十、
わたしに何も教えないという流れを覆したのは、後にも先にも志呉だけ。志呉が色々と話してくれなければ、わたしはまだ何も知らないままだったはず。ただただ慰みもののように扱われ、特別だったはずのセックスが日常になり、泣いて、嘆いて、諦めて、疼いて、嫌悪して──
なぜわたしがこんな目に遭っているのか、誰も教えてはくれなかった。ずっとわたしだけ輪の外にいるような、空虚な疎外感。いるようでいなかったわたし。例え違和感があっても、疑問があっても、知りたいと思っても、どうせどうにもならないと諦めていた。
そんな存在自体が朧気なわたしが意志を持ち、行動をはじめたのは志呉がいたからこそ、だと思う。八塚家の、いや、この因習村や忌み地と揶揄される宇場ノ塚の総意から、一人だけ外れた行動をしている志呉。それがどういった意図からの行動かは分からない。だがさきほどの志呉と浅野の会話から考えれば、志呉は八塚家の、志堂のやり方に賛同していない、ということになるのだろう。
そもそも、だ。はっきり説明されたわけではないが、穢れをわたしに流し込むのは志堂の役目のはず。志呉の
近場で済ませていると言われればそれまでだが、志呉がわたしに固執しているのはなんとなく感じている。わたしが八塚家に来た当初、いつもいらついていた志呉。これは考え過ぎなのかもしれないが、はじめは抱くつもりなどなかったのではないだろうか。わたしの味方をするつもりだったのではないだろうか。だが当のわたしは全てを諦め、馬鹿みたいな状況を受け入れていた。味方しようにも、本人が諦めていたら意味がない。
──なんでお前、そんな物分かりいい顔してやがんだ。
──黙って抱かれて馬鹿みたいだな、お前。
そう、馬鹿みたいになんでも受け入れてしまうわたしにいらつき、いらつきを発散するようにわたしを抱き、それすらも受け入れるわたしの態度にまたいらつく。そうして気が付けばわたしに固執し、味方したい気持ちとは裏腹に──
いや、やはり考え過ぎなのだろうか。八塚家という狂った家に生まれ、志呉が歪んでいるのはわたしでも分かる。だからといって、今の考えは飛躍しすぎのように思う。
ただ、わたしが反抗的な態度をとるようになってから、志呉があまりいらつかなくなったのも事実。雑ではあるが、会話も出来るようになった。今朝なんて、優しく触れてくれた。だまって絆創膏を渡せばいいのに、わざわざ手間のかかる化粧をしてくれた。そんな志呉の胸を邪魔そうに押し、よろめいた際の泣きそうな顔は──
だめだ。志呉のことが分からない。何を考えているのか、まったく分からない。じわりと腹の奥から熱が下りてくる。志呉の触れた場所が、湿度を伴った疼きに変わっていく。嫌悪だけではない、求めるような熱。
わたしは、志呉を。
志呉も、わたしを。
わたしに固執した先で志呉は──
浮かんだ考えに、そんなわけないとかぶりを振る。勘違いをしてはだめだ。志呉がわたしに固執しているのは確かなのだろう。だがそれは決して愛や恋などという、甘やかなものではない。抱いてみて相性が良かったという、馬鹿みたいな理由なのかもしれない。わざわざ外に出なくとも、近場で発散出来る都合のいい女だと思われているのかもしれない。後腐れなく、子も宿さず、寝る前の運動にちょうどいいと思われているのかもしれない。
それにわたしの志呉に対する想いも、愛や恋などではないはずだ。嫌悪しながらも求める体と、摩耗した心が選択した現実逃避。
──なんか勘違いしてんじゃねぇのか、お前。
──調子乗んじゃねぇよ。少し優しくされたくらいで勘違いしちまったかぁ?
