で作った意味はよく分からないけど。などと思っているうちに、かごの下端が乗り場ドアのガラスからのぞき見えた。


「あっ、来た――」

「ほんとだ――」


 その瞬間、俺たち夫婦はほぼ同時に目を見開いた。間もなくかごが到着し、ドアが開く。その中にいたのは――昔に読んだ空想科学小説に出てきた、タコ型の宇宙人だったのだ。人ならざる皮膚の質感に、ぎょろっと見開いた不気味な目。……乗ってきちゃったの?


「えっと、その……」


 俺はタコと向き合い、しどろもどろに言葉を紡ごうとする。どうしよう、タコとの話し方なんて勉強したことがない。この宇宙時代、英検よりもタコ検だな……などと混乱のあまり訳の分からないことを思考していると、隣の妻がずいっと前に出た。眉を吊り上げてすごい剣幕だ。おっ、追い払ってくれるのか。流石――


「玄関以外から他人の家に上がるなんて失礼じゃないですか!? 出直してください!!」


 あのな、そうじゃない。そうじゃないんだよ。……やっぱり、この妻と結婚したのは失敗だと思った。

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憧れのマイホーム、軌道エレベーター付き。 古野ジョン @johnfuruno

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