四十一、推しと別荘で







「最近、大分あったかくなって来ましたよね。今日は風も無いから、見てくださいオリヴェル様。湖がきらきらしています」


 一服してから、散歩にと出かけて来た先で湖を見つけたデシレアが、その煌めきに瞳を輝かせる。


「良かったら、ふたり乗りの舟に乗ってみないか?水の上だと、未だ寒さを感じるかも知れないが」


 この気温なら、そこまで寒くも無いだろうと言うオリヴェルに、デシレアが何とも言えない顔をした。


「どうした?舟は苦手か?」


「うーん。苦手というか何と言うか。ある意味苦手で間違いないというか。オリヴェル様のいうその舟は、左と右のオールで漕ぐ、手漕ぎのあれですか?」


「もちろんそうだが。その顔。何かあるのか?」


「何もありませんよ」


「ほう」


 ぷい、とそっぽを向いたデシレアに、オリヴェルが興味津々と目を向ける。


「そんな、期待に満ちた目をしても駄目です。秘密です。私は、固く閉じた貝」


「ということは、やはり何かあるんじゃないか」


「う」


 語るに落ちたと、オリヴェルがデシレアに迫る。


「何だ?漕いでいてオールを流してしまったとか、舟に穴をあけたとか?」


「違います・・・って、なんですか。舟に穴をあける、って。そこは普通、水に落ちた、とかじゃないんですか?何で私が自分で漕ぐ前提なんです?」


 デシレアの言葉に、オリヴェルが笑みを含んだ表情で、眼鏡の細い縁をくいっとあげた。


「デシレアだからな。そんな普通の訳が無い。それに先ほど、左と右、手漕ぎの、とわざわざ言っていたじゃないか。その経験に関する何かなのだろう?」


「そんな所で優れた推理力を発揮しないでください」


 優秀さの無駄遣い、しょうもない、と呟くデシレアの横で、オリヴェルがふと真顔になる。


「その時、ひとりで乗っていたのか?」


「え?」


「その、何やらやらかした時、誰かと共同でオールを動かしていたのか、と聞いている」


「やらかした、って。まあ、いいけすけど。あの時は、母が正面に座っていましたよ。漕いでいたのは私ひとりですけれども。まあ、漕ごうとしていた、というのが正解というか。ん?漕いでいたことに変わりはない?」


「そうか」


 目を泳がせ、もごもごと言うデシレアを、安堵した様子のオリヴェルが楽しそうに見つめる。


「で、何をしたんだ?」


「・・・・・進まなかったんです。その場で、くるくる回るばかりで」


 畳みかけるようなオリヴェルの追及に、諦めたように言ったデシレアが、そのまま大きなため息を吐いた。


「くるくる回る?」


「はい。どうしても自分で舟を漕いでみたくて。母を前に乗せて、揚々と出発したんですけど。結果、その場でくるんくるん回っていたんです。いいですよ、笑っても。別の舟に乗っていた弟なんて、お腹抱えてひいひい笑っていましたから」


 さあどうぞお笑いください、と自棄になって言うデシレアの肩を、オリヴェルがぽんと叩いた。


「実践してみてくれ」


「え」


「いや、左右の漕ぎ方のバランスが悪くて進まない、真っ直ぐ進まない、そもそもオールを上手く扱えない、という話はよく聞くが、その場で回り続けるというのは、なかなかに器用だろう。是非、この目で見て体験してみたい」


