トリカゴの哀歌

刻壁クロウ

プロローグ


 僕達はいつだって現実を拒んでいた。

 泣きたいくらいにいつも通りの灰空が鉄柵の向こうを覆い隠し、排気瓦斯と腐乱臭が平然と町中に広がっている。いつだったか、友人と二人で目を輝かせて読んだ図鑑では空は深い青色をしていた筈なのに。

 だけど灰色の空から僅かに光を落とす太陽が昇る朝が何度やって来ても、僕達はその美しい青色を見ることはできなかった。

 そうして幾度も灰色に滲む太陽が昇っては墜ちて行く。何度目の朝を迎えた頃だろうか、夜を追いかけるのも朝を待つのにも飽きて、一秒後の自分を想像することだけに疲れた僕の目の前で。理想の空だけを見ていたいと、灰色から目を背けた僕の前で。


 君が、死んでいた。


 悲しい、とは思わなかった。悲しい、とは思えなかった。ただ、眠っているだけのように思えて。ただ、鼓動がたまたま聞こえないだけのように思えて。

 違和感を感じなくて、そこに現実味がなくて、僕が友人の死を理解するまでには数ヶ月の時を要した。幾度も朝日が昇り、漸く理解した頃にはきっと友人だった物の肉体は中身から腐り切っていただろう。

 それでも僕は彼がいつ死んだのか、全く気付けなかった。鴉に突かれても振り払おうとしない彼を見てやっと「嗚呼、死んだのだな」と漠然と認識した。その訳は。

 この町だ。

 友人の屍から薫る死臭さえ紛れる退廃した町。大通りさえも崩れた家の瓦礫や動物の死骸に溢れ、汚泥と屎尿の混ざり合う鼠色の川が白い泡を立てながら表面を凍り付かせては水流でその凍結を破壊する歪な流れを作っている。

 不衛生で不潔極まりないこの町で、僕達民衆は生きる事を強いられるのだ。

 それしか、僕達に生き残る方法はないから。


 この世界は、鳥籠の中。それは比喩ではなく、本当のこと。人間が作り出した鉄柵の向こうには人間の技術力の及ばぬ未知の世界が在る。

 しかし鳥籠の中に閉じ籠った僕達は徐々に数を減らし、絶滅寸前まで追い込まれていた。

 世界人口は約二千八百人。その内、二千六百人の民が飢え、生きているのか死んでいるのかも分からないような過酷な環境下で暮らしている。

 政府から与えられた町で暮らす民衆は、己の家すら所有していない。ただ雨露を凌ぐ屋根が有ればそれで良いとそこに住む民達はその日一番近くにあった家屋の中で見知らぬ人間と奪い合うように雑魚寝して、翌日には誰かが息を絶やしている。勿論僕達もその生活を余儀なくされた。

 人が死ぬことなどさして珍しくはない。飢えて死ぬ者、食糧を奪う為に殺された者、瓦礫の下敷きになって死んだ者。この町では、三歩歩けば当然死体に行き当たる。そしてこの世界に、この世界に生きる民衆に、そうして死んだ者達を弔う余裕などない。屍肉が放つ悪臭すらも不快に感じない程に、僕らはこの町で生きる理不尽に慣れてしまっていた。

 だから、友を失っても僕は。


 僕は、誓った。


 この町から出よう。

 この世界から出よう。

 この檻の向こうへ、鳥籠の向こうへ。そこに何が在るのかは分からない。だけど狭い鳥籠の中に詰め込まれた僕らは、いつかきっと生きる理由を忘れて腐って行くだろう。

 ならば、探しに行こう。生きる理由を。この理不尽に抗う術を。この世界の条理を覆す希望を。


 否、希望なんてなくたって良い。

 僕は外に出よう。そうして……。


 いつか友人の死に涙を流せるように、なりたい。

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