四十九、騎士と子ども







『あ、オリヴェル様!』


 ふわふわと街を歩いていたデシレアは、その前方にオリヴェルの姿を見つけて駆け出した。


『待ってください、オリヴェル様!』


 けれど、走っても走っても、その距離は一向に縮まらない。


『オリヴェル様!』


 焦って呼び続けるデシレアの前で、オリヴェルが誰かと合流した。


『あれは・・・聖女様』


 分かった途端、デシレアの足がぴたりと止まる。


 そしてどんどん遠ざかって行く、オリヴェルと聖女。


 デシレアが最後に見たのは、聖女へと優しく微笑みかけるオリヴェルの姿だった。






「・・・オリヴェル・・・さま・・」


 嗚咽が漏れそうになる自分の声に目覚めたデシレアは、目の前に小さな子供がいるのに気づいて、目を瞬かせた。




 え?


 ここどこ?




「おねえちゃん、おめめ、ぱっちりした?」


 淡い茶色のくりくりとした目に見つめられ、問われて、デシレアは一瞬考える。




 おめめぱっちりした、とは?


 もしかして、目が覚めたかといいたいのかな。




「うん。もう、おめめぱっちりしたよ」


 言えば、その子はぴょんと飛び降りて走り出した。


「おねえちゃん、おめめ、ぱっちりしたー」


「よい・・ちょ」


「え?」


 訳の分からないまま、走って部屋を出て行った幼い女の子を見送ったデシレアが、床の方からした声にぎょっとして身体を起こしてみれば、ベッド脇に置かれた踏み台に、さっきの女の子より更に小さな女の子が懸命によじ登っているのが見える


「あ。おめめ、ぱっち?」


 そして何とか踏み台に上ったその子は、ベッドの上に顔だけ出るような状態で、デシレアを見あげた。


「うん。おめめ、ぱっちしたよ・・・っと」


 にこりと微笑んで答えたデシレアだが、次の瞬間女の子がバランスを崩して倒れかけ、咄嗟に手を伸ばして抱き留めて、ベッドへと抱え上げる。


「とりしゃ、びゅん」


 すると女の子が嬉しそうに両手を広げて言った直後、きょろきょろと当たりを見渡し出した。




 とりしゃ、びゅん、とは?


 トリシャって名前の子だとか?


 うーん。


 両手を広げて表現・・・あ。


 鳥さん、びゅん、かな。


 


 恐らくは、今の動きをそう言ったのだろうとデシレアが納得していると、その女の子が、みるみる泣きべそになっていく。


「ど、どうしたの!?どこか痛い?」


「おとうしゃま・・おかあしゃま・・ないないなの」


「っ」




 そうか、この子も攫われて・・・!




