第10話 語られる希望、託された可能性
月日が流れ、俺もそろそろ十六で成人する頃だったろうか。
いつものように村長さんの手紙をニオさんに届けた時、ふと呼び止められた。
「なんですか? 素振りならしっかりと……」
振り返ると、ニオさんが少しばかり深刻そうな顔をしていた。
けど、すぐにいつもの余裕を秘めた微笑み顔に戻る。
「ねぇカイム、君に夢はあるかい?」
「い、いきなりなんですか……」
「ほらあれだよ、お節介かもしれないけど、もうすぐ成人だろう? 世話になった分、君の将来を一緒に考えてあげようかなってね」
「大きなお世話ですよ」
何かを誤魔化された気がするが、それは黙っておいた。ニオさんは出会ってからずっと、何かを隠しているようだったから。
それにニオさんと出会って十年近く経つが、剣術でも口先でも勝てるとは到底思えない。
剣術は素人目で見ても達人なんてレベルじゃなく、まだ本気を微塵も出していない様子だ。
そんな人の元で十年学んだから、今や村の大人も俺には強く出られない。
まぁ口先でなら、唯一出会った時だけ勝ってはいたが。
しかしそれだけ、余裕がある時のニオさんは飄々としており、口が回る。
そんな相手に振られた話に、「そうですねぇ」と思いふけると、一般人として当たり前のような答えを返した。
「美人のお嫁さん貰って、子宝に恵まれて、子供と孫に囲まれながら老衰で死ねたら満足ですよ」
抑揚もなく答えると、ニオさんはとてつもなくつまらなさそうな顔をした。
「なんだいそれ、贅沢なようだけど平凡すぎやしないかい?」
「そうですかね? でも、俺はそんな夢でも叶わないと思ってますよ」
「どうしてだい?」
首を傾げたニオさんに、俺は溜息交じりに答える。
「この村に同年代の女なんていなくて、村を出ようにも男手が必要だから許されなくて、気が付きゃオッサンになってるからです」
ふぅん、とニオさんは俺を見ながら相槌を打つ。だがやがてニンマリ笑うと、とんでもないことを言い出した。
「ならボクがお嫁さんになってあげようか?」
「ブッ!!?」
「おやおや、てっきり「興味ないですよ」とか返ってくると思ったのに、もしかして意識してたのかな?」
「だ、誰がアンタなんか女っ気のない人を……」
そう言って睨んだニオさんは、十年近く経ってもチッとも変わらない見た目で「本当かな?」なんて笑っている。
実際、大人になるにつれて、中性的な見た目のニオさんの事を美人だと思う機会は増えていた。
チラッとその顔を見れば、女っ毛がないとか、中性的とか色々と表わせるが、しっかりと女性の顔つきをしている。
紫紺の瞳はツリ目気味にパッチリと開き、どこか勝気な雰囲気を醸し出している。とても色白な肌に映える小麦色の長い髪は、横上が特徴的に肩から垂れていて、本人曰く拘りだそうだ。
……俺も実は似合っていると思っていたりする。
それに身体つきこそ貧乳で寸胴で華奢なのに、なぜか立ち姿は力強さを感じさせる。
村の大人なんかとは比べ物にならない威厳があるようで、剣士の端くれとしても、男としても、自然と憧れていた。
そんな相手と結婚? 魅力的だし付き合いも長くなったが、ハッと我に返り、俺は目を細めて言ってやった。
「アンタ、自分が何歳だと思ってんですか」
「色々と言いたいけど、女性にそれを聞くのは非常に失礼だと言っておこうかな」
「またそうやってはぐらかして……! 十年前の時点でその見た目なんですから、とっくに三十近いでしょうが!」
「じゃあ逆に聞くけど、君が十六で、ボクが三十なら不服かな?」
「そ、それは……」
悪くない。そう思ってしまう自分がいる。
そんな考えなど見透かされているのか、ニオさんはケラケラと笑った。
「歳の差なんて気にしたら負けだよ。大事なのは、相手が自分の人生にとって希望になってくれるかだ」
希望と聞いて、今度は俺が首を傾げる番だった。
