第7話 天使の恩返し
「あの、もしかして気にしてるんじゃ……名前の、こと」
多分、俺には上手にそれとなく話を進めることなんてできない。だから思い切って本題を言い放ってみた。
すると
「え……」
彼女の視線が真っ直ぐ飛んできて、逸らすことを許してくれない。
緊張でうまく頭が回らない中、必死に単語をかき集めて言葉を紡ぐ。
「えっと、その、だからさ、名前で呼び合うことになったじゃん? それで走り出したから……自分の名前について何か気にしてるのかなって。ほら、今日ずっと元気も無かったし」
俺の言葉を聞いた空橋は、ぽかんと口を開けて突っ立っていた。やがてその表情はくしゃくしゃになり……瞳に涙を溜めたかと思えば、それを大粒の雫にして一気に零した。
「うっ……うぁあぁ……」
空橋は崩れ落ちるようにして柵から手を離し、嗚咽を漏らして泣き始めてしまった。地面にしゃがみ込んでしまってはいるものの、手で顔を覆っているため表情はよく見えない。しかし地面の土に彼女の涙がぼたりぼたりと落ちていった。
人を泣かせてしまったことに動揺を隠せないが、なんとか最善と思われる言葉をかける。
「……ちょっと、座って話そう」
「うぁぁ、ああぁあああ……」
しかし一向に泣き止む気配はない。困ったな……どうしようか。俺は取り敢えず空橋の隣に腰を下ろした。すると彼女も涙を手で拭いつつ、顔を覆ったままゆっくりと話し始めた。
「わ、私さ……別に自分の名前が嫌いなわけじゃないの。むしろ好き! でも……」
空橋の人差し指が地面の砂に複雑な模様を描く。
「なんかさ、周囲から感じるんだよね、普通の名前じゃなきゃいけないって圧力みたいなのを」
そうか……それで悩んでたのか。俺はてっきり自分の名前が嫌いなんだと思っていた。それだと解決するのが難しいのでどうしようかと思っていたのだが、どうやら奇跡的に俺の得意分野らしい。
――しなきゃいけないことなんてない
こんなモットーを四年間も大事にしている俺は相当ダサいのだが、役に立ちそうだ。
空橋は「普通の名前でいなきゃいけない」と思っているのだから。
「あの……どんな名前でも良いじゃないかな。間違えて呼ばれることとかあってもさ、空橋さん友達いっぱいいるじゃん。俺なんて
「間違えて呼ばれる?
ガバッと顔を上げ、俺の顔をまじまじと見つめがら問うてくる。
しまった……正直にあの時の会話が聞こえてたって言ってもいいけど、なんか女子の会話を盗み聞きしてたみたいでキモがられるよな……。
「ま、まあ……なんとなくというか」
「え?」
「ほら、空橋さん達の会話は、よく響くから」
「あーね……」
良かった……うまく誤魔化せた。本当に誤魔化せたのかこれ? ちょっとまだ訝しげな顔してない? 俺の苦しい言い訳に納得したのかしなかったのか判別できかねるが、空橋はゆっくりと立ち上がった。
そして通学鞄を肩にかけつつこちらに向き直った。その目は少し赤くなっているけど、いつもの快活な雰囲気に戻っている。
「あのね!」
突然発せられた大声に驚く間もなく彼女は続けた。
「私ね! 佐々木君には絶対嘘を吐きたくないの! もう今は、本当の気持ちをぶつけたいって心の底から思ってる!」
「……へ?」
じーっと見据えてくる空橋が、俺の両手を強く握ってきた。彼女の両手の温もりは、決して俺を離そうとしない。
「私ね、佐々木君に今、凄く感謝してるの。誰かからこんな風に心配してもらえたの、いつぶりだろ……。なんか私が所属するグループって、どれも毎回上っ面の付き合いって雰囲気があってさ。それが嫌だってわけじゃないよ! 毎日楽しいし! でもなんか……やっぱり違和感があってさ」
「お、おう」
空橋の手に込められた力が弱まる。彼女は少し俯いて小さな声を発した。
「だから、恩返しさせて?」
「え!? いや……別に良いよ」
恩返し。日常会話で聞かない単語すぎる。そしてここでエッチな要求ができるほど、俺は勇気を持っていない。
「いいや、良くない!」
ぶんと両手を揺らされる。
「私の気が済まない! だから佐々木君、私は自分の気が済むまで、あなたに付き纏うから! よろしく!」
言い放つと、彼女は俺の手を離して勢いよく公園を出た。そして元来た道を駆け抜け、その背中はあっという間に見えなくなってしまう。
「は、はぁ……」
朝っぱらの閑静な公園に一人取り残される。
陽キャの思考は、よくわからないな……。
***
ついにこの時がやってきた。
現在、俺たちは皆で
「やっほー
「今日もかわいいね風間美紀」
「お仕事お疲れ様です、風間美紀」
しかし、中村や空橋、
まずいな……何がまずいって、このままだと俺はせっかくいい感じに手に入れた陽キャ達からの信頼を失ってしまう。
だってこの作戦は俺が考えたのだから。
なんとかしないと……と、とにかく俺も言ってみるか。
「お、おはよう風間美紀!」
「ひぇ! お、おおおおはようさ佐々木君……」
瞬時に目を逸らし、虚空を見つめながら風間は小声で返してきた。
まさに、動揺。
……はい? どういうこと?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます