さよならを告げたのは私なのに……

Wildvogel

さよならを告げたのは私なのに……

 「分かった。今までありがとう、めぐみ



 恵は正面に立つ浩平こうへいの言葉で、彼に背中を向けた。


 二人の四年の恋が終わりを告げた瞬間だった。


 

 恵は交際開始からおよそ二年後からお互いのスケジュールが合わず、浩平と会えない日が続いた。そしてこの日、恵の心に積もり積もったものが崩れ落ちた。


 恵は一瞬だけ背後へ視線を向ける。そこには、微かな笑顔で恵を見送る浩平の姿があった。



 翌日から恵は新しい恋を探し始めた。しかし、気になった男性全員に好きな人や恋人がいた。



 「上手くいかないな……」



 恵は恋することを諦めそうになっていた。



 浩平と別れてから数週間経過したある日のこと。


 恵は一人暮らしをしているマンションの寝室の窓から空を眺める。



 「なんで『別れよう』なんて言っちゃったんだろ……」



 恵はさよならを告げたことを今更のことのように後悔していた。


 しかし、後悔したところで時間は戻ってはこない。


 さよならを告げた自身の責任だ。



 恵の瞳は僅かに潤んでいた。




 それから数日後。


 街へ繰り出した恵の目に、一人の男性の横顔が映る。


 恵のよく知る男性だった。


 

 「浩平……」



 恵の目に映る男性には彼女の声は届いていない。


 恵は立ち尽くすように、男性の背中を見つめることしかできない。


 男性は十字路を右へ曲がろうとした。


 その時、男性の視線が一瞬だけ恵へ向けられた。

 

 すると、恵の心臓の鼓動が高鳴る。


 男性は視線を正面へ戻すと、十字路を右へと曲がった。



 男性の姿が見えなくなってからすぐ、恵は息を切らす勢いで十字路へ向け、走り出した。


 しかし、十字路の前へ到着した時にはすでに、男性の姿はなかった。


 

 「いない……」



 恵は男性が歩を進めた方向を見つめ、悲しげな表情を浮かべる。


 ため息をつくと、顔を僅かに俯け、来た道を戻ろうとした。


 

 その時、恵の耳に女性の声が届く。



 「恵?」



 前方から聞こえる声に恵は顔を上げる。


 目の前には恵の高校時代からの友人である、佳江よしえが立っていた。



 「どうしたの?そんな悲しげな表情を浮かべて」



 佳江の問いに、恵は無理やり笑顔を作る。



 「なんでもないの!それより、久しぶりだね!」



 恵は話を逸らす。しかし、佳江は恵の真意を読み取っていた。



 「最近ね、浩平も悲しげな表情を浮かべているの。浩平と何かあったの?」


 「え……」



 浩平は恵がさよならを告げた際、微かな笑顔を浮かべていた。しかし、その笑顔が何を意味するのか、恵には分からなかった。


 

 「ねえ、浩平と会ってあげてよ。すごく会いたがっていたから。ね?」



 恵は佳江の言葉に躊躇いを見せ、首をなかなか縦に振らなかった。


 佳江は訴えかけるような眼差しで恵を見つめる。


 

 しばらくし、佳江の言葉と眼差しに負けたように、恵は首を縦へと振った。




 数日後。


 恵は佳江からのメールに記載された公園へと赴き、どこか緊張の面持ちで浩平を待つ。


 恵が公園に到着してから十分後。


 瞬間、恵の背筋は無意識のうちに伸びる。



 「浩平……!」



 浩平が公園へ到着した。


 その瞬間、恵の背筋は無意識のうちに伸びる。


 浩平はゆっくりとした足取りで、恵の元へと歩み寄る。


 浩平との距離が近づくにつれ、恵の心臓の鼓動が高鳴る。


 彼のおしゃれな服装は交際していた頃から変わっていない。



 恵の数十センチ手前で浩平は足を止めた。



 「恵……」



 浩平の言葉からしばらく、沈黙が続く。


 恵は沈黙に耐え切れず、顔を俯ける。

 

 浩平は口を結び、正面を見つめる。


 二人は話を切り出すことができない。



 すると沈黙を打ち破るように、公園の近くを母親と手を繋ぎ、楽しそうに言葉を交わす子どもの声が二人の耳に届く。

 

 浩平と恵は子どもの姿を目で追う。


 子どもが無邪気に駆け出すと、恵は口元を緩める。



 「可愛いね」



 恵の言葉に、浩平は笑顔で頷く。



 この瞬間、二人の心にあった緊張のようなものがほぐれた。



 親子の姿が見えなくなると、浩平は恵と正対する。



 「俺、恵から別れを告げられた時、すごくショックだった。でも、それを表情に出したくなかった。情けない姿を見られたくなかったから。だから笑顔で見送ったんだ。いや、そうすることしかできなかった」

 


 恵はこの時、浩平の真意を知った。


 一瞬だけ顔を俯け、浩平が続ける。



 「今はもう人と人。でも、やっぱり恵がいないと……」


 

 浩平の言葉に、恵は僅かに驚いた表情を浮かべる。


 同時に嬉しさと、くだらないプライドのようなものが恵の心で交錯する。



 「さよならを告げたのは私なのに……」



 浩平に届かない声量で恵は言葉を発し、再び顔を俯ける。



 次の瞬間、恵の耳にどこからか、ある言葉が届く。



 (くだらないプライドなんか捨てちゃいなよ)



 恵は顔を上げると、周囲を見渡す。しかし、公園内に二人以外の姿はない。



 恵は一瞬だけ目を閉じると、微かな笑みを浮かべ、浩平を見つめる。



 「『さよなら』って言ったのは私なのにね……でも、浩平と離れてから別れを告げたこと後悔して……やっぱり、私には浩平しかいない……」



 恵の言葉と同時に太陽が輝きを増し、二人の影をより濃く映す。



 「こんな私で良ければ、もう一度……!」



 恵がその先の言葉を発しようとした次の瞬間、浩平は恵の右手を両手でやさしく包み、何も言わず笑顔で頷いた。


 恵は目から溢れそうになったものをなんとか抑え、笑顔で頷いた。



 それから数ヶ月後。



 「行くよー!」


 「待ってー!恵、歩くのが速いから」


 「そんなことないって。あれ、靴紐ほどけてるよ」


 「あ、ほんとだ」



 浩平は一度しゃがみ込み靴紐を結ぶ。


 浩平が立ち上がると、あの頃と変わることのない彼の姿が恵の目に映る。


 恵は自然と微笑む。



 「やっぱり……」



 恵は囁くような声でそう言葉を漏らし、浩平と足並みを揃る。


 そこからしばらくして。



 「あれ、恵の靴紐ほどけてるよ」


 「あ、ほんとだ」



 恵はしゃがみ込み、靴紐を結ぶ。


 そして立ち上がると笑顔を浮かべ、浩平を見つめる。



 「隣には、浩平がいてほしい……!」



 再び、恵は浩平と足並みを揃える。


 二人の後ろ姿はまさに……!




  もう二度と、二人が結んだ靴紐がほどけることはないだろう。



 


 


 

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