八、推しに訴える







「攻撃して来た侍女の、担当区域は分かるか?」


 予定よりずっと早い時間に、緊迫した面持ちで戻ったデシレア達を驚きと共に迎え、使用人の彼の説明を受けたオリヴェルは、デシレアの無事を確認すると厳しい表情でそう言った。


「王城での所属は分かりませんが、彼女はヘッダ・グリプ伯爵令嬢ですわ」


 使用人の彼が答えるより早く、怒れるままにデシレアが言えば、オリヴェルの顔も益々渋くなった。


「あの女か」


「お知り合いですか?」


「許してもいないのに馴れ馴れしく名を呼ぶうえに幾度も婚約を申し込まれ、幾度も断っている。君こそ、知り合いなのか?」


「デビュタントが一緒でしたので。夜会で幾度かお見掛けしたことがあります」


 幾度か。


 言いつつ、デシレアは、幾度でもないな、と自嘲した。


 グリプ伯爵令嬢とデビュタントが一緒だったのは事実だが、その後すぐに家計が傾いたデシレアは、夜会はおろか、茶会にさえほとんど出席していない。


 そんな事より領地領民と家族が大切、と割り切っていたつもりだが、こんなところで張りたい見栄は残っていたのか、と自分に突っ込みたくなった。


「そうか。王城内で突如攻撃魔法を使うなど、完全なる危険分子、処分対象だからな。二度とその姿を見ることは無いだろう。安心しろ。仇はきちんと取ってやる」


 にやりと笑ったオリヴェルの口調から、グリプ伯爵令嬢は社交に出るのも難しくなるのだろうな、と思いつつ、デシレアは護衛騎士へと目を向ける。


「それと、オリヴェル様。内通者があそこに」


「なるほど。それで都合よく現れることが出来た、というわけか」


「なっ・・何を証拠にそのような!」


 立場も忘れ食ってかかる護衛騎士に、リナも使用人の彼も、その行動の異様さを言い募る。


 護衛対象であるデシレアが攻撃されても動くことのなかった護衛など、何の意味もないと言われ、騎士はその眦を吊り上げた。


「自分は、騎士として誇りをもっております。咄嗟に動けなかったからといって証拠も無しに、そのようなそしり」


「ちょっと失礼」


 護衛対象が攻撃されたのに動けなかっただけで充分厳罰対象だ、とオリヴェルが言うより早く、デシレアは激昂する騎士が帯剣している、その柄の辺りの上衣をささっと探り、小型の鏡を取り出した。


「っ」


「これを三回、光らせていたわよね。厨房の棟の管理人室の所で」


 ふふふ、と笑えば護衛騎士が絶句する。


「手引きして逃走させる、か。そういえば、貴様の家は下級とはいえ代々騎士を生業としてきたのだったか。それが途絶えるとは残念なことだが、まあ、国にも王城にも損害は無い」


 暗に、ひとりの責任では済ませないと告げ、オリヴェルは鷹揚に騎士団へと連絡を入れた。


 そうして即座に対応した王城の他の騎士に、グリプ伯爵令嬢に協力した男は力なく連行されて行った。


「デシレア。怖い思いをさせてしまった」


 護衛騎士だった男が連行され、使用人の彼も仕事のため執務室を出た後、オリヴェルがぽつりと呟く。


 その顔は、さきほどまで冷然と断罪していたものと違い、そこはかとない弱さがある。


「怖い思い、ですか?」




 推しの憂い顔、頂きました!


 それに!


 今、推しが!


 推しが、今!


 ごく普通に私の名前を!



 ともすれば踊りだしそうな弾む気持ちを抑え、怖い思いとはなんぞやと考えつつも、表面冷静にオリヴェルを見れば、その目が労わるようにデシレアを見つめている。




 んん?


 なんでそんな辛そうな。




 思うデシレアにかかる、あたたかな声。


「ああ。その恐怖が、あれほどの怒りとなったのだろう?」


 迷い無く護衛騎士を断罪する姿は凛々しかったが、と優しく言うオリヴェルに、デシレアはその怒りを思い出した。


「怒り・・そうです、オリヴェル様!それはもう、素晴らしい炭だったのです。固く、黒く、変色も無くつやつやで。あれほどの炭はなかなかありません。必ずや、素晴らしい働きをしてくれたはずでした。それなのに、あんなむごい・・・!」


「「炭?」」


 その予想外の言葉に思わず呟いたのは、オリヴェルだけではない。


 共に居たトールも、それはもう不思議そうな目でデシレアを見ている。


「そうです、炭です!生活に欠かせないがゆえに消費率も高く、だからといって安さに負けて質の悪いものを購入すれば、煙が酷くて家のなかが大変なことになってしまったりするんです!そこまででなくとも、料理が煙臭くなって味が落ちてしまったりしますし。でもあの炭は、絶対にそんなことの無い、素晴らしく良質な炭だったのに。あんな風に無残に水浸しになってしまって」


 しゅん、と肩を落とすデシレアに、オリヴェルもトールも暫し目を瞬かせてから、何とか正気返る。


「あ、ああ。炭には気の毒なことだった?が?・・・それより、君自身も攻撃を受けたのだろう?上手く防御を展開した、と聞いてはいるが」


「あ、はい。私は、極小規模な防御壁しか張れないので、竈と炭を護ることはできませんでしたが、キッシュとパイは無事です!ご安心ください」


 そんなに食べてみたいと思ってくれて嬉しいです、と言われ、何とか炭を大切に思うデシレアの心に添いつつ、言外に炭より君が大事だと言ったつもりのオリヴェルは絶句し、トールは思わずといったように吹き出した。


