四、推しの私邸へお引越し 2







 デシレアがオリヴェルの私邸に越して来た日。


 夕食よりかなり早い時間に戻ったオリヴェルは、改めて自ら使用人達にデシレアを紹介し、その身に何の不都合も無いように仕えるよう伝えた。




 不都合、ね。


 この”不都合”のうちには、例の事に関する私の身の安全も含まれるんだろうな。


 それに、こうして主であるオリヴェル様が私のことをきちんと扱ってくれることで、使用人達からの扱いも変わるだろうし。


 そっか。


 邸での安全は、周りを味方に付けるのが肝心。


 使用人を信用できるところから、安全は高まっていくのね。




 使用人達の前に立ち、ひとりひとりの顔を見ながら、デシレアはオリヴェルとの会話を思い出す。






 それは、契約婚約すると決まって直ぐのこと。


『なるべく早く、俺の所へ越して来い』


 閨を除く夫人としての役目をきちんと果たすなら、婚約、婚姻後も無理のない範囲で仕事を続けてもいいこと、食事は出来るだけ一緒に摂ること、婚姻後、数年経ったら養子を迎えることなど、互いの契約内容を確認し、完璧だと判断したオリヴェルは、眼鏡の細い縁を指で持ち上げながらそう言った。


『なるべく早く、ですか?』


 その言い方だと本当に今すぐにでもと聞こえ、それは婚姻前にということだろうか、その理由は?とデシレアが首を傾げれば、オリヴェルは察知の悪さを咎めるようにため息を吐いた。


『俺と婚約するんだぞ?身の安全保障が欲しかったら、そうするべきだろう。失礼ながら、君の家では警備が心もとないからな』


 オリヴェルは富豪名門の公爵家嫡男で英雄、しかも史上最年少で魔法師団団長に就任した傑物。


 見目もよく爵位も高いうえ、その卓越した魔法で魔王を倒した一翼が婚約となれば、その相手が妬まれるのは当然だとデシレアにも分かる。


 そして確かに、レーヴ家の警備は心もとないどころか、辛うじて平民よりはまし、というレベルではある。


 だがしかし。


『妬まれるとは思いますが、そこまで危険でしょうか?』


 そう言って更に首を傾げたデシレアを、オリヴェルは心底可哀そうな者を見るような目で見た。


『お前、自分も女のくせに女の恐ろしさを知らないのか』 


『恐ろしさ、って。妬んで嫌味を言うとか、蔭口叩くとか、ありもしない噂を流すとか・・・あ、私の悪評が広まると確かに侯爵家にご迷惑がかかりますね』


 なるほど、と、ぽん、と手を打ったデシレアは、その額に痛みを覚えて目を見開いた。




 え?


 デコピン???




 デシレアの目の前には、額を弾いた状態の推しの指と、眉間に皺を寄せた不機嫌な推しの顔。




 ち、近い!


 麗しい!




 その眩しさに思わず目を瞑れば、オリヴェルが大きなため息を吐いた。


『もういい。明日来い』


『え?明日、は、流石に』


『死にたくなかったら、来い』


『死!?』


『言っただろう。女は恐ろしい、と。伯爵夫妻には、俺から話をする』


『えええええ』


 そう仰け反ってしまったデシレアは、しかしその後すぐに自分の考えが浅かったことを思い知る。




 あの時はオリヴェル様の考え過ぎだと思ったけど、あれが一般的な考えだったとは思いもしなかったわね。




 オリヴェルに宣言された後、速攻で行われた話し合い。


 それが、明日からでもオリヴェルの私邸にデシレアも共に住む、というデシレアにしては突拍子も無い内容だったにも関わらず、生家のレーヴ伯爵家も、婚家となるメシュヴィツ公爵家も、誰ひとりとしてそれを過剰な事だとは言わなかった。


 それどころか、未だ婚約発表前だけれど同居は少しでも早い方がいいと思っていた、ならば明日からでもというオリヴェルの言う通り明日から早速、と急かされるように身の回りの物だけを纏めさせられたデシレアは、数日暮らせる最低限の着替えだけを持って、あれよあれよという間にオリヴェルの私邸へと送り出されてしまった。


 そして今、オリヴェルの言葉を聞く使用人一同の目もやる気に満ち満ちており、未だ今一つ付いていけていないデシリアは、思わず遠い目になってしまう。




 何か、凄く大事になっているような気が。




 思いつつ、オリヴェルの言葉を聞いたデシリアは、その後オリヴェルと共に夕食の席に着き、緊張しつつも推しとの初めての食事を心行くまで楽しんだ。




 私って結構図太いのかも。




 なんだかんだ食事を美味しく平らげ、推しであるオリヴェルとも楽しく会話を繰り広げてしまったデシレアは、ふと我と我が身を振り返る。




 これも、貧乏になったお蔭といえばお蔭よね。




 領地と生家が窮地に陥って、自分も働こうと思い、動き始めた二年前。


 貴族令嬢が生活費を稼ぐなど、と嘲られたり相手にされなかったりした過去は思い出してもとても辛い。


 けれどそれがあったからこそ、度胸や根性は養われたのではないかとデシレアは思う。




 度胸や根性か。


 それこそ、貴族令嬢らしくないわね。




 内心ひとり苦笑して、デシレアはオリヴェルと共に晩餐室を後にした。


 






「ドレスや宝飾品など、必要に応じて自由に購入していいし、屋敷内で変更したい箇所があれば、そちらも好きにして構わない」


 夕食の後、送るという名目でデシレアの部屋を訪れたオリヴェルにそう言われ、デシレアは目を瞬かせた。


「お屋敷内の変更、ですか?」


「ああ。調度品や内装、庭のことなど、好きにするといい。その代わり、家政も任せるがな」


 そう淡々と言われたデシリアは、嬉しさに頬を染める。


「ありがとうございます。精一杯努めます」


 表向きだけの存在、契約上の婚約者からの妻となるというからには、夫人としての役目を果たすにしても、金銭の管理をするような権限は与えられないのかと思っていたデシレアは、その意外な言葉に胸を躍らせた。


「君は、信用できそうだからな」


 そして信頼の言葉をかけられ、その胸は更に高鳴る。


「嬉しいです。私の身の安全を確保してくださったことも、ありがとうございます」


 


 推しに信頼され、大切にされる多幸感!!




 と、にまにましそうになるのを、何とかにこにこに抑えてデシレアが言えば、オリヴェルが慌てたように声を発する。


「勘違いするな。ただ、契約相手がいなくなったら困る、それだけだと心に刻め」




 心に刻め!?


 言い方も素敵です、流石推し。


 もちろん、しっかりくっきり刻み込みますとも!




「はい!大丈夫です。私達は、契約の婚約者、ですよね!」


 明るく宣誓するように言ったデシレアを、オリヴェルが不信感あふれる瞳で見つめた。


「お前な・・・本当に、分かっているのか?」


「もちろんです!ばれないように頑張りましょうね!」


 


 表向きだけとはいえ、推しと婚約して結婚して、ってことは、ずっと一緒に居られる、ってことだもの。


 推しは遠くにありて尊ぶもの、拝むものとか思っていたけど、近くで見つめる推しも最高。


 こんな幸せ、ないわー。




 契約なのにこんなに嬉しそうにされると調子が狂う、とぶつぶつ呟くオリヴェルを前に、デシレアは『こんなオリヴェル様も最高に素敵。推し万歳』とその困惑顔を見つめ続けた。



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