 目を輝かせて言うオリヴェルに、デシレアは口元を引き攣らせて後ずさる。


「そんな、体験型の見世物みたいに。それに、またあんな風になるかどうかも分かりませんから、見たい体験したいの保証ができません」


 ふるふると首を横にふるデシレアに、どうしても乗ってみたいオリヴェルは尚も言い募る。


「デシレアなら大丈夫だ。今回も絶対そうなる。自信を持て」


「ええええ。なんか違う気がしますよ、その言葉」


「いいから、ほら早く行こう」


 デシレアが見た事も無いほど楽しそうなオリヴェルの足取りは、物凄く軽い。




 ああ、はしゃぐオリヴェル様も可愛い。




 子どものように純粋に今を楽しんでいると見えるオリヴェルに、デシレアは、まあいいかという気持ちになった。


「分かりました。オリヴェル様がお望みなら、一肌脱ぎましょう。ですが、絶対回るとは言い切れませんからね?」


「それでいい」


 弾んだ気持ちを隠さないオリヴェルと共に行った桟橋には、杭に繋がれた舟が湖面でゆらゆらと揺れている。


「いつもここに繋いでいるんですか?」


「いや。あそこに小屋があるだろう?あれが舟小屋だ。普段はそこに仕舞ってある」


「おお、では私達のために先回りして準備を。使用人さん、感謝です」


 デシレアの言葉に、オリヴェルがにやりと笑った。


「彼等の点検も準備も、乗らなければ無駄にするところだったな」


「あ。だからオリヴェル様、あんなふうに私を誘導したんですか?」


 オリヴェルの言葉に、だからですか、とぽんと手を打ったデシレアだが、オリヴェルは無情にも首を横に振る。


「いや。あれは、本気で揶揄っていただけだ。楽しかったしな」


「む。本気で揶揄う、って。いじめっ子だ。いじめっ子がいる」


「ほら、手を」


「あ、お願いします」


 呟きつつも、先に舟に乗ったオリヴェルが差し出す手を素直に取って、デシレアも舟へと乗り込んだ。


「では早速、デシレアのオール捌きを拝見といくか」


「やっぱり見世物だと思っているじゃないですか」


「思っていないとは言っていない」


「ああ言えばこう言う」


 もう、と言いつつオールを左右それぞれ握ったデシレアは、後方を確認してから前に座るオリヴェルに向き直った。


「行きますよ?」


「ああ、頼む」


 言葉と同時、とん、とオリヴェルが桟橋を軽く蹴り、舟が湖の中央へ向けて動き出す。


 それを受けたデシレアが、オールをゆっくりと湖に挿し込めば、ぱしゃ、と小気味のいい水音が響いた。


 続けて、ぱしゃ、ぱしゃ、とオールは軽快に水を掻き分けるも、舟は前進することなく、その場で回転を始める。


「これは。楽しいな」


「それは良かったです。オリヴェル様に楽しんでいただけるなんて、本望ですよ」


 デシレアは左右の手にオールをしっかりと握り、問題無く動かしているし、きちんと水を掻いてもいる。


 しかし舟は前方に進むことなく、その場でくるくると回るばかり。


「こういう遊び方もあるのか」


 感心したように言うオリヴェルに、デシレアが苦い笑みを浮かべた。


「私としては、本気で進めようとしている結果、ですけれどね」


「卑屈になるな。別に、任務で向こう岸へ渡らねばならない訳でもない。切羽詰まった状況でも無ければ、時間を気にする必要も無いんだ。いいじゃないか、これも特技だと思えば」