「そ、そうか・・・いや、キッシュとパイでもなく、だな」


「はい!炭の仇を取る、と仰ってくださったのも嬉しかったです!あの、それでですね、オリヴェル様。竈は使えなくなってしまいましたが、温めるための器具は借りて来られたので、ここで温めてもいいですか?」


 もごもごと言い募るオリヴェルに、デシレアはまたも不思議なことを言い出した。


「ここで?」


「はい。ストーブで温められます。ただ問題が」


 躊躇うように言うデシレアに、オリヴェルは別の意味で首を傾げる。


 彼女が指をさしているのは、暖房器具。


 そこで料理を温めるという。


「ストーブで、温められるのか?」


「はい。ただ、料理の匂いがどうしても」


 暖房器具は部屋を温めるもの、という認識しかないオリヴェルだが、デシレアは違うらしい、とまずは彼女の懸念を消すべく声を発した。


「しかし、キッシュとパイの匂いなのだろう?悪臭ならともかく、それなら問題無い」


 そのオリヴェルの答えを聞き、嬉しそうに微笑んだデシレアは、トールへと視線を移す。


「モルバリ様も大丈夫でしょうか?」


「ご丁寧にありがとうございます。大丈夫ですよ。むしろいい香りに包まれると、より頑張れる気がします」


「では、早速温めますね」


 ふたりの答えに瞳を輝かせ、デシレアは慣れた手つきでパイやキッシュを温め始め、リナはお茶を淹れる準備をする。


 その様子を、オリヴェルは興味深く見た。


 なるほど、そのようにするのか、と。


「良い匂いです」


 そんななか、トールが幸せそうに瞳を閉じ、匂い立つ料理の香りを堪能する。


 その姿が本当に幸せそうで、デシレアまで嬉しくなった。


「モルバリ様は、いつも昼食はどうされているのですか?」


 この世界の貴族には、弁当持参という概念がない。


 しかし、オリヴェルがその専用の厨房を使ったことがない、ということは、トールも昼食をあそこで作っている訳がないということで。


 食堂にでも行っているのかと、にこにこしたまま聞いたデシレアは、次の瞬間固まった。


「ああ、昼食。そういう風習もありますよね」


「そういう風習、って。そんな遠い目をされて・・・っ。オリヴェル様。オリヴェル様は、昼食、どうなさっているのですか?」


「ん?ほぼ、というか、ここで仕事の日は食べないな」


 恐らく、という予想のもと聞いたデシレアは、予想していた通りの答えにため息を吐く。


「オリヴェル様。それでは、モルバリ様も昼食をお摂りになれません」


「どうしてだ?トールには、好きな時間に昼食へ行っていいと言ってある」


 窘めるように言ったデシレアにオリヴェルが不満気に答えるも、デシレアは呆れたように首を横に振った。


「いいですか、オリヴェル様。上司であるオリヴェル様が昼食のために席をお立ちにならないのに、モルバリ様が食堂へいらっしゃる、なんてこと、出来る筈ないではありませんか」


「ん?そういうものか?」


「そういうものです」


 言いつつ、デシレアは、ほどよく温まったキッシュとパイを皿に乗せてふたりへ供す。


「モルバリ様。お食事の前に、言い合いのような真似をしてすみません。どうか、深呼吸して心穏やかに召し上がってくださいね」


「心穏やかに?」


「はい。どきどきした状態や、苛々した状態で食べるより、ずっと消化もいいですし、美味しいと思いますから・・・はい。オリヴェル様も、すーはー、です」


 そう言ってデシレアが笑うと、その場の空気が、ふっ、と和んだ。


「それほど言うなら、君が昼食を運んでくれ。俺は、ここから出るなどまっぴらだ」


 幸せそうにパイをひと口齧った後、不機嫌を装い言ったオリヴェルの言葉は、けれど真実味に溢れている。


 執務室を出ただけで侍女や女官達に囲まれる、という話を聞いていたデシレアは、然もありなんと頷いた。


「分かりました。そのようにしましょう」


「おい。簡単にそんなことを言っていいのか?君の工房が休みの日はいつも、と希望したらどうするんだ。母上との茶会もあるし、色々と忙しいだろう」


 少し意地悪そうに眼鏡の細い縁を持ち上げたオリヴェルに、デシレアは考えるように答える。


「そう、ですね。未だ不慣れな事も多いですが、工房がお休みの日なら、何も問題はありません。お茶会は午後ですし」


 言えば、オリヴェルが真顔でデシレアを見た。


「本当にいいのか?」


「はい。おふたりに美味しいもの、食べていただけるように頑張りますね」


「そこまで無理することは無い。出来る時は君の手料理がいいが、それ以外は邸の料理人が作ったものを運んでくれるだけでも助かる・・・主に、トールがな」


「はい。とても助かります。ありがとうございます」


 にやり、とした笑みを浮かべるオリヴェルに、トールは至極真面目に答え。


 和やかな空気のなか、デシレアが持って来たキッシュとパイは、無事、ふたりのお腹に収まったのだった。



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