第2部 第3話

 どれだけ歩いたことだろうか。

 異質な場所に辿りついた。

 天上から地上まで白色のプレーンな壁があるのだ。

「……あの、ここは?」

 チアキは途惑いながら尋ねた。

「ハセガワさんには珍しい場所でしょう。

 シェルターの最深部です。

 ここからは『惑星CA‐N』の外になります」

 ショウは淡々と言った。

「え?」

 チアキは目を瞬かせる。

「どうして『地表主義』のあなた方、この惑星を『カナン』と名付けたのか。

 その明確な回答を得られないまま、別れてしまいましたからね。

 心残りだったのです。

 何度もシミュレーションをしたのですが満足いく回答を出ませんでした」

 手際よくプレーンの壁にショウはタッチしていく。

 細長い指先が迷いもなく叩いた場所が人工的に光る。

 いくつかのパスワードを解除しているのだろう。

 見ていて良いものではないだろうと、判断してチアキは視線を逸らした。

 もしや、これは職権乱用というものではないのだろうか。

 そんな考えもチアキの頭によぎる。

 電子音がしたと思ったら、眼前に広がったのはマゼンダ色の空だった。

 荒涼としていて何もない。

 草木一つも生えていないし、砂と岩だらけの地表だった。

「この辺りはまだ重力も空気も安定しているので、徒歩で1時間ぐらいなら歩いても健康的な被害はない。

 という結論が出ています。

 もっとも『地表主義』の方に限りますが。

 ハセガワさんなら、大丈夫でしょう」

 ショウの言葉に促されるようにチアキは一歩を踏み出した。

 生命を拒絶するかのような、鮮やかなマゼンダ色の空だった。

 あまりの美しさにチアキは息を飲みこんだ。

 まるで故郷星のエリアJ-Hで見たようなおわん型の空だった。

 これならば、毎日が朝焼けで夕焼けだろう。

「何もないんですね」

 想像と違った世界だったのでチアキはつぶやいた。

「移住区以外は手をつけない、銀河標準法の法律があります。

 私たちはすでに『神』の領域に手を出してしまいましたから、同じ過ちを犯してはいけないという戒めのようなものですね。

 法律の下でしか守られていない約束です」

 ショウは淡々と言う。

 どこか後悔するような響きがしたのは、どうしてなのだろうか。

 チアキは不信に思って、背の高い男性を見上げた。

 ショウはどこまでも真っ直ぐにマゼンダ色の空を見つめていた。

「それは『地球保全法』ですか?」

 チアキは尋ねてしまった。

 ショウの黒に近い深い焦げ茶色の瞳がチアキを見た。

 故郷星で、ヨコヤマの姓を名乗る以上、ありきたりな色の瞳だろう。

 チアキとて似たり寄ったりの黒髪茶色の目だ。

 Jから始まる場所では、市民番号と同様、チアキの瞳は珍しい部類に入るかもしれない。

 俗にブラウン・アイと呼ばれように、ほんの少しばかり虹彩が淡いのだ。

 広い故郷星では目立たない部類の色だろう。

「私個人的には話してもかまわない類のものだと思いますが、『地表主義』のハセガワさんは知らない方が良い話でしょう。

 宇宙の外に出ていけば知るような知識ですが、この『惑星CA‐N』から一生出るつもりがないなら負担になるだけの話です」

 ショウは静かに言った。

 いわゆる『好奇心は猫を殺す』という類の話だろうか。

「それが嫌でヨコヤマさんは『惑星CA‐N』に配属希望を出したのですか?」

 チアキは尋ねた。

 ショウはしばらく考えて

「やはりあなた方は天国に程近い。

 普通は、他者にそこまで思いやれません」

 口を開いた。

「立ち入ったことを尋ねて、すみません」

 チアキは謝った。

 プライベートなことに踏み込んでしまった。

「褒めたつもりだったのですが、言葉足らずだったようですね。

 あなた方は、そのままでいてください。

 『地表主義』のみなさんは、聖域です。

 それが人類の総意でしょう。

 ハセガワさんの言ったとおりに、私はすべてから逃げ出したかったのかもしれませんね。

 東の方〈エデン〉に辿りつけば答えが出ると信じたかったのでしょう」

 ショウは空に視線を戻した。

「ここは楽園ですか?」

 『カナン』同様に古い言葉だ。

 〈キャスケット〉に入る前の会話が気になって、その後、チアキが単独で調べた結果だった。

 両親にも友人にも話してはいない。

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