第3話 スーパースター、石黒裕一との出会い
このスター俳優、石黒裕一との出会いも一色彩にとっては印象的なものであった。
彼と初めて出会ったのは、撮影所の昼休み、食堂の中だった。その時、一色彩はデビュー作の撮影に臨んでいた。彼女は一七歳の時に映画会社のニューフェイスに合格し、高校卒業と同時に入社した後、半年の養成期間を経て女優の卵となったばかりだった。芸名を漸く一色彩と名付けて貰ったところだった。
プロデューサーに連れられて食堂へ入って来た裕一は、昼食を摂っている著名な監督
や俳優やスタッフ達に一人一人引き合わされて挨拶をしていた。
「今度うちに入った石黒裕一君だ、みんな宜しく頼むよ」
相手の誰もが無礼と言っても過言でないような態度を軽く繰り返す中で、一人一人丁寧に腰を折り、頭を下げて回っていた。それも阿ることも無く媚びることも無くごく自然な振る舞いで・・・。
一色彩は眼を見張った。彼は異常に背が高かった。彼女がそれまで見たことも無いほどに高かった。確実に顔一つ抜け出ていた。背が高いだけでなく脚が長かった。日本人には見慣れない身体つきだった。それに彼の居る処だけ空気の色が違うようだった。ブルーのジーンズに白いシャツを羽織っていたが、その夏色の所為だけでなく、彼の輝きがその場の色を変えているように彩には見えた。
歳の頃は二十二、三歳、未だ学生かな、と思った。
つと、一人のベテランカメラマンが立ち上がってシャッターを切った。そしてプロデューサーに言った。
「藤さん、覗いてごらんよ。フレームの向こうに阪妻が居るよ」
阪東妻三郎、日本映画の名優「阪妻」。「無法松の一生」や「王将」、「破れ太鼓」や「魔像」などと言った名画に主演した不世出の俳優・・・一色彩も無論、名前を知っていたし映画を観たこともあった。あんな凄い俳優と通じるものが在るんだ・・・彼はきっとスターになるわ・・・彼女は確信に近い思いを抱いた。私も速く一人前の女優になってあの人と共演したい・・・その思いがそれからの彼女を支え続けることになった。
石黒裕一は半年後、僅か二十日足らずで撮り上げられたプログラム・ピクチャーで主役を演じて銀幕デビューを飾り、その乾いた感性が若者に受けて、直ぐに二作目が企画される程に反響を呼んだ。彼は文芸作品からアクションものまで、毎月一本のペースで映画出演を続け、あれよ、あれよ、という間にスターダムにのし上がった。
或る時、一色彩はメーキャップ室で裕一と顔を合わせた。
「可愛いね、名前は何て言うの?」
「一色彩です、宜しくお願いします」
「うん、此方こそ、宜しく。歳は幾つ?」
「十九歳です」
「ああ、未だ若いんだ」
メーキャップが終わった後、若いメークさんに向かって片眼を瞑り、サンキュウー、と言って出て行った。出口付近で振り返り、彩にも「お先に」と片手を振った。
「うん、もう・・・これだから参っちゃうのよ!」
若いメークさんが掌を胸の前に組んで痺れた声を出した。
裕一は品の良さと不良性を合わせ備え、若者の男性に圧倒的に支持された。
彼には絶大な存在感が在った。何をやっても、素でも演じても石黒裕一であった。彼の存在そのものが役柄を越えていた。スクリーンの中でどんなセリフを吐いてもどんな動きをしても石黒裕一そのものであった。ファンは忽ち其処に魅せられた。
系列映画館の興行主から彼の主演する映画が熱望され、デビュー三年目の正月に封切られたアクション映画で大ブレークした裕一は、単なるスターではなく時代そのものだとまで評される程になった。
一色彩も裕一の相手役に抜擢されるのにそれほど時間はかからなかった。その美貌は裕一の相手役に将に相応しく、他のどの女優よりも客の入りが良くて、会社は次々と二人の共演映画を製作した。映画雑誌の人気投票で共に一位となった二人は将に会社のドル箱コンビとなったのである。
嶋木譲二の監督デビューもこの石黒裕一主演の作品であったし、その後、一色彩との仕事も次第に増えて行き、嶋木、裕一、彩のトリオによるプログラム・ピクチャーは興行収入も好調で、その後、数多く製作されることになった。
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