──もっかい、分からせてやるよ。お前はただの器。黙って搾取されてりゃいい。
吐き捨てるように志呉から言われた言葉たち。
心が、心が痛かった。現実逃避とはいえ、揺れていたわたしの心。嘉明のことを今でも愛していると言いながら、胸の内にはいつの間にか志呉がいた。体は志呉の熱を覚え、求めていた。だからこそ痛かった。言葉が刃物のように身を刻み、血が流れ出るのではないかと思った。
たとえ都合のいい女でも欲の捌け口でも──
たとえ現実逃避でも気の迷いでも──
志呉と分かり合えているのだと、体だけではなく心も繋がり始めているのだと、そう勘違いして、断ち切られた。
「なん……で……」
じわりと滲み出すように、想いが声となって漏れた。
自分でも漏れた声に驚き、手で口を塞ぐ。
「うぅ……」
それでも塞いだ口からは嗚咽が漏れる。止めようと思っても止まらず、涙まで溢れてきた。涙はぱたぱたと音を立てて地面に落ち、いくつも暗い円を描く。嗚咽も止めることが出来ず、「ふぐぅ」と情けない音を漏らす。
わたしは何をしているんだろうか。何をしたいんだろうか。嘉明の不義理を知り、許せないと思った。祟りや禍痕のことを知り、もっと知らなければと思った。だが今考えているのは、志呉のことばかり。
自分の気持ちが分からない。志呉のことも分からない。これからどうすればいいのかも、分からない。
気付けばその場に膝から崩れ落ち、声を出して泣いていた。
「ようやく泣き止んでくれた」
どれくらい泣いていただろうか、ふいに浅野の声がして、びくんと体が跳ねる。立ち上がって声がした方を見れば、浅野が心配そうにこちらを見ていた。
「びっくりしたよ。急に泣き声が聞こえたから。祝織ちゃんが泣いてるところ、はじめて見た」
「ご、ごめんなさい……」
恥ずかしさから俯いてしまう。これまで人前で泣いたことなど、ほとんどない。わたしが泣いたところで、どうにもならないと分かっていたから。なんと説明しようかと思っていると、浅野がわたしの前に屈む。
「膝、怪我してるね。泥だらけだし、転んだ?」
「は、はい。少しぼーっとしてて……」
忘れていた怪我を思い出し、またずきずきと痛みはじめる。早く帰って手当てしようと思っていると、体がふわりと持ち上がり、浅野に横抱きでかかえられた。
「お、下ろしてください……」
「歩くと痛いよね? けっこう血も出てるし、このまま診療所の中まで運ぶよ」
「ちょ、ちょっと恥ずかしいので……」
「僕は恥ずかしくないけど? 小さい時から祝織ちゃんのこと見てるし、娘みたいなものだから」
「で、でも──」
続く言葉を聞かず、浅野が歩き出す。相変わらずマイペースで、人の話を聞いているんだかいないんだか分からない人だなと思う。
そのまま診療所の中へ運ばれ、膝の怪我を洗い、消毒し、ガーゼを当てて包帯を巻かれた。不思議なもので、処置したという事実で痛みが和らいだ気がする。
「それで? なんで泣いてたか聞いても?」
浅野にそう問われ、どう答えたものかと逡巡する。浅野はいい人だ。それは間違いない。これまでのことや志呉との会話から判断して、志堂のやり方に賛同していないことも分かる。
ただ、浅野もわたしに何も教えてくれなかったという点では、他の人達と同じだとも思う。浅野はこの集落のことをどこまで知っているのだろうか。志堂が敵だと言い、もしかすればこの集落の、八塚家の隠す何かを研究しているかもしれない浅野。よくよく考えれば、浅野は生態学や昆虫学の学者でもある。
そう、虫だ。忌女の祟りは虫が湧く。
浩介は虫が湧いて死んだ。わたしの父も虫が湧いて死んだと、並木が言っていた。ここに来る前、顔に虫が湧いた女も見た。昆虫学の学者である浅野と、虫が湧く忌女の祟り。無関係、には思えない。ただ、浅野を信用していいのかは分からない。いい人ではあるが、それとこれとは別だ。
わたしはまず、誰を信用すべきか考えなければならないように思う。流されるまま行動するのではなく、自分でもしっかり考えなければ。
「少し、一人にしてください」
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