「そういうの、物は言い様って言うんですよ」


「まあ、だがひとりで舟には乗るな。俺と居る時だけにしろ」


 真顔で注意され、デシレアは渋い顔になった。


「何か、調薬といい、今回の件といい、オリヴェル様におんぶにだっこな気分です」


「出来ることを分担しているだけだと、いつも言っているだろう。まったく君は、妙に後ろ向きな時があるな」


「根が真面目なんです」


 律儀にオールを動かし続けながらも、目線を落とし、少し暗い顔になってしまったデシレア。


 そんな彼女を見たオリヴェルは、何とか笑顔にするためには、と自分の顎に指を当て、ふむと考える。


「だったらこう、何かそれを、前向きな言葉に置き換えてみろ」


「前向きに・・・?おんぶにだっこ、オリヴェル様と居る時だけ・・ん?それってつまりふたりきり・・ふたりだけの秘密?」


「っ!」


「内容は全然色っぽくないですけど、前向きにって言ったらそんな感じ・・・って、オリヴェル様?」


「ああ、いや何でもない。その、疲れただろう。代わる・・・ああ、入れ替わりは、そっと静かにな」


「あ、はい」


 何故か声が上ずっているオリヴェルの動きに合わせ、デシレアもそっと動いてオリヴェルと座る位置を交代する。


「では行くぞ。対岸には、散歩道がある」


「楽しみです・・・おお。素晴らしい速さ」


「もう少し、ゆっくりの方がいいか?」


「大丈夫です!凄く楽しい」


 力強く進む舟の上で、デシレアがはしゃいだ声を出す。


「デシレア。こんな風に、その、家族以外の誰かと舟に乗ったことは?」


「ありますよ。幼友達とか」


「幼友達。それは、おと」


「オリヴェル様!ここってお魚いますか?」


 けろりと答えられ、それは男か女かと重ねて尋ねようとしたオリヴェルだが、その問いは興奮した様子のデシレアによって不発に終わった。


 熱心に湖を覗き込んでいるデシレアは、オリヴェルの戸惑いに気づく様子も無い。


「ん?あ、ああ。居るには居るが、食用ではない。デシレアには、残念な報せだな」


 気を取り直したオリヴェルが、意趣返しの意味も込め、にやりと笑ってそう言えば、デシレアが分かり易くふくれた。


「またそうやって、ひとを食いしん坊扱いする」


「デシレアの食費は、生涯俺が稼いでやるから安心しろ」


「じゃあ、オリヴェル様の食費は私が・・・あっ、いましたお魚!」


 きらりと鱗を光らせる魚を見て、デシレアの瞳が輝く。


「契約、か」


 そんなデシレアを見つめ、オリヴェルは憂い顔でそう呟いた。








「天気の急変って言葉、こういう時にも使うんでしょうか」


 突風のなか、呼吸を奪われそうになりながら、デシレアがそう言ってオリヴェルを見あげた。


「相変わらず空は晴れているが、感覚としてその気持ちはよく分かる」


 さっきまで穏やかな陽気だったのに、今や冷たい風が吹きすさんでいる。


 比喩でなくデシレアの風除けになろうとするオリヴェルだが、あちらこちらと吹きまわるため、まったく上手くいかない。


「おお、湖もざっぱんざっぱん」


「これでは、舟では帰れないな。デシレア、湖沿いを歩いて戻ることになるが、大丈夫か?」


 心配そうに問われ、デシレアは、んん、とお道化て眉をあげた。


「平気じゃないです、と言った場合どうなるんですか?」


「そうだな。この距離でこの風だと横抱きは厳しいから、背負うことになる」


 冗談のつもりで言ったデシレアは、真顔で答えたオリヴェルに焦って、ぶんぶんと両手を振った。


「冗談です!ちょっとした出来心でした!すみません!もちろん、ちゃんと歩けます!お任せください!」


 ぴしっ、と敬礼してみせれば、オリヴェルの目尻が少し下がる。


「無理はしないで、辛くなったら言え」


「もしもの時は、お願いします」


 神妙な態度で言ったデシレアが、オリヴェルと並んで歩き出す。


「舟は、大丈夫でしょうか?」


「ある程度は大丈夫と思うが。流石にひとりで湖から上げられないからな」


「私じゃ役に立ちませんし」


「舟を水から上げるつもりが、風に飛ばされて自分が落ちた、となりそうだな」


「確かに。というかむしろ、そんな未来しか見えません」