「普通、結婚相手に求めるのって、趣味が合うとか仲がいいとか、そういうのじゃないんですか?」
「……まだまだ子供だね」
「うるさいですね! 仕方ないでしょ、ニオさんと母さんくらいしか女の人と接しないんですから!」
「まぁそうだね、こんな閉ざされた村じゃ仕方ないか……ボクには都合がよかったんだけどさ」
そう言ってニオさんが俺を見つめると、「希望」について教えてくれると言った。
「悲しくも人間と魔族が争い、戦いの渦中で人も魔族も死ぬ世の中になってしまった。互いに知性があって、価値観があって、死生観だってあるのに、言葉ではなく剣を取ってしまう」
なんですかいきなり、という言葉を飲み込んだ。語る言葉は、とても普段のニオさんからは考えられないほど真面目なもので、口調もまた、諭すようなものだったから。
思わず息をのんでしまい、続きに耳を貸す。
「互いに文明もあり、愛情と道徳心をもって家族を作り、生きていく。そこに大きな違いはないから、本来なら争うことなんてないはずなんだ。ただ世界は、そういう真実が見えないくらい暗くなりすぎた……そんな世界を、希望の光は照らしてくれる」
動揺すると同時に、急に難しいことを言いだしたと思った。というか、どこか遠くを見るようで、普段のニオさんとは別人のようだ。
いつものように茶化すのではなく、真剣な面持ちをしている。俺はそんなニオさんの言葉を聞いて、自然と口を突いて出た言葉を向けてみた。
「世界を照らすなんて馬鹿みたいに大きな希望の光と、結婚相手に何の関係が……?」
問うと、ニオさんはフッと笑って、「小さくていいし、なんだっていい」と言った。
「結婚相手を、生涯を共に幸せに過ごせるように希望を込めて求めるんだ。そうして出会った二人の希望が重なり合って、結婚して、新たな希望――命が生まれる。そして家族という、暗い世の中で細やかなれど確かに今までより強く光る希望になるんだ。文明の中でそういう善なる光りが沢山生まれれば、世界を覆う暗闇だって照らせる……かもしれない」
「かもしれない?」
とことんニオさんらしくなく、その語尾はとても弱弱しいものだった。
今のニオさんは、どこかおかしい。だけど、俺にはそれを具体的な言葉に出来ない。
安直な言葉にしてしまうことを、なぜかニオさんを包む悲壮感が阻んだのだ。
なにか、例えようもなく重たい物を背負いながら立ち上がろうとする姿に見えて、俺なんかの十六年で培った価値観だとかでは、とても太刀打ちできない。
そんな風に俺が言葉に窮していると、ニオさんは少し疲れたような笑みを見せた後、「誰かが世界を照らすほどの希望の光になれたらいいのにね」と、深い息を吐き出しながら言った。
力にはなれない。知識も貸せない。何をそんなに思い詰めているのかも分からない
それでも俺は、この奇妙な出会いをしてから共に過ごしてきた人の、始めて見せた辛いなんて言葉では足りない表情と声に、どうしても我慢できず、愚直な勢いのままに言葉を吐き出していた。
「お、俺なら! そんな希望の光になれますよ!」
言って、自分でもとんでもないことを口にしていると思い、黙ってしまう。
だが、ニオさんは間の抜けた顔をした後、いつものようにフッと笑ってから立ち上がり、部屋の隅に立てかけてある長細い包みを取った。
「そうだね、君には剣術の才がある。比較対象がボクしかいないから分からないかもしれないけど、天才のそれだ。それにこの十年君を見てきたけど、悪意のない正しい人間ということは、良く知っている――君ならなれるかもね、世界を照らす希望の光に。そのためには、」
ニオさんは包みを解いていく。中に何があるのか、俺の視線はくぎ付けになっていた。
なにせ、出会った時から華奢なその体に不相応な大きさの包みは、一度も中を見たことがない。
ただ、村長さんからの手紙をみた後、あれをもってどこかへ出かけることが何度かあった。
