第12話 味覚障害の希望

「はいもしもし」

「あっ、都君。あれからいろいろ考えたんだけど、とんかつの作り方を教えてもらいたいなあって」

「分かった。でもどうしてとんかつなんだ?」

「いや、だって私、都君のとんかつ好きなんだもん。ならまずあなたのとんかつかなって」

「ふーん。お褒めにあずかり光栄です」

「なにその丁重な返し。本当に笑えるんだけど」

 そう言ってクスッと笑う雨。その笑い声は安らかさを讃えていた。

「まあ、だったら今日の昼三時に家に来いよ。みっちり腕を仕込んでやるよ」

「分かった。楽しみにしてる」

 

 電話が切れた。チェアにもたれかかる。

 そして少しうたた寝をした。

 

◇◇


 ぱちり、と僕は目を覚ました。

「俊——友達が来ているわよ」

「ああ、分かった」


 僕は階段を降りて食堂へと続く廊下を歩き、暖簾をくぐってキッチンへと入った。


「よお、都君」


 制服姿の雨を見て、「今日は学校早く終わったんだな」と訊ねると彼女はわざとらしく伸びをした。

「うん。今日はテスト前の補習でね。三時間授業だったんだ」

「三時間授業ってことは昼前に学校終わったとこだよね。ならなぜ制服姿なんだ?」

 ふふっ、と彼女は口元に手を当てた。そんな仕草が可愛くて。思わず僕は息を飲んでしまう。


「だって、都君は制服フェチでしょ。ほら、制服だぞ」

 そう言いながら制服の袖を持ちながら、「ほらほら」と見せてくる。

「そんなものに興味はない」

「と言いつつ赤面している都君であった」

「実況とかやめてくれ。ってか、赤面とかしてないし」


 必死に抗議をしている僕をからかう雨。

「またまたあ」

「ったく、早く教えてやるからそんなところに突っ立ってないでキッチンに来て」

 玄関の側にいた雨を手招きする。

「分かりました。シェフよろしくお願いします」

「まだシェフじゃないけどな」

「またまたあ」

「その台詞辞めろ。そろそろウザい」


 僕がそう言うと彼女は大笑いした。「ごめんって」と悪びれもなく言ってくる。

 彼女は蛇口をひねって手を洗う。そのあとタオルで手を拭いて、鞄から自前のエプロンを取り出した。


「裸エプロン……」

「ん? いまなにか言った?」


 少し睨みつけてきた。僕は言っちゃあまずかったかと思い、「いや、なんでもない」と答えた。


「いや、裸エプロンフェチだった?」

「え、はい?」

 また大笑いする雨。こいつからかい上手だな。って、僕は何を思っているんだ。


「いやいや、動揺し過ぎだよ」

 駄目だ。僕の真面目キャラが崩壊してきている。かぶりを振って、彼女へ真剣に料理を教えようとする。包丁を持って、彼女へ指示を出す。「冷蔵庫からじゃがいもとか取り出して」 


「えっ、勝手に冷蔵庫開けてもいいの?」

「は? 君は何しに来たの?」

「えっとー料理を習いに」

「だったらきびきび動く!」僕は手をぱんぱんと叩いた。

「ウィーシェフ」


 彼女が冷蔵庫の中から具材を取り出して、まずはじゃがいもを洗い始める。

 様子を見ていると思ったより手際が良くて驚いた。「もしかして料理が趣味だったり?」と訊ねると、彼女は俯けた顔そのままで「いいや。実は彰君に教えてもらったの」と意外な答えが返ってきた。

「彰か……あいつが」

 彰が彼女に料理を教えたことに対して驚いた、というよりもそもそも彼が料理が出来ることに驚嘆した。

「あいつ料理が出来たんだな」

「すごく上手でしたよ」

「ふーん」

 雨が素早くトントンと具材を切っていく。そしてじゃがいもの芽を取ったら、下茹でを始めた。

 僕はその様子をずっと感心して見ていた。「慣れているな」


「でしょ」

 誇った笑みを見せてきた。それに僕は苦笑して返す。

「でも料理人を目指すんだったら具材を早く切るぐらい当たり前だって」

「はいはい。分かっております。シェフ」

 そして豚肉を切るなど様々な工程を行ったあと、雨は早速それを揚げ始めた。

「確か、百八十度でじっくり揚げるんですよね」

「そうだな」

 料理人しか知らないようなことも教えられていることに、またもや驚かされた。


◇◇


 そして料理が出来上がったところで、雨は僕に皿に盛られたとんかつを差し出してきた。僕は頭を振って、「食べたところで」と言った。

「食べてくれないんですか……」

 彼女は目蓋を伏せた。哀愁漂うその姿に悲観的さをアピールしているようで。でもそれを分かっていながらも、嘘でも彼女の拗ねている姿は見たくないと思っていた。

「分かった。食べるよ」

 一口齧った。するとなぜだろう、素朴な味わいを感じる。

「どうして……」

「ん? どうしたんですか?」

「なぜか、味がするんだ」

「えっ」

 雨がとても驚いている。僕はというと顔を覆い涙をぐっと我慢していた。

 味覚が今までしなかったのに。どうして雨が作った料理に限っては味がするんだ。


「なあ、僕はさんざん迷っていた。君に僕の味覚をさせることについて」

「そうなんですね」

「でも、君が作った料理は幾分味がする。だとするならやってみようと思う。君と一緒に食堂を」

「はい」

 雨が満面の笑みを浮かべる。「それなら良かったです」

「また明日、来てくれ。今度は僕が書いた短編小説を見せるよ。あっ、じゃなかった、朗読するよ」

「……気を遣ってくれてありがとうございます」

 雨は手を洗い、エプロンを外して、じゃあ、と手を振って引き戸を開けて去っていった。

 

◇◇


 僕は後片付けをした後、スマホで『味覚障害 治るケース』と調べた。そしたら上部に現れた記事を見ると、どうやら亜鉛を摂取する生活を継続することで、治療されていくらしい。亜鉛が含まれる食材の一例として「豚肉」があげられる。

 ということはつまり、これからもそれが豊富な豚肉が使われているとんかつを摂取していくことで治療できる、と。

 未来が見えてきた感じだ。小さくガッツポーズをする。

 

 もしかしたら母親が今朝作っていたとんかつの味も、本当はしていたのかもしれない。


 


 

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