幻想の幕開け 黎明の魔女と黄昏の旅人
御簾神 ガクル
第1話 運命の幕開け
水彩画の世界が広がっている。
様々な色の境界が溶けるように混じり暈されている美しき世界。
鬱蒼と木々が重なり広がる深い森。
黄金に輝く柔らかい日が差し込み、青赤緑の極彩色の葉が生い茂る。
本来モザイク細工のような色煌びやかな森なのだろう。だがそこにキャンパスに水を垂らすかのごとく魔素が漂い輪郭を滲むようにぼやかし水彩画の如き趣を与えている。
ここは魔界である。
霧のように魔素が漂い、極彩色の魔界の植物が深い森をなし魔獣や魔蟲が徘徊する。不用意に人間が立ち入れば一時間と経たずに魔界の肥料となる。
その魔界に100メートルを超えて垂直に切り立った大地が並び立っていた。かつては天に聳える塔であったが魔界の蔦に覆われその面影はない。
その頂上に一人の男がいた。
名はガイガ、魔界を旅する男である。
黒光りする甲冑のようなスーツを纏いガイガは崖から顔を出して双眼鏡で下を覗き込んでいる。一歩間違えれば下に落下する端に伏せて微動だにしない。脇には番傘、傍にはガイガの背ほどもあるリュックが置かれている。
見たところ30後半くらいで総髪を後ろで束ね、頬が角張っていはいるが太々しく何処か愛嬌があるようで油断ならないような人を食った顔をしている。こんな魔界に一人いるような男となればこんな容貌にも納得する。
「来た」
ガイガから獰猛な笑みが溢れた。
ガイガが除く双眼鏡の先には、10メートルを超す百足に四枚羽根が生えたような魔蟲「羽百足」が悠々と飛んでいる。
真紅に染まった甲羅は陽光に晒せばルビーのように輝き生半可な攻撃は易易と弾き返す。蜻蛉のような羽は刃の如く触れれば切り裂かれ、足は槍の如く鎧を貫き、クワガタの如き外歯は鉄をも噛み砕く。かつての大戦では攻撃ヘリですら迂闊に近寄れなかったほどだ。
「三日待った獲物、逃がしはしないぜ」
ガイガは立ち上がると漆黒のフルフェイスの兜を被る。そして側に置いてあったリュックを背負い、最後に番傘を持つ。
ガイガはこれで支度は終わったのかそのまま切り立った端に行き下を覗き込む。
ほぼ垂直の崖、眼下には100メートルの落差で光景が広がり、魔界の森を背景に飛翔する羽百足が小さく見える。
目眩がしそうな光景。
吹き上げる風が凄く、下手すれば凧のごとく天に舞い上がりそうであるが、そのまま無造作に崖から一歩飛び出した。
途端に足裏に重力を支える大地の恩恵は無くなり真っ逆さまに降下していく。
頭を下に向け姿勢を真っ直ぐ槍の如くすることでスピードは指数関数的に上がっていき己が弾丸になった気になる。
このまま落ちれば間違いなく地面の赤い染みになる。
この男何を考えてる?
何もかもが光陰の如く置き去っていく。
苦しみも。
辛いことも。
苦き経験も。
人生の後悔も。
過去だけでなく未来への不安も。
全てを置き去っていく圧倒的スピードによる圧倒的開放感。
どんなドラックでもどんなセックスでも味わえない。
生身で空の領域に踏み込みこの領域のスピードに踏み込んだ者だけが味わえる爽快なる甘美な世界に優しい女神が甘く誘惑してくる。
過去どれだけの者達が女神の誘惑に負けてそのまま人生から開放されたか。
高低差を利用したバンジーハントは獲物と戦う前に心の強さを問われる。
「うまい飯
旨い酒
いい女」
ガイガは落下しながら己の欲望を念仏の如く唱え、現世への欲望で女神の誘惑を振り払った。
柵溢れる現世に戻ったガイガの目は鷹の如く獲物を捕らた。
手を尾翼の如く制御して先程捕らえた羽百足に軌道を修正しつつ矢の如く落下していく。
羽百足に頭上より襲い来る脅威に気付いた様子はなく呑気に悠々飛んでいる。
ガイガは閉じた番傘を前に突き出し更に速度を上げた。
段々と羽百足の甲殻の節目すら目で見えるように成った頃、羽百足も気付いた。羽を急速に動かし回避行動を取ろうとするが、もう遅い。
そのまま慌てる羽百足の胴体に番傘を突き立て隕石の如く激突した。
どーーーん
砲弾の如き衝撃音が辺り一面に鳴り響く。
羽百足は体がぐにゃっとくの字に曲がりばらばらになりそうな衝撃に体の節々から体液が溢れ出たが耐えた。
「ちいっしぶとい」
落下の衝撃の殆どは羽百足が引き受けたとはいえ、やはりそれなりのフィードバックを受け生身では卵の如く潰れても可笑しくないがガイガも節々が痛そうだが羽百足の上バランスを取って立ち上がる。
