【+α】赤信号を渡ると異世界だった

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 赤信号だなんて、気づかなかった。

 不注意で飛び出して、車に轢かれてあっけなく死んだ。


 ──オレは……ワタル。それだけははっきり思い出せる。でも、他のことは、あんまりわからねえ。──


 家族のことは思い出せないが、貧しい生活を送っていたことは覚えている。日本に暮らしていたことも。しかし、何故か意識がぼんやりしていて、具体的な時期や場所、年齢は思い出せない。自分が高校生だったのか大学生だったのか社会人だったかすらもわからない。

 しかし、生々しい衝撃の感触を覚えていることから、交通事故で死んだことだけは確かだと感じた。


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 気がついたら、ワタルは洞窟の中に空中にふわふわと浮いていた。洞窟の中には鏡のような鉱石があり、それに反射している姿が見える。それによって、ワタルは今の自分の姿を確認することができた。


 ──赤い……。人魂みたいだ。──


 赤色の火が小さな球体の形に固まったような、そんな不思議な姿をしていた。そして、手足もないのに、動こうと思った方向にゆっくりと移動することができる。


 洞窟の中には、ワタルと同じくらいの小ささの火の球体が漂っている。それぞれ色が異なり、美しささえ感じる。


 そんな不可思議で幻想的な光景を見たワタルは、自分が死んだ後、どこか別の世界に来たのだと直感した。

 しかし、自分がどうやってこの洞窟に来たのか、そしてなぜ自分が火の玉の姿になっているのか、ワタルにはまったくわからなかった。


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 やがてワタルは、目的のないまま彷徨うのに飽きて、洞窟の探索を始めた。洞窟の構造は入り組んでいて、地下へ地下へと通路が延びていた。


 そして、ワタルの小ささでないと通れないほど狭い、落盤した通路を通り抜けた先。

 洞窟の最深部には、不気味に輝く謎の魔法陣があった。


 ――なんだろう。これは……。――


 周囲を浮遊してじっくり観察してみる。魔法陣の近くには、小さな屍が倒れている。小柄な骨格から、哀れな屍の正体がおそらく幼い少年だったのだろうということが想像できた。黒い髪が、名残のように残っている。その屍はローブを着て、魔法書らしきものを持っていた。魔法書はみたこともない言語で綴られており、解読できなかった。しかし何故か部分的に日本語で書かれたメモが残っていた。


 内容は、『日本に帰りたい』『でもお母さんはぼくを叩くから嫌い……』『帰れないならせめて大好きなお父さんに会いたい』と書いてあった。魔法書の持ち主らしい人物の名前も記載されていた。


『ぼくの名前は鬼沢茂おにざわしげるです。で、この世界に連れてこられました』


『勇者になるなんて嫌だったから、逃げ出しました。でも、逃げる途中に怪我をして、もう動けません』


『ぼくの魔力では、大したことはできません。生きてる人間を連れてくる式は、書けませんでした。それでも会いたい、助けて、お父さん』と書いてあった。

 

 ――ああ、きっと、この子が書いた魔法陣で、オレはこの姿になったんだな。だからどうってことねえけど、謎が一つ解けたのは、よかったな。――


 生前に暇つぶしで良く読んでいたWeb小説に、『異世界転生』『魔物転生』というジャンルがあったことをワタルは朧気に思い出す。そして、交通事故で死んだはずのワタルは、という可能性に思い至った。


 もしそうなら魔法陣を描いてくれた屍に感謝しても良いのかもしれない。そうだとしても、ワタルは何の魔物になったのだろう。正式名称がわからないうちは、便宜上自分や周囲のことを『ソウル』と呼ぶことにしようと決めた。ワタルは、しばらく洞窟の最奥部を探索していたが、屍と魔法陣以外には何もなかった。


 退屈したワタルは、洞窟の上層を目指して移動を開始した。ソウルの動きはゆっくりで、途方もない時間がかかったが、退屈しのぎには丁度よかった。


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 今の体で何ができるのか、色々試行錯誤しているうちに、ワタルは周囲に浮かんでいる色とりどりの『ソウル』を取り込んで巨大化できることを知った。

 そしてワタルは、他の『魂』を取り込むごとに、その『魂』が有している知識を少しずつ得ることが出来ていた。例えば刀工からは刀の作り方を、技師からは技術を。


 しかし、不思議なこともあった。ワタルが取り込んだ『魂』は、日本人男性の魂だらけだった。何故だか、女性の魂は、一つもなかった。


 ――オレは、日本人の魂をたくさん取り込んで、日本の文化や技術に関する深い知識を得られた……。ソウルの姿から変化できないのだとしても、外に出られれば、どうにかしてこの知識を活用できるかもしれない。――


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 さらにわかったこともあった。ワタルの意識や記憶は、体の大きさと相関関係があるらしい。数え切れないほどのソウルを吸収すればするほど、意識がはっきりして前世の記憶も鮮明になってゆく。

 やがて三十倍ほどに体積が膨らんだ頃、ワタルはようやく自分の生前の名前や、記憶、をすべて思い出した。


 ──ああ、オレは……。生前のオレは……なんてどうしようもない……。──


 あの魔法陣についても、推測ができた。あれは、おそらく、ような術式なのだろう。


 どうやればそんなことができるのかは分からない。しかし、幼い術者がは、他でもないワタルにはわかってしまっていた。わかったところで、術者はとっくの昔に死んでいる。もう、どうしようもないことだった。

 

 ――生前のオレは、馬鹿だった。大切なものが何なのか分からないまま、許されない罪も重ねてきた。だから、きっと、こんなに赤い姿で生まれ変わったんだな。。それなのに、目を背けて、逃げて、ごめんな……。──


 赤い巨体を蠢かせて、ゆっくりと洞窟の外目掛けて浮遊を続けた。渡の心は興奮で湧き立っていた。まだ見ぬ外の世界に強い希望を感じている。


 ――でも、今のオレなら、きっと、楽しいができるはずだ。今のオレは魔物だけど、意思疎通ができるかもしれねえし、なんとかなるよな、きっと。今度こそ、幸せで、裕福で贅沢な生活がしてえよ。……叶うなら、茂と一緒に……。無理かな……。――


 長い長い洞窟をくぐり抜けて、渡は陽の光が差し込む階に辿り着いた。洞窟の出入り口がぽっかりと開いていて、そこから外の光景が垣間見える。渡は、感慨深く思いを馳せた。


 ――ああ。やっと、陽の光が見えるところにきた……。嬉しい……。――


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 ようやく辿り着いた洞窟の入り口には、茶色の髪と瞳を持つ少年が立っていた。彼の傍らには、不気味に輝く水の入った樽が置いてある。


『うわっ……!? !?』


 少年は、その不気味な水を、力いっぱい、鬼沢渡おにざわわたるの成れの果ての体に浴びせた。声帯がなく、悲鳴を上げることすらできなかった。水が浴びせられるたびに赤い体が溶け崩れて、どんどん意識も融けて消えていく。


 それでも、鬼沢渡だったものが最後に思い浮かべていたのは、愛息子しげるが生まれたかけがえのない幸せな日のことだった。


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