第18話 ブーレット

 それぞれ風呂に入ってから一休みしたら、日が大分傾いていた。


 本来なら午前中に帰ってきて昼食で食べるはずのBoulette Sauce Tomate(ミートボールのトマト煮込み)は、色々あって夕食になってしまった。


 キッチンには光の魔鉱石のランプが灯り、セドリックは調理コートを着て食材を並べていた。


「そろそろ始めるぞ」


 アデルが来たのに気づいたので、セドリックは振り向きもせずに告げた。


 ミートボールはセドリックが、トマトソースはアデルが担当し、それぞれ必要な食材を取る。


 ワークトップではセドリック、キッチンカウンターのような小さなテーブルでアデルが作業を始める。


 トマトを湯むきするので、十字の切れ込みを入れてから鍋に入れ、被るくらいの水を足して火にかける。


 その間に、にんにくをみじん切りにする。


 セドリックは玉ねぎのみじん切りを終え、半分量をアデルに渡して寄越した。


 アデルもにんにくを分け与える。


 鍋にかけたトマトの皮が切り込みを入れた所から剥けてきたので、火を止め、水を張ったボウルの中で皮を剥がす。


 セドリックは、合挽き肉、玉ねぎ、にんにく、ビールに浸したパン粉、卵黄、塩胡椒をボウルに入れて混ぜ合わせる。


「顔見せだけでもいいとは言っていましたが、やはり何人かとは踊らないといけませんよね」

 剥き終わったトマトを包丁でさいの目切りにしながらアデルは問いかけた。


「うん、まあ、そうだろうな」

 捏ねた肉だねを整形し、油を敷いたフライパンの中に入れながら返ってきた。


「お前は大丈夫なのか?」

「誰に尋ねているのですか。私はこれでも五年前までは令嬢としての教育を受けてきたのですよ。ここ数年は違う形ではありましたが、パーティーの類には参加もしております。私はお兄様を心配しているのです」


 聞いただけでは、兄もこの五年間で夜会などとは距離を置いていたことは容易に想像できる。


 夜会があります、出ます、ご挨拶だけ、というだけにはいかないのだ。


「俺だって、侯爵家の後継として物心ついたときから教育を受けているんだ。ステップくらい覚えているさ」


 肉だねの成形を終えて、フライパンに火をつける。


「……多分な。後で練習しよう」


 現状を冷静に判断できたのか、自信が揺らいだのか。


 だが、それは必要な確認作業だ。

 夜会の招待状にはサンゼイユ侯爵ギレム家の名が入ってる。


 ギレム家を背負って出席するのだから、恥ずかしい真似はできないのだ。


 ステップをど忘れして淑女の足を踏んだり立ち止まったりなどしたら、程度が知れてたちまち家名に傷がつく。


 ミートボールから肉汁が出て、ぱちぱちと熱いフライパンの上で爆ぜる音がする。


 焼き色をつけるために返し、全体的にいい色合いになったら一度取り上げる。


 中に火が通っていなくても、後で煮込むので問題はない。


 ミートボールを焼いたフライパンに、今度はアデルが玉ねぎとにんにくを炒める。


 玉ねぎの色が透き通ってきたら、さいの目切りにしたトマトを入れる。


 厨房から分けてもらったブイヨン・ド・ブフ(牛からとるブイヨン)とローリエ、刻んだドライバジル、塩胡椒を加えて一煮立ちしたら、ミートボールを戻して煮込む。


「あと、小規模な夜会のようですが、一応家にも報告した方がいいでしょうか」


 アデルは何かの集まりに侯爵令嬢として参加する時には、必ず実家に報告していた。


 良からぬ集まりだったり人物が出席しているかもしれないので、父が精査して許可が出たものだけ出るように言われている。


「ああ、いいよ。俺もいることだし」

 セドリックにはそういう制限がなかったので、いつもふらふらと遊び歩いていた。


 本人の裁量に任せていたのだ。


 二重規範ダブルスタンダードにも思えるが、大学まで出て多少は世間を知っている兄とでは世知に隔たりがある。


 兵役で社会経験はあるとはいえ、男性社会の中では女性の活動範囲も限られるので致し方ない措置であることをアデルも認識している。


 セドリックが残ったブイヨンでスープを作り始めたので、アデルはサラダを作ることにした。


 ふと、セドリックがキッチンの勝手口を見た。


 チコリを取ろうとしたアデルも、つられてそちらを見る。


 勝手口の脇の窓からランプの明かりが見えた。


「恐れ入ります、セドリック様、アデル様」

 ノックをして呼び掛けてきたのは、スターレンスだった。

 脇の窓からひょこっと顔を出す。


 いつレードルから持ち替えたのか、ペティナイフを置いてセドリックが勝手口を開けた。


「お支度中申し訳ありません」

 そうは言うが、鼻の穴を丸くしてふんふんと匂いを嗅ぎ分ける。


ブーレットミートボールのトマト煮ですか?」

「正解だよ、スターレンス君。いい嗅覚を持ってるね」

「恐縮です」


 そう言ってから腹の虫が鳴いた。


「まだ仕事中? 何なら食べてく?」

「あ、いえ、失礼しました。仕事はお二方に連絡したら今日は終わりなのですが……」


 顔が赤くなって正直に話すスターレンスは、いつもの洗練さが取り払われているせいか可愛く見えた。


「じゃあ、一緒に食べようよ。多めに作ったし。なあ、お前もいいよな?」


 セドリックが振り向いたので、アデルも口元を上げて頷いた。

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