都に雨は降り続ける。晴れたら彼女はいなくなった。

柊准(ひいらぎ じゅん)

第1話 言の葉

 1


 雨だれの中、僕——平野ひらのみやこは傘を射して歩いていた。

 中学の通学路。雨足が降りそそぎ水だまりが作られている。ぽつぽつと傘に雨音が鳴る。

 僕は雨が好きだった。独特のアスファルトの濡れた匂いや、乾燥した空気。

 ああ、清々しいな。


「雨の日って憂鬱になるよね」

「ホントそれな。メイクも決まらないし。ほんと雨が嫌い」


 そんなことを愉快気に喋っている女子を遠目に見る。ゲラゲラと笑い悪口や不快感を露わにしている彼女たちを見遣る、こちらが不愉快だ。

 だが、そんなことを思ったところでなにも変わらないことは分かっている。

 そしたら空に一羽の燕が空を飛んでいた。

 そういえばと思い出す。山村暮鳥の雨の詩を。

 

『ひろい街のなかをとつとつと

 なにものかに追ひかけれてでもゐるやうに驅けてゆくひとりの男

 それをみてひとびとはみんなわらつた

 そんなことには目もくれないで

 その男は遠くの街角を曲がつてみえなくなつた

 すると間もなく大粒の雨がぽつぽつ落ちてきた

 いましがたわらつてゐたひとびとは空をみあげてあわてふためき

 或るものは店をかたづけ

 或もるものは馬を叱り

 或るものは尻をまくって逃げだした

 みるみる雨は横ざまに煙筒も屋根も道路もびつしょりとぬれてしまつた

 そしてひとしきり

 街がひつそりしづかになると

 雨はからりとあがつて

 さつぱりしためづらしい燕が