12月4日 ホタルガワ
ひとつ、発見をしました。バスカードに変化があったのです。
さっちゃんはバスカードを、天井の蛍光灯に透かします。真っ黒に小さな赤い三角マークしかなかったはずのバスカードに、小さな光の粒がひとつ、増えているのでした。それは金色に輝く光の点で、バスカードの真ん中辺りに光っています。これが、バスカードを一回使ったというしるしなのでしょうか。
昨日より少し片付いた部屋の中で、さっちゃんはバスカードを眺めながら、すーちゃんが来るのを待っています。今日は実によく、片付けが進んだのです。衣服が詰め込まれた段ボールをみんな開けて、いるものといらないものとに分けて、いるものは洗濯をし、いらないものは捨ててしまったのでした。
それで、段ボールがひとつかふたつ、減りました。そのぶん。さっちゃんの部屋も、本来の秩序をほんの少しだけ取り戻したような気がします。
さて、それでは今夜は、どこへ向かうのでしょう。夜になり、すーちゃんが部屋に現れますと、さっちゃんはさっそくハンドバッグを手に持ちました。しかしすーちゃんは、「その前に」と言って、作業着のポケットから小瓶を取り出したのです。それは、フルギモリで服たちに色を与えた、真珠色の霧吹きの小瓶でした。
「昨日、お仕事を手伝ってもらったのに、お礼を差し上げるのを忘れていました。すみません。使いさしですが、どうぞこれをもらってください」
さっちゃんはそれを受け取りまして、シュッとひとふき、やってみました。ほのかに甘くてすがすがしくて、ちょっとくしゃみをしたくなるような匂いが、部屋の中を漂います。
「ありがとう。これって、なんの匂いなんですか」
「春の、お外の匂いです」
なるほど。と、さっちゃんは改めて、匂いをかいでみました。たしかに、そんな匂いです。寒くて天気の荒れがちな冬に、ちょっと気分転換をしたくなったときには、うってつけの匂いと言えるでしょう。
さっちゃんは真珠の小瓶を、左手のひらに乗せました。そして、右手のひらで優しく撫でてキーホルダーにして、キーリングに通しました。
ちょっとだけ増えた荷物を、ハンドバッグにみんなしまって、今夜もバスに乗って出かけましょう。クローゼットの扉を開けて、服をかきわけて奥へと進みます。プー。ブザーの音が鳴りました。
『ご乗車ありがとうございます。このバスは、行先番号一二四。すきま五番地経由、ホタルガワ行きです。整理券をお取りください』
昨日と同じ声で、車内放送が、バスの行先を告げます。ホタルガワとは、蛍の川ということでしょうか。今は真冬ですが、蛍がいるでしょうか。
わくわくしながら、さっちゃんは辺りを見回します。窓の外はやっぱり真っ暗で、何も見るものがありません。車内に視線を移しますと、昨日とは違う広告が貼られているようでした。
これは、何の広告でしょう。黒や茶色や灰色といった、おとなしめの色をバックに、鮮やかな色彩の粒が、紙面いっぱいに広がっています。それは確かに紙に印刷された模様であるのに、さっちゃんが見ているうちに二度も三度も、ちらちらっとまたたいたように思えました。
『次は、ホタルガワ、ホタルガワ。終点です。お忘れ物のないよう、ご注意ください』
アナウンスと共に、バスはゆっくりと減速し、暗闇の中に停車します。昨日と同じように運賃を支払って、さっちゃんとすーちゃんは、ホタルガワに降り立ちました。
ホタルガワは、フルギモリよりは少し明るいようでした。というのも、向こうのほうでほのかな明かりが、明滅しながら飛んでいるためです。ホタルガワというくらいですから、あれはきっと蛍でしょう。けれど、すきま世界の蛍は、さっちゃんが知る蛍とは少し違うようです。
「色んな色の蛍がいるんだね」
さっちゃんは感嘆します。蛍といえば、黄色や黄緑色にしか光らないと、さっちゃんは思っていました。今、向こうのほうを飛んでいる蛍は、そうではありません。
赤や青、黄色に緑。紫、ピンク、橙色、白も金も銀も、あらゆる光が舞っています。まさに、色とりどりといった様子です。光りながら、色を変化させるものすらあります。なんて、美しいんでしょう。
「あれが、今日捕まえるミトラなの?」
さっちゃんが尋ねますと、すーちゃんは首を横に振りました。