「痛たたた~スーツに感謝だな、うおっ」
目眩と錯覚するほど視界が揺れる。実際は足元が左右中下に地震の如く揺れている。羽百足が体をクネクネと暴れさせ振り落とそうとしているのだ。
「こりゃたまらんな。一旦仕切り直しだな」
ガっと羽百足を蹴って飛び上がると番傘をバッと開いた。
一瞬の浮遊感。
ふわふわと開いた傘でパラシュートの如く空にふわっと漂う。
「あれでくたばらないとはヌシ級で間違いないな」
呑気に空に浮いて品定めをしているガイガを羽百足の怒りで染まった目が睨みつけてくる。
あちらはまだ空を飛ぶ力を有し、此方は落下エネルギーは使い果たしゆっくりと空を漂い落下していくのみ。羽百足にしてみれば餌を食うに等しい状況。
「お怒りだな。だが餌になるのは御免だな。こちとら最後は美人の腹の上と決めているんでね」
窮地においても戯言を呟き不敵に笑って見据えてやる。羽百足は小憎たらしい餌に向かって長い胴を旋回させて体を振り払った。
ぐるんぐるんとコンマ単位で羽百足の体が迫ってくる。
恐怖に駆られたら終わる。恐怖を飼い慣らし冷静に払われた尻尾のベクトルに対して番傘を受け流すように向けて受けた。
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
腕が痺れる。握力が馬鹿になる。
攻撃を受け流しつつも踏ん張りの効かない空で攻撃を受けてはそのまま絶壁に向かってふっとばされた。
そのまま崖に激突すれば体液をぶちまけて潰れる。
だが浮かぶは笑みのみ。
冷静に番傘の角度を調整すると、フワッと一瞬の上昇により絶壁に対して斜めになってぶつかった。そして斜めにぶつかったのを利用した受け身、ぶつかった衝撃を上に転がることで受け流す。
ころころころとガイガはふっとばされた衝撃を利用して絶壁を転がり上がっていく。そしてタイミングを見て絶壁を蹴って再度羽百足の頭上を取る。
「俺は失敗しても立ち上がる強い子」
番傘を閉じて羽百足に向かって落下していく。羽百足の意表を突いたようで見事二度目の激突を果たした。
ぐゅぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ
羽百足の断末魔が魔界に響き渡る。
二度目の攻撃を受けて羽百足の全身から力が抜けてぐったりと静かに下に落下を始めた。
「討ち取ったりーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
このまま羽百足と一緒に落下するつもりはなく、羽百足を蹴って飛び上がり番傘を開いて浮遊する。浮遊して下に降り墜落した羽百足を悠々と回収する。そして久方ぶりに人里に行って命の洗濯をする。
先程までの精悍だった顔がスケベに緩む。
その隙を狙っていたかのように死んでいたはずの羽百足の全身に力が漲り、体の末端に付いている毒針を海老反りにガイガに向かって突き出した。
「死んだフリかよ」
ベテランの反応で油断はしていても咄嗟に番傘で一撃を受けた。だが受け流すこと無く真正面から攻撃を受けた為に命綱とも言える番傘を吹っ飛ばされた。
ガイガは地面に向かって落下を初め、それを見届け羽百足も静かに地面への落下を始めた。
「相打ち狙いかよ。魔蟲と心中なんて冗談じゃないぜ」
文句を言ってもこのままでは地面に激突し地面の染みとなる。ガイガはまずは体を大の字にして水平にする。これで落下のスピードが軽減された。
次なる手を打とうとしたガイガの目の端に向かってくる影が映った。
「蟲!!?」
羽百足の仲間が来たのなら絶体絶命である。
ガイガが見定めようとする間にも飛翔体はぐんぐんと接近してきて、姿が見える。
それは空飛ぶ少女。
ブルーマーと呼ばれる人の身長より長く胴くらいの太さの棒のような空を飛ぶ乗り物に跨って少女が飛んでくる。
真っ直ぐ向かってくる少女とそれを見つめるガイガは目が合った。
「手を伸ばして」
少女は手をガイガに伸ばし、ガイガも躊躇うことなく自然と手を伸ばした。
少女とガイガの掌は運命の如く握り合うのであった。
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