いつも何のために持っていくのかとか、そもそも何を包んでいるのかとか、そういうことを聞いてもはぐらかされていたが、ニオさんが包みを解くと、その謎はいくらか解けた。
「黒い、剣……」
「名前はアステリオンだよ。闇を斬り光を照らす希望の剣だ」
「どういう、ことです……?」
「そのまんまだよ。悪意を込めてかけられた呪いを絶ち斬ったり、闇の誘惑に飲まれた人にとっては有害だったりする。まぁ、こればっかりは説明しきれないかな」
そう言って、ニオさんは「でも」と、アステリオンとやらに哀愁の漂う視線を向けた。
なぜそんな目をするのかは、分からなかったけれど。
「この剣は使う相手を選ぶんだ。とは言っても、人間なら余程の悪人じゃない限りは持てるんだけどね」
「それを、なんで俺に見せるんです……? 今まで隠していたのに」
「……さっきみたいな馬鹿みたいに真っ直ぐな台詞、そうそう言えたものじゃないよ。それに、剣は誰かの手で振るわれてこそだ。だから、もしボクが”ほんの少しの時間ですら”これを振るえなくなったら、君に託そうと思う」
「振るえなくなったらって、じゃあ普段それを持ち出してるときは……!」
ニオさんはコクリと頷いた。いつも村長さんからの手紙が届いた後、アステリオンとやらを手に、この人は何かと戦いに行っているのだ。
そして、人間が戦うなら相手は魔物だ。でも、この近くに魔物なんて……
「当てようか? ここらへんに魔物はいないって思ってるよね」
心の内を言い当てられ、狼狽しながらも頷く。すると、ニオさんはいくらか頷いて、「そりゃそうか」と呟いた。
「もうこの際だ、ハッキリ言うと、魔物たちはボクとこの剣を探してこの森に入ってきている。村長さんには、ちょっと嘘をついて魔物が迫ってるから、用心棒代わりにボクを雇わないかって言っちゃったけど、どうにも君には嘘をつけないね」
「じゃあ、最初に出会った時にボロボロだったのって……!」
「うん、魔物に追われて満身創痍だった。魔力も使い果たして、とても戦える状態じゃなかったんだ。アステリオンも、”もう振るえなかった”」
振るえなかった? と聞き返す俺に、ニオさんは十年前の出会いを思い出すように言った。
「覚えているかな、出会った時も、アステリオンは包んであったろう?」
確かに森から出てきたニオさんは、アステリオンを手に戦う姿ではなく、包んで担いでいた。
それはなぜか。ニオさんは自嘲気味に笑いながら、アステリオンを手に持つと、その刀身が黒く光り、不気味な魔力がニオさんの体を包む。
苦しげな顔をしながら、見ての通りと苦笑いを浮かべた。
「ボクはアステリオンに認められてないんだ。嘘つきだからとかじゃないよ? もっと深い理由があってね……」
なんて言いながらも、ニオさんはとても苦しそうだ。
説明なんていいからとっとと手放すよう叫ぶと、包みに入れてあった鞘にしまう。
それでも黒い魔力は溢れるが、ニオさんは鞘にしまったアステリオンを俺に差し出した。
「見ての通りだ。ボクじゃ扱いきれないからね。それに、ここで十年も休んで、ずいぶんと調子も取り戻した。もうアステリオンがなくても戦える。だから、」
「君に託すよ」
もちろん俺は勢いで言ってしまったことで、ニオさんの大事なアステリオンを託されるなんて無理だと言った。
けれど、ニオさんはいつものように笑いながら「じゃあ気が向いたら使えるように」なんて言って、「契約を結んでおいてくれないかい?」と言ってから、流れに乗せられて契約とやらを結ぶと、今日は帰ってもいいと手を振っていた。
どうにも心がかき乱される。明日、もう一度しっかり話をしよう。
そう思い帰ってしまった事を、まさかその先ずっと悔いることになるとは思いもしなかった。
ニオさんと話したのは、その日が最後になってしまったのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます