六、推しを訪ねて王城へ 1







 オリヴェル様、食べてくれるかな?




 王城へと向かう馬車のなか、デシレアはパイとキッシュの入った籠をじっと見つめる。


『おお。では是非、若様に昼食をお持ちください。デシレア様もご一緒に召し上がれるよう、準備いたします』


 王城まで書類を届けて欲しいとオリヴェルから連絡があった、と急ぎ伝えたデシレアに、ノアはすぐ様そう言い、エドラも大きく頷いて早速と準備を始めてしまった。


『ご昼食を、ですか?それは、オリヴェル様も喜ばれると思います。ですが、あの。書類をお届けしなくてはならないので時間が』


『ご心配には及びません。既に焼きあがっておりますので、急ぎ詰めるだけです。お任せください』


 昼食を作る間、待っていては遅くなってしまう、とデシレアが言えば、エドラはそれはもういい笑顔でそう言った。




 既に焼きあがっている?


 え?


 もしかして、それって。




 その言葉に嫌な予感を覚えたデシレアの前で、それが正解だと言わぬばかりにデシレア作のキッシュとパイが詰められていく。


『それは、温かい方がおいしいので!王城に着くまでには完全に冷めてしまうので!』


 いつか食べてもらえたら嬉しい、とは思うが、それは今日じゃないとの気持ちを募らせ焦るデシレアに、ノアがこれまたいい笑顔で告げた。


『大丈夫でございます。王城には、勤務する者が自由に使える大きな厨房と、役職にある方が個人的に使える厨房がありますので、温めることも可能でございますよ』


『役職にある方・・・』


『はい。我が若君のように』


 その言葉、表情から、ノアがオリヴェルをとても誇りに思っていることが窺えて、デシレアは嬉しくなり、役職に就いているというオリヴェルの仕事風景を想像してときめいた。


『やっぱりオリヴェル様は凄いのですね!』


 そうして胸弾ませている間にキッシュとパイは無事に籠に詰められ、身なりをささっと整えられたデシレアは、気づけばその籠を膝に、馬車へと乗り込んでいた。


「「「行っていらっしゃいませ」」」


 ノア、エドラだけでなく、満面笑みの使用人達に送られ、デシレアはリナと共に王城を目指す。


「王城なんて久しぶりだし、魔法師団がある区域に行くのは初めてだから緊張するわ。何か、してはいけないことをしそうになったら、そっと教えてね。リナ」


 デビュタントでデシレアが王城を訪れたのは二年と少し前。


 そのすぐ後、自領が魔獣の異常発生に遭うという大変な事態に陥ってしまったので、社交どころではなくなった。


 方々に騎士団の派遣を依頼し、何とか異常発生が収まってからも、壊滅状態となった領地の復旧は遅々として進まず、困窮を極めたレーヴ伯爵家は、今では王家主催の夜会にさえ出席できないような有様なのである。




 思えば、王城へ行けるようなドレスを着るのも久しぶり。




 当然のようにエドラの指示で侍女達が着せてくれたドレスは、デシレアには見覚えのないものだった。


 それはつまり、オリヴェルが用意するよう指示してくれたものなのだと、デシレアはその心配りを嬉しく思う。




 ほんとに有難い。


 領の方にも早速、潤沢な資材や経費を出してくれたって聞くし。


 もうこうなったらわたくし、推し、オリヴェル様に一生尽くす所存。




 心のなか、これまでとは違う思いでオリヴェルを拝んでいたデシレアは、隣のリナが緊張した声を出すのを聞いた。


「あの。王城は私も不慣れですので、その辺は申し訳なく」


「あ」


 考えてみれば、子爵令嬢であるリナもそう王城へ行ったことがある筈もなく、ふたりは揃って目を見合わせる。


「はーはっはっ」


 そんな緊迫した空気のなか、小鳥もどきの自信ある鳴き声が馬車内に響き渡った。


「そ、そうね、心配してもしょうがないわね。オリヴェル様が、このパイとキッシュを食べてくださるか、の心配だけするようにするわ」


「それは、何も心配要らないかと」


「はーはっはっ」


「あら。貴方もそう思う、って言ってくれてるの?ありがとう」


「はーはっはっ」


 ふたりと一羽?でカオスな会話を繰り広げるうち、馬車は無事、王城へと辿り着いた。










 ここが、オリヴェル様の執務室・・・!




 城門で待っていてくれたオリヴェルの使いだという文官の案内で、重厚な扉のひとつの前に立ったデシレアはこくりと息を呑み込んだ。


 緊張なのか、高揚なのか、この季節には寒い筈の石造りの廊下もまったく気にならない。


「閣下。ご婚約者様がお見えです・・・どうぞ」


 案内して来てくれた文官は几帳面に扉を叩き、室内にデシレアの到着を告げてから、デシレアへと優しい目を向けた。


「ありがとうございます」


 その文官に微笑み返し、デシレアは室内へと立ち入る。




 ふわああ。


 推しが、推しが格好良すぎる!


 素敵過ぎて、目が溶けそう!




 智的な隊服姿で、魔術師団団長に相応しいと思える重厚な木の執務机に向かっているその姿は、正に垂涎ものだとデシレアは心のなかで拝み倒す。


 


 ああ、もはや神ですオリヴェル様!


 部屋の雰囲気も落ち着きがあって、これぞ!って感じです。


 そこに溶け込むオリヴェル様。


 はうぅ。


 ほんとに素敵・・・。




「殺風景な部屋で驚いたか?」


 そうしてデシレアが暫し呆けていると、オリヴェルが苦笑と共に立ち上がった。




 立ち姿も素敵!


 これを絵に残したい。


 今はせめて目に焼き付けて・・・じゃなくて、書類。


 いえ、オリヴェル様が格好いいことは間違いないけど。




 心のなか忙しなく呟きながら、デシレアは表面にっこりと微笑む。


「とんでもない!とても素敵な執務室だと思っておりました。あ、こちら書類です」


「ありがとう・・・ところでそれは?何か、いい匂いがするが」


 オリヴェルがそう言って、デシレアが持つ籠を指さす。


「よろしければ、と思いキッシュとパイをお持ちしました。オリヴェル様がお好きなミートパイを、少しアレンジしてあります」


 言ってしまってから、現実世界でその話を聞いていないことに気づいたデシレアだが、誰かに聞いたことにすればいいか、と深く考えることを放棄して軽く籠を持ち上げて見せれば、ほう、とオリヴェルが目を細める。


 それを見て嬉しくなったデシレアは、しかし、その後方にもっと前のめりに籠を見つめる人物がいることに気が付いた。


「ああ。彼は、トール・モルバリ。伯爵家の次男で、私の補佐官をしている。トール、私の婚約者だ」


「デシレア・レーヴでございます。あの、モルバリ様、本日のご昼食は?」


「予定は無いです。まったく」


 デシレアの問いに、トールが食い気味に答える。


 その言い方では、まるで昼食を摂る予定そのものが無いようだと思いつつ、それだけこの籠の中身に興味を持ってくれたのかも、とデシレアは笑みを深めた。


「よろしければ、ご一緒にいかがですか?私が作ったものなので、お口に合わないかもしれませんが」


「こちらの口を合わせるので問題は皆無ですっ・・って。いいですか?」


 身を乗り出して答えたトールは、はっとしたようにオリヴェルに許可を求めた。


「そんなに嬉しそうなのを駄目だというほど、鬼ではないつもりだ」


「ありがとうございます!」


 苦笑して言うオリヴェルにそう答えるトールは、本当に嬉しそうで。


 オリヴェルよりも少し年上だろう彼に、デシレアは親近感を持った。


「ではあの、少し温めて来たいのですが」


 借りられる厨房があると聞いた、と言うデシレアにオリヴェルが鷹揚に頷く。


「ああ、分かった。今、案内させる」


 オリヴェルが卓上の呼び鈴を鳴らすと、すぐに先ほどとは違う人物が現れた。


 制服が違うので、所属が異なるのだろうとデシレアは推測する。


「お呼びでしょうか」


「婚約者が厨房を使いたいと言っている。案内してやってくれ」


「畏まりました」


 その人物は厨房のある棟の使用人ということで、オリヴェルから鍵を受け取ると先頭に立って歩き出す。


「厨房の棟、というものがあるのですね」


 リナと護衛騎士を従え歩きながら問えば、使用人の彼はにこりと笑った。


「はい。大きな厨房には小型の竈がかなりの数ありまして、申し込めば誰でも使えるようになっておりますし、その他、高い役職に就いていらっしゃる皆さまには、少し狭くはなりますが専用の厨房をご用意してございます」


「そういえば、鍵もオリヴェル様がお持ちだったわ。完全に専用なのね」


「はい。もちろん、管理はこちらでさせていただくのですが」


 


 凄い。


 福利厚生、ってものかしら。


 専用でないにしても使える厨房があるのなら不満も出にくいでしょうし、個別の厨房を持つという野心も持てる。


 上手く考えてあるのね。




 思いつつ、デシレアが使用人の彼が管理室から炭と道具を持ち出すのを待っていると、目の端で何かが煌めいた。





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