「あれは、ただの蛍です。あそこに川があるでしょう。ミトラは、あの川の中にいます」
すーちゃんについて行きますと、確かに川がありました。卵みたいにまんまるの小石たちを撫でながら、どこまでも透明に澄んだ水が流れていきます。川がどっちからどっちへ向かって流れているのかは、いくら眺めてもさっぱり分かりません。
「さっちゃん、こっちこっち」
いつの間にか川に入っていったすーちゃんが、さっちゃんを呼びました。靴を脱いで、作業着のズボンを膝の下までたくし上げています。さっちゃんは、部屋着のまま来ていましたので、靴ではなくお部屋用のスリッパと靴下を脱いで、部屋着のズボンをたくし上げました。
川べりに立ちますと、さっちゃんを歓迎するように、顔のまわりを蛍が飛び交いました。蛍たちの七色が、澄んだ川の水に反射して、きらきら、ちかちか、またたきます。さっちゃんは、右足のつま先を水に浸しました。
今は真冬ですし、水はさぞ冷たいだろうと思ったのです。しかしさっちゃんの予想に反して、水はそれほど冷たくなく、しかし温かくもありませんでした。水は、さっちゃんの皮膚とちょうど同じ温度のようです。足首までつけてみても、やはり冷たくも温かくもなく、なめらかな液体の絹糸に脚を撫でられているような、そんな心地がするのでした。
そしてどこまでも透き通っている水は、さっちゃんの足を受け入れてもなお透き通っており、水面の境目で足の輪郭がちょっと食い違うために、ようやくそこが水面であることが分かるのでした。
「今日採るミトラは、ホシウという種類のものです」
なんだか、妙な名前です。どんな姿をしたミトラなのか、全く想像がつきません。どうやって捕まえるのかと見ていますと、すーちゃんは作業着のポケットから、細い試験管を取り出しました。
試験管の口はコルクで栓がしてあって、中には土が入っています。すーちゃんはコルクの栓を抜いて、試験管を傾けました。土くれが、川面にぽちゃりと落ちます。すると、ぼこぼこぼこ、と低い音が響きました。そして次の瞬間、水しぶきを上げながら、水中から何かが飛び出したのです。
「それっ! 今だ、捕まえて!」
すーちゃんが大きな声で言いました。さっちゃんは訳も分からず、飛び出した何かを捕まえました。たもを準備していませんでしたので、さっちゃんは両手でもって、それをがっしりと掴んだのです。かなりのファインプレーだったと言えるでしょう。
ホシウは、首の長い鳥でした。さっちゃんの知る、鵜という鳥によく似ています。鵜とは少し違うところは、ホシウの体はとても長く、翼が三対や四対もついているのです。その長い体をしっかりと掴んでいるさっちゃんに、ホシウは抗議するように、クワックワッと鳴きました。
「そのまま、離さないで。よーし、よし」
すーちゃんが、ホシウの首をきゅっと掴みます。するとホシウは、ケケッと鳴いて、なにか煌めくものを吐き出しました。川に落ちたそれを拾ってみますと、繊細な作りの金の首飾りでした。しかし、どこか欠けた首飾りです。ところどころ、宝石が埋め込まれていた痕跡があるのに、それらがすべてなくなってしまっているようでした。
「ホシウに食べられちゃったんですよ」
採ったホシウを籠の中に押し込みながら、すーちゃんが説明してくれます。
「ホシウは本来、星を食べるんです。すきまに棲みついたホシウは、星にありつけないから、代わりのものを口にします」
「代わりのものって、この首飾りですか?」
「それは、食べのこしです。首飾りについていた、宝石を食べたんです」
籠の中で、ホシウがクワーッと鳴きますと、蛍たちはそそくさと、声のした方から逃げようとします。一匹の蛍が、さっちゃんの髪の毛の中に隠れようとしました。
それをそっと手で捕まえて、手のひらの上でよく見てみますと、蛍はお尻に小さな宝石の粒を光らせているのです。ホタルガワの蛍たちがこんなに色とりどりなのは、それら全てが宝石の光だからなのでした。
ルビーにサファイア、トパーズにエメラルド。アメジスト、ローズクオーツにシトリン。オパール、ルチルクオーツ、そしてダイヤモンド。飛びながら色を変えているのは、アレキサンドライトの蛍なのかも知れません。
「昨日見た古着たちは、しまわれて、忘れられたものたちだったでしょう。この宝石たちも、同じようなものです」
