聖夜のオーケストラ

遊月奈喩多

第1話

 今日は1年に一度の特別な日!

 サンタさんがやってくる、素敵な日!

 今年はどんなプレゼントを貰えるかな?

 楽しみだな、楽しみだね!

 ほしいものかな?

 初めて見るものかな?

 どんなものであっても、楽しい気持ちになれる。

 それが、クリスマスの素敵なところだね!


  * * * * * * *


 淡い雪の降り続ける聖なる夜。

 街は楽しげな声で満たされていきます。

 手に家族への贈り物、心に歓喜、足取りに期待を携えて、人々は家路を急ぎます。暖色のイルミネーションの付けられた街路樹が彩る冬道に、およそこの世に存在するあらゆる喜びが詰め込まれているように見えました。

 光を集めたような目抜通りから一本逸れた道にある古いアパートの一室にも、喜びが満ち溢れています。


 ラジオカセットで流れる『We Wish You a Merry Christmas』を背景に、その部屋にはたくさんの笑い声が響いて。部屋に集まる男たちの顔は、みな一様に子どものように楽しげな笑みに輝いていました。


 畳を踏みしめ、大きな口を開けて。

 男たちは笑いながら、時を忘れて遊ぶのです。


 無邪気に、無垢にさえ見えるその笑顔は、ともすれば平和の象徴として鳩に取って代わることができるだろうというほど。その年に起きた悲しかった出来事を消し去るように、彼らはクリスマスを思い思いに楽しみます。


 we wish you a merry Christmas!

 We wish you a merry Christmas!

 We wish you a merry Christmas!

 and a happy new year!


 男たちは、口々に歌います。

 酒に酔ったように楽しげに。

 子どものように時を忘れて。


 そんな男たちを、可奈かなちゃんは笑いながら見つめています。みんなが楽しそうにしていると、可奈ちゃんも嬉しくてたまりません。バカにするのではない笑顔を見られるのは、可奈ちゃんにとってこの上ない幸せなのです。

 みんなと違ってボロボロの家に住んでいるからと、学校のみんなから笑われてうつむいてばかりいる可奈ちゃんも、今宵ばかりはとっても可愛い笑顔。


 だって今日はクリスマス。

 たくさんおめかしして、ごちそうをたんまり用意して、みんなと遊べる楽しい日なのですから。


 ゆらゆら、ゆらゆら。

 オレンジ色の蛍光灯が揺れて、歌声が響きます。

 くらくら、くらくら。

 男たちから貰ったお菓子で、すっかり夢見心地。

 ふらふら、ふらふら。

 可奈ちゃんも男たちも、境界線があやふやです。

 あははは、あははは。

 楽しい時間がいつまでも続きそうに思えました。


 空からそりが降ってきて。

 サンタさんが煙突からこんにちは。

 トナカイたちがワルツを踊って。

 赤い鼻がキラキラ、ビカビカ、びゅーん!!

 月が降りてきます。

 星が着席しました。

 雑踏が緑色に変わって、赤信号を登れば。

 街路樹のイルミネーションが鳴き声をあげて。

 窓辺の猫たちがシンバルを叩き始めました。


 ハッピー、ハッピー。

 ちぴぴぴ、ぴちゃぴちゃ。

 天体観測中のサンタさんがサンバを踊り。

 アパートの駐車場では車がボサノバ。

 遠吠えする犬たちの色が変わると椋鳥むくどりが横断歩道をぴっちり埋めて。

 自転車がびゅんびゅん大縄跳びだ!


 アドバルーンがチェロを弾いて。

 額縁の絵はコントラバス。

 宝物のぬいぐるみがフルートを吹いて。

 窓の外に見える電柱たちがハープを爪弾けば、電線たちのアリアが夜空を揺らしてヒビを入れます。割れた夜空から、たくさんの音色が地上に向けて雪崩のようにこぼれ落ちてきて、たちまち日常を押し流していきます。


 音の洪水だ!

 歓喜の海だ!

 幸福の鐘だ!

 星の凱歌だ!

 月光の宴だ!

 聖なる夜だ!


 可奈ちゃんは、男たちに向けて両手を広げて、華のように笑います。その姿はさながら、聖夜のオーケストラを纏める指揮者のよう。

 部屋の男たちは指揮に合わせるようにうたっています。楽しそうに身体を揺らして、時に競い合って、おっと、息継ぎはお忘れなく!


 夜空がどくんと波打って、いよいよ佳境。

 緑、黄色、オレンジ、サーモンピンク。

 色とりどりに輝きながら粉々になる夜空を見上げながら、可奈ちゃんはタクト広げてふって

 forte強くfortissimoもっと強くfortississimo更に強く


 全ては高まり、溶け合うような気だるさと一緒に、ふらふらでくらくらなオーケストラはいよいよ終わり。

 お互いがお互いをもてなす楽しい時間は、朝が夜になるように、夜が朝になるように終わりを迎えるのです。


 身体をピクピク震わせて、ぷつん、と糸が切れたように横たわる可奈ちゃん。男たちは口々に彼女を褒め称えました。

 素晴らしい贈り物を貰ったよ、と。

 今日は特別楽しかったよ、と。

 可奈ちゃんは神様からの贈り物だね、と。

 流星のように降り注ぐ賛辞の言葉は、可奈ちゃんに聞こえているのでしょうか。男たちは、そんな些細なことにはこだわりません。


 終演後の退席は速やかに。

 男たちは日常いふくを身に纏い、家路じょうしきへと戻っていきます。これから彼らは、それぞれの家族のもとへ帰り、何食わぬ顔で聖夜ふつうを過ごすのです。


 すっかり夜色を取り戻した空の下。

 男たちが残らず帰った部屋のふすまを開けて、煙草をくゆらす男がひとり。可奈ちゃんの身体が冷えないように毛布をかけて、にっこり笑って呟きます。

「日付が変わってクリスマスだ。誕生日おめでとう、可奈。お前は本当に、俺には過ぎた贈り物だよ。お母さんと可奈のお蔭で、俺は暮らしていける。いくらか残ったらケーキくらい買って来られるから、待っててな。風邪ひくから、起きたらちゃんとお風呂入ってあったかくするんだぞ」


 散らばった紙幣を拾い集め、どこかへ出ていく背中を、硝子の瞳がじっと見つめていました。

 小さな口の、か細い歌でお見送り。


 we wish you a merry Christmas

 we wish you a merry Christmas

 we wish you a merry Christmas

 and a happy new year


 おやすみ、可奈ちゃん。

 目を覚ませばクリスマス。

 いい子の可奈ちゃんには、素敵な贈り物が届いているといいですね。

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聖夜のオーケストラ 遊月奈喩多 @vAN1-SHing

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