 そうだった、自分も人さらいに気絶させられて、とデシレアが思い出した所で、女の子が本気で泣き始めそうになった。


 今にも零れそうな涙が、大きな緑の瞳に溜まっていく。


「と、鳥さん、びゅん!」


 それを見たデシレアは、咄嗟にベッドから下りると女の子を抱き上げ、空中でくるりと回った。


「とりしゃん、びゅん!」


 すると、あっという間に笑顔になり、幾度も所望されて、デシレアは女の子が舌や唇を噛まないよう注意しながら、女の子を飛ばす真似をし続ける。


「はあ、疲れた!休憩ね」


 そう言って女の子をベッドに座らせたデシレアは、その頬に涙の痕があることに気が付いた。


「おかお、きれいきれいしようか」


「おかお」


 言いながら身体を斜めにし、小さな両手で自分の顔を触ってみせるのが可愛い。


 デシレアは、置いてあった水差しの水をハンカチに染み込ませ、ゆっくりと優しく顔を拭いて行った。


「はい、終わり。かわいいさんの出来上がりー」


「りー!あいがと」


 デシレアの真似をした女の子が、自分の服の胸元を引っ張って見せる。


「ここも、きえいきえい。おきが・・え・んと、しる」


 見れば、着ている可愛らしい服の胸元に、食べこぼしと思しきしみがある。


「お着替えしたいね。でも、ちょっと待ってね」


 着崩れている襟元を直してやれば、大きな襟に<マーユ>と飾り文字で刺繍が入っていた。




 衣服も質のいい物だし、何より頬がぷくぷくで髪も肌も手入れが行き届いている。


 きっと、いい所の子で可愛がられているのね。


 ご両親は、さぞかし心配しているでしょう。




「ねえ、お名前教えてくれる?私は、デシレアと言うの」


 幾ら襟に刺繍が合ったとはいえ、いきなり名前を呼んでは驚くだろうとデシレアが尋ねれば、女の子はきょとんと首を傾げた。


「でち・・あ?」


「ふふ。デシー、って呼んでくれる?」


「でちぃ!」


「そうよ、デシー。あなたのお名前は?」


「まあう!」


「そっか、マーユちゃんか。仲良くしてくれる?」


「う!・・・とりしゃん、ちて?」


 瞳を輝かせて両手を伸ばしてくる幼子の願いを叶えない、などという選択肢はデシレアには無い。


「鳥さん、びゅん!」


「とりしゃん!びゅん!」


 楽しそうに笑うマーユが可愛くて幾度も回転を繰り返すうち、デシレアは扉に立つその男と目が合って、ぴたりとその動きを止めた。


 背筋を、つうっと冷たいものが流れる。


「あー、その。俺が言う事じゃないかもしれないが、呑気だな」


「っ!人さらいの貴方に、言われたくありません!」


 図星を差され、デシレアは一瞬固まった後たくましく復活し、人非人にんぴにんのくせに!と、マーユを抱き締めたまま、ぷるぷると男を睨み付けた。








「では、まずは自己紹介から。俺の名は、クリスティアン・レーンロート。第五騎士団の副騎士団長をしている」


 寝かされていた部屋から移動した居間と思われる部屋で、赤い髪、赤い瞳の男が丁寧な挨拶をするのを聞いて、デシレアは目を見開いた。


「騎士団の副団長様が、人さらいを・・・!」


「違う!あの女の子ふたりは、別件で踏み込んだ本拠地に囚われていたんだ。それで、あの子達を盾に取られて。もちろん人命を優先して、俺があの子達を保護、他の騎士が犯人捕獲に動いたのだが、如何せんこちらの分が悪く、一味の主要格には逃げられてしまった」


 真摯に語るクリスティアンの向こう、少し離れた大きなソファに、三人の小さな子どもが眠っている。


 先ほどデシレアが道で遭遇した男の子は、デシレアが居間へ来た時には既に眠っていて、クリスティアンを連れてデシレアの元へ戻って来た女の子、デシレアが目覚めた時『おねえちゃん、おめめ、ぱっちりした?』と顔を覗き込んでいた子は、フレヤというのだと居間へ来る途中の廊下で教えてくれた。


「では、あの男の子は?私には、貴方から必死に逃げているようにも見えましたが」


「ああ。自力で逃げ出した所に遭遇したのだが、それこそ俺を、人さらいの一味だと思ったらしくてな」


「確かに、その服装では騎士には見えませんものね」


 黒装束に身を包んだクリスティアンは、どちらかというと悪者に見える、と忌憚ない意見をデシレアが述べれば、クリスティアンはソファに撃沈してしまう。


「そんなに悪人面か?」


「安心してください。雰囲気が、です」


「それは、安心できる要素なのだろうか?」


 衝撃を受けた様子のクリスティアンだが、これ以上何かを言えばもっと傷は深くなる、と確信したデシレアは、話題の変換を試みた。


「それよりも。貴方の事情は把握しましたが、私まで連れて来られたのは何故ですか?」


 確かに道でクリスティアンとあの男の子に遭遇し、クリスティアンを人さらいと思いはしたけれど、と続けてデシレアは自分で納得した。


「なるほど。それでですね」


「極秘で動いている今、騒がれる訳にはいかず、手荒な真似をして悪かった」


「突然『ごめんな』と言いながらの手刀ですからね。驚きましたが、もうまったく痛くないです。手刀、上手いんですね」


「いや、手刀が上手いというか。気絶している間に、治癒の魔法をかけておいただけだ」


「治癒!凄い」


 デシレアが無邪気に感動していると、クリスティアンが気まずそうに咳払いをする。


「褒めてもらったのに申し訳ないが、結論から言えば、君もここに留まって協力してもらいたい」


「協力、ですか?」


「ああ。あの三人の面倒を見て欲しいのだ」


 言われ、デシレアは首を傾げた。


「あの子達の捜索願いなどは、出ていないのですか?」


「いや。女の子ふたりは担当部署に確認したところ、攫われたと騎士団へ捜査要請の上がっている家の子だった。しかしその家の周りに不審者がいて、現状危険と判断されるため、こちらで保護することとなった。もちろん保護者へ連絡はしている」


「つまり、危険が無くなるまでここでお預かりということですか?」


「ああ。ここは、騎士団所有の隠れ家のひとつで、防御は固いから安心してくれ。もちろん、君の家にも事情をこちらから秘密裡に説明する」


 そう言ったクリスティアンを、デシレアはじとりと睨む。


「それ、断れませんよね。既に巻き込まれ済みじゃないですか。極秘捜査の話を聞いて、そのまま帰してもらえると思うほど、私、能天気にできていません」


「そうか?」


「なっ。今、本気でそう思いましたね!?」


「あ、ああそりゃ・・ではなく・・・ともかく、よろしく頼む」


 とぼけ誤魔化して言うクリスティアンに、デシレアは大きなため息を吐いた。


「はあ。それではまず、三人がお昼寝を終えたらお風呂に入れて、着替えをさせたいのですが」


「あ」


「副団長様?」


「あ、ああ。俺の事は、クリスと呼んでくれ。それで、君は」


「私の事は、デシレアとお呼びください。それで?着替えは何処にあるのですか?あと、このお邸のなか、ざっくりとで構いませんので、何が何処にあるかをお聞きしたいのですが」


 デシレアの言葉に、クリスがじっとデシレアを見たまま固まる。


「邸の案内は、もちろんしよう。風呂もあるから大丈夫だ。だがしかし、子ども用の着替えが無い」


「は?」


「この邸は、長期滞在も出来るよう、生活に必要な物は揃っている。食料や水、団員の着替えも。だが」


「子ども用の着替えは無い、と」


「その通り」


「その通り、って。保護するって決めた時に、用意するという頭は?」


「男ばかりの騎士団に、そんな細やかな精神を持ち合わせている者はいない」


 じと目で追い詰めるデシレアに、クリスは開き直ったように胸を張って答えた。



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