さっちゃんの手のひらの中で、ラピスラズリの蛍が、ゆっくりと明滅します。すーちゃんの頬を、ガーネットの光が赤く染めます。
「ただし宝石というものは、元々は、人間のために作られたものではありません。星のかけらを人間が削って磨いて、形を整えただけのものです。ですから宝石たちは、服たちほどには、必要や不必要に振り回されずにすむんです。装飾品の殻を、脱ぎ捨てさえすればね」
でしたら、さっきホシウが吐き出したのは、首飾りの殻なのです。今、ホタルガワの水面を飛んでいる蛍たちは、みんな装飾品の殻を脱ぎ捨てて、自由な、星のかけらに戻ったのです。
「脱ぎ捨てられたあとの殻は、どうなるの?」
「すきまの、もっともっと奥へと沈んでゆきます」
さっちゃんは、足元に視線を落としました。水はどこまでも澄んでおり、川底だって難なく見通せます。そのどこにも、装飾品の殻は落ちていません。丸い小石のすきまに落ち込んで、底の方へと行ってしまったのです。
「大丈夫です。殻たちだって、いつかはちゃんと終われますよ。あの洋服たちのように」
すーちゃんが、言いました。ラピスラズリの蛍が、さっちゃんの手のひらから空へ向かって、音もなく飛び立ちました。
「さあ、それよりも、もっとホシウを捕まえましょう。ホシウは飼い慣らして鵜飼をすることも出来ますし、砂糖菓子にして食べることも出来ますから、結構良い値段で売れるんです」
すーちゃんは、作業着のポケットから別の試験管を取り出しました。それは、さっきのように土くれが入っているものもあれば、青い燐光の入っているものもあり、さっちゃんは、燐光の試験管を受け取りました。
「さっき撒いたのが、岩石惑星のかけら。それはガス惑星のかけら。川に撒いたらホシウがきますから、ひといきにえいっと捕まえてくださいね。時々、噛まれますけど、あんまり強くないから平気です」
コルクの栓を抜いて、さっちゃんは、試験管を傾けてみます。青い燐光は、まるで液体のようにつつっと垂れて、澄んだ水面に落ちました。すると、ぼこぼこぼこ、と泡の音を立てながら、ホシウが上ってくるのです。
ガス惑星のかけらを目掛けて上ってきたホシウは、さっきのホシウよりも藍色に近い色をしていて、羽と羽の間に燃える炎が見えました。さっちゃんは思わず手を離してしまい、ホシウはさっと翼を広げて逃げようとしたのですが、すーちゃんがすかさず籠をかまえて、ホシウの頭にぱかっとかぶせてしまいました。ホシウは悔しそうに、クワーと鳴きました。
そのようにして二人は、籠いっぱいのホシウを捕まえたのです。籠いっぱいと言っても、ホシウは籠の中で好き勝手に暴れましたし、羽根だって充分に伸ばしたがりましたので、せいぜいが五羽でした。
「いやあ、助かります。一人だと、二羽か三羽捕まえるので精いっぱいですから」
すーちゃんは、目に見えてほくほくとしています。これが彼女のお仕事なのですから、順調に事が進んで、嬉しいのでしょう。
「ありがとう、さっちゃん。今日はこれを、差し上げます」
そう言ってすーちゃんは、試験管を一本、さっちゃんに握らせました。試験管に入っているのは、ほとんど透明な炎でした。時々赤く揺らめいて、それでようやく炎と分かる炎です。
「さっきのホシウにくっついていた、水素の炎です。あったかいですよ」
すーちゃんの言う通り、試験管はほかほかと温かく、冬のふところをぬくめるのにちょうど良いのでした。さっちゃんは試験管を両手で握り、目をつぶって、ほうっと息を吐きました。
そして目を開きますと、さっちゃんは、閉じたクローゼットの前に立っているのです。手のひらの中で、水素の炎がしんしんと燃えています。今日のお仕事は終わり。お風呂に入って、そろそろ寝なければいけません。
窓の外から、クワアーと、鳥の鳴き声が聞こえました。ホシウかしら。そう思って、さっちゃんはカーテンを少しだけ開けて、外を確認してみます。暗くて何も見えませんが、たぶん、アオサギか何かの声だったのでしょう。
ちょうど、日付が変わりました。
すきま五番地のイブ【アドベントカレンダー2024】 深見萩緒 @miscanthus_nogi
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