第20話 覚悟を問う
──天宮楓が姿を消した。
光希が部活動の新入生勧誘の波に呑まれ、身動きが取れなくなっていた間のことだった。今まで、特に楓が無抵抗のまま殴られていたあの日からはより一層、注意を払って楓を見ていた。もし、また何かあったら今度こそ守れるように。感覚の鋭い楓のことだから、本当は光希が見ていることにも気づいていただろうけれど。
勧誘の波からやっと抜け出して、校舎からすぐの新入生勧誘用のブースが並ぶ場所へ駆ける。ざわざわとした異様な空気の中を無理矢理に進んだ。数多の部活が引き入れようと騒ぎを起こすほどの光希が通っても、誰も見向きもしない。注目されないのは楽だとはいえ、すべての生徒たちが同じ方角を見て立ち惚けているのは異常だ。前の生徒を押しのけ、光希は開けた空間に顔を出す。そして、累々と倒れ伏す生徒たちを足元に見た。
「光希!」
「楓が、楓が!」
昏倒させられた生徒たちの救護活動が行われる中、夏美と夕姫が走って光希の元にやって来る。要領を得ない言葉だけでも光希には何が起きたのか知れた。
「天宮が、これをやったんだな」
「光希は楓が強いこと、知ってたの?」
光希があまりにも落ち着いていたから、夏美がそう尋ねたことも納得がいく。圧倒的な敵の前でなすすべもなく敗北を喫したとばかりの
「ああ。あいつは武術だけならおれよりもずっと強い」
「そんなに……」
「二人とも、天宮がどこへ向かったか分かるか?」
焦る気持ちを抑え、慎重に問う。この場には霊力の痕跡が濃く残されていた。生徒たちが放ったであろう術式の残滓ではなく、さらに強い術式の気配。光希は眉を顰める。途轍もなく嫌な予感がしていた。
「えっと、東校舎の方だと思う」
真剣な光希の眼差しに気圧されつつ、夕姫が答える。助かった、と言葉を残して光希は走り出した。
「天宮!」
呼んでも返事はない。楓が向かった方角をすべて、探して回る。新入生勧誘用ブースを作るために消費した木材の欠片や空っぽのペンキ缶なんかで溢れたゴミ捨て場。以前、授業で術式訓練用に使用した的の並ぶ広場。園芸部の管理する花壇。どこにも、黒髪をポニーテールにした少女の姿はない。
かぁ、と
広い学校の敷地を駆けずり回っても、楓はいなかった。一刻も早く見つけなければ、と心が騒ぐ。
普段の底抜けた明るい顔、ふとした瞬間に垣間見える寂しそうな顔、バケモノなのだと告げたときのヘタクソな笑顔。全部が光希の頭の中に焼き付いている。光希にはもう、どこか歪なあの少女を放ってはおけない。忌々しいことだが、光希はとっくに天宮楓の護衛であることを認めているようなのだった。
なのに、また。
「光希、それ以上ここを探しても無駄よ」
振り返ると木葉が立っていた。
「なら、早く外を探さないと。早く」
「──落ち着きなさい」
厳しい声にぴしゃりと打たれ、光希は肩を揺らす。
「楓がいなくなって焦る気持ちは分かるわ。あんたが取り乱すのもよく分かる。あんたは一度、護衛任務を失敗しているものね」
「ッ!」
光希の視界が揺れた。過去と現在が振り子のように揺れて、入り乱れる。血塗れの両手で体温の薄れていく小さな身体を抱きしめたこと。雪の降る日、光希の目の前で白い少女は撃たれたのだ。もう二度と、護衛はしないと誓いを立てるほどに鮮烈な冬の日の出来事。
「でもね、闇雲に動いていいことは何一つないわ。私たちの方でも調査は進める、できる限り早くあんたが動けるように。とりあえず分かったことと言えば、楓に対して常軌を逸した暴力行為が何度かあったと思うのだけど、そのすべてで術式の使用が確認されたことね。暗示系のものよ。悪意なんかを増幅する形の術式だったわ。もともと無能の楓に対して鬱屈した感情を抱いていた生徒たちには、さぞかし掛けやすかったでしょうね……」
「待て。さっき天宮が生徒を倒していた場所にも術式の痕跡があったぞ」
木葉の唇が歪んだ。
「……なるほど、そういうこと。楓を狩るための罠ってことね。暗示術式が使用された場所の半径二十メートル以内、同時刻に同じ生徒の姿があったわ。桜木花蓮という名の生徒。おそらく彼女が
「
「ええ。天宮と
「目的って──」
訊かなくても大体分かるけれど、訊かずにはいられなかった。光希の予想は正しくないと、否定してほしくて。そんな光希の心中を見透かしたように木葉は目を細めた。
「天宮の姫を殺すことよ。正確には、天宮という家を排除することが目的。天宮によって霊能力者の世界が支配されていることこそを、彼らは問題としているの。天宮の姫は天宮の象徴で、しかも今代の姫は無能と考えられるのなら、楓が標的になることは想像に難くないわ」
「なら、余計にもたもたしている場合じゃないだろ!」
楓が殺されてしまうかもしれないというのに、落ち着いてなんていられない。歩き出そうとする光希を木葉は再び引き留めた。
「……だから、落ち着きなさいって言っているでしょ!」
「そんなことできるわけがないだろ! 天宮を、見失ったのはおれのミスだ。おれが、目を離しさえしなければっ!」
「馬鹿ね。認めたくないけれど、私たちは
木葉の黒い瞳は真っすぐ光希を見つめていた。嘘も偽りもない混じりけのない黒だ。そんな目で見られてしまえば、言い返す言葉も見当たらない。
「手勢は少ないわ。きっと楓を追えるのはあんただけ。だから、ここで訊いておくわ」
──あんたにあの子を救う覚悟はある? たとえ何があったとしても、あの子を守り抜く覚悟はある?
考えるよりも先に光希の唇は動いていた。
「ああ。おれはあいつの護衛だ。それに、もう逃げるのはやめにしたから」
心に従って、新しい誓いをここに刻もう。
「おれがあいつを守る」
言ってから感じた。この答えは初めから、光希の中にあったのだと。
木葉が満足げに微笑んで、光希に向かってUSBメモリを放り投げた。きらりと光るプラスチックを捕まえると、木葉は告げる。
「ここに天宮楓についてのデータが入っているわ。あの子がどうやって生きてきたのか、すべてではないけれど、ここに記録されてる。渡すかどうか迷っていたけれど、渡すことにしたわ。あの子がどう生きてきたのかを知らなければ、きっとあんたの声は届かない。明日までに目を通しなさい」
光希は握りしめたUSBメモリに視線を落とす。小さな無機物の塊に、一体どれだけの真実が秘められているのだろう。
「ありがとう」
感謝されるいわれはないとでも言うように、木葉の姿は夕闇の中に消え去ってしまっていた。
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