第27話


 【結婚】に続いて、【好き】というワードが飛び出して、しかも、それが俺に向けられたものだという事実に、胸が多幸感で熱くなった。


 自然とまぶたが上がって、曇りガラスが晴れるように、世界が、そして桜月の美貌が鮮明に見える。


 ――桜月が、俺のことを好き。じゃあ……。


「だって、キミはコナタの大事なワンコ君だから」


 ――え……ワンコ……?


 心臓が抜け落ちるような絶望感に、俺は頭の芯まで冷え切ったように感じた。


   ◆


 辰馬との決闘からしばらく経った夕方の六時。


 姫様に呼び出された俺と桜月は、ホテルのVIPルームを目指して、廊下を歩いていた。


 まだホテルの内装は把握していないけれど、耳の裏に取り付けたデバイスが、矢印のMR映像で、VIPルームの場所を示してくれるので、迷うことはなかった。


「帝宮神楽だっけ? 夕食時に何の用だろ? キミに勲章でもくれるのかな?」

「ど、どうだろう、な……」


 軽快な足取りの桜月とは対照的に、俺の足取りは重く、気持ちは暗かった。

 桜月は、俺のことを大事なワンコ君と呼んだ。


 つまり、彼女にとって俺は、異性ではなく、可愛いペットのようなものなのだろうか?


 いや、それが妥当だろう。

 彼女の正体は気になるも、普通に考えれば想像がつく。

 十七歳で少将で、戦力的にも物理的にも一人軍隊で、絶世の美少女。


 きっと、桜月は高級軍人の娘か何かだろう。


 早くに父親を亡くしたことで、父の跡を継ぐ形で軍へ入隊した、超キャリアエリート。


 天才的な実力も相まって、少将までトントン拍子に出世した名家の御令嬢。

 彼女からすれば、俺みたいな下々の下民の男なんて、それこそ、ちょっと魔力をあげただけでキャンキャン喜んでいる犬みたいなものだ。


 彼女には、お似合いの名家の御子息が婿候補として何人もいるだろうし、むしろ、すでに婚約者がいて然るべきだ。


 そこまで想像すると、だんだん、身分違いの恋をしていた自分が恥ずかしくなってくる。


 つまり、さっきの俺の告白は、一介の男子高校生が、人気アイドルや大企業の社長令嬢、はたまた一国の姫様相手に交際を申し込んだようなものだ。

 世界一の勘違い野郎とは、俺のことだ。


「あ、ここがそうみたい」


 桜月の背中が立ち止まり顔を上げると、ガラス製のドアの上には【VIP】というプレートが設えられていた。


 【桐生朝俊 都城桜月 ご招待】というMR映像も表示されている。


 桜月がガラスのドアを押し開ける。彼女の背中に続く形でVIPルームへ入ると、高級感溢れる室内に、つい視線が走った。


 落ち着きのある紺色の絨毯の上に、白いクロスで覆われたテーブルに、革を張ったウッドチェア。


 壁は大理石で、天井にはシャンデリア的なものが輝いている。

 的なもの、というのは、俺が本物のシャンデリアを知らないからだ。


 庶民の俺は、とりあえず、天井の豪華な照明は、全部シャンデリアだと思っている。


 テーブルには、すでに人間国の姫、帝宮神楽が着席していた。


 相変わらず、姫というよりも、ラノベのタイトルによく使われる戦姫(せんき)という表現のほうがしっくりとくる居ずまいだ。


「二人とも、よく来てくれたな。さぁ、堅苦しい挨拶は省いて、席についてくれたまえ」


 少し緊張する俺とは違い、姫様は自然体だった。そして、桜月も。


 桜月が慣れた手つきで、俺がおそるおそる椅子を引いて腰を下ろすと、姫様の侍女と思われる女性たちが、俺らの前に料理を運んできた。


 なんとかの海鮮サラダとか、ウミガメのなんとかスープだとか、鹿肉の赤ワイン煮込みだとか、色々と説明していたけど、半分も頭に入ってこない。


「今宵は、桐生曹長の武功の労いと、都城司令を歓迎するために一席設けた。テーブルマナーなど気にせず、好きに食べてくれ」

「そ、じゃあ遠慮なく」


 とは言うものの、桜月のナイフやフォーク、スプーンの使い方は堂に入っていた。


 ――桜月って、やっぱり、育ちがいいんだな……。


 自分との差を感じて、料理の味なんて、よくわからなかった。


「桐生朝俊曹長、貴君には感謝している。よくぞレヴナント幹部の一角、魔道師ネグロを討ってくれた。これは、連敗を喫していた人類軍初の快挙だ」


「いえ、俺、私は、こちらの都城少将の眷属となり、魔力と魔法神経を共有させてもらっただけです」


「それでもだよ。貴君の成し遂げた功績なら、中尉や大尉、いや、少佐に昇格しても安いぐらいだ」


 ――俺が少佐!?


 軍における上下関係は絶対だ。階級が一つ違えば、人と猿ほども違うと言われている。


 特に、少尉や中尉、大尉などの尉官、少佐や中佐、大佐などの左官のことは士官と呼ばれ、雲の上の存在だ。


 俺は軍事高校に通って、ようやく一年経ったぐらいだけど、階級の重みは、骨髄に叩き込まれてきた。


 ――まあ、なら士官の上、将軍職の桜月にタメ口はどうなんだって話だけど……。


 でも、彼女はそういうことを気にしないと言うか、敬語なんて使ったら、逆に文句を言いそうだ。


「だが許してくれ。貴君も知っているだろうが、曹長以下の下士官と違い、少尉以上の士官はいわば【幹部軍人】。何人もの部下を率いて指揮統制をする立場だ。そのためには武功だけではなく、豊富な現場の経験が必要だ。何よりも、初陣数日の少年兵を幹部に引き上げれば、どれほどの嫉妬を買うかわからん」


 姫様は口調は凛々しく、けれど声音は穏やかに、申し訳なく頼み込むような話し方だった。


「いずれ、然るべき日が来れば、必ず士官へと引き上げる。だから、今しばらくは士官の身に甘んじて欲しい」


 頭は下げずに言い切った。でもそれでいい。ネットの王室アンチなら、間違いなく叩くだろうけど、俺はそうは思わない。


 むしろ、一国の姫が一介の少年兵に頭まで下げたら、王室の体面に瑕がつく。難しい言葉で言えば、この程度で頭をさげては鼎の軽重が問われる、というやつだ。


「いえそんな、不服なんてありません。むしろ曹長でも貰いすぎ、いや、私には勿体ないぐらいです!」


「そう言ってくれると、私も胸が軽くなるよ」


 桜月並に重そうな胸を張って、姫様は品よく微笑んだ。


 ――あの胸、何キロあるんだろう……。


「代わりというわけではないが、ネグロを討伐した報奨金として、一千万円を軍で用意した貴君の個人口座に振り込もう」


「一千万!? いや、それこそ貰い過ぎではないでしょうか?」

「ネグロには、一両十億円の戦車や一機八〇億円の戦闘機を幾つも撃墜されている。今後、ネグロに撃墜されるはずだった兵器の損害を防げたと考えれば、それこそ安すぎるぐらいだよ。貴君も知っているだろう? 我々が、レヴナントにどれほどの辛酸をなめさせられてきたか」


「……はい」


 姫様の声が硬くなり、俺も身が引き締まる思いだった。

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