 言っているうちにも強風が、前から後ろから横からと吹き付け、デシレアはたたらを踏んでしまう。


「普通に歩いていても、風に煽られて転んでしまいそうだな」


「何かふわふわして、体重が軽くなったような気がします」


「それは、浮いているのではないか?大丈夫なのか?」


「でも何か、ちょっとたのし・・・わわっ」


「ほら、気を付けろ」


 浮遊歩き、などと言っていたところを更なる突風に見舞われて、デシレアは、ぴょんぴょんぴょん、と跳んだ。


「飛びはしないけど跳んじゃいました、なんて」


「蛙か、君は」


「え、そこは兎って言いましょうよ」


 蛙も可愛いですけど、と付け加えたデシレアの手を暫くじっと見つめ、オリヴェルは思い切ったようにその手を掴む。


「え?オリヴェル様?」


「危ないからな。こうしていれば、安全だ」


 しっかりと指を絡ませ、オリヴェルはデシレアを導くように歩いて行く。


「気温が大分下がったな。寒くはないか?」


「寒いですけど、オリヴェル様と繋いでいる手は温かいです」


「そうか。俺もだ」


「お揃いですね」


 そう言って当たり前のように笑い合ってから、デシレアはふと気づく。




 え?


 これって、オリヴェル様と恋人繋ぎってこと?


 緊急事態に依る措置とはいえ、なんたる幸運!


 風の神様、ありがとうございます!




 考え至れば、寒さなど感じもしない。


 どきどきしつつも、この感触をしっかり覚えておこうと思ったデシレアだが。


「お、オリヴェル様。痛いです」


 余りに強く握られて、オリヴェルにそう訴えた。


「すまない。加減が分からない」


 そう言って慌てて力を緩めたはいいものの、今度は触れているのかいないのか分からないほどで、デシレアは思わず笑ってしまう。


「そんなに気を遣ってもらわなくても大丈夫です。普通で」


「残念ながら、その普通が分からない。誰かと手を繋ぐなど、幼い頃以来だからな。ましてや、こんな繋ぎ方はした事もない」


「あ、私もです」


 はい、と繋いでいない方の手を軽くあげれば、オリヴェルが嬉しそうに笑った。


「そうか、良かった」


「はい、良かったです。繋ぎ慣れた人だったら、びっくりしちゃうかもですもんね。力加減が分からない、なんて。お互い初心者で何よりでした」


 オリヴェルが本当に嬉しそうに笑ったのが嬉しくて、デシレアもにっこり笑って言ったのに、それを聞いたオリヴェルの顔は何故か引き攣った。


「かるかんが、デシレアは鈍いと言っていた」


 ぽつりと言ったオリヴェルに、デシレアは目を大きく見開く。


「え!私には、オリヴェル様は無器用だって言っていましたよ。なんか、オリヴェル様の評価は可愛いのに、私は鈍いとかって。酷いです。差別ですよ」


「デシレア。かるかんは、俺を無器用だと言ったのだろう?それなのに、その感想はどうかと思う」


 オリヴェルが頬を引き攣らせて言うも、デシレアは納得いかないように首を捻った。


「そうですか?無器用、っていうのは、何か愛情を感じますけど」


「なら、鈍いには何を感じるんだ?」


「悪意です」


「かるかんだぞ?」


「そうなんですけど。でも、鈍いは鈍いですから。誉め言葉ではありませんよ」


「なら、無器用だって誉め言葉ではないだろう」


「無器用は、愛嬌って感じしませんか?」


「愛嬌。そういえば、あの飴屋の女将が鈍いも愛嬌とか言っていたな」


 オリヴェルがそう言った時、ごおぅっと一際強い風が吹き、デシレアはその言葉を聞き逃しただけでなく、オリヴェルの身体に突撃してしまった。


「すみませんっ!」


「いや、デシレアは大丈夫か?」


「はい。オリヴェル様のお蔭です。ひとりだったら、間違いなく転がっていました」


 そう言って、屈託なくオリヴェルを見あげたデシレアがにっこりと笑う。


「鈍いも愛嬌」


「え?すみません、聞こえな・・・わわっ」


「ほら、しっかり掴まれ」


「はいぃ」


 繰り返し吹き付ける突風のなか、オリヴェルは、デシレアの手をしっかりと握り直した。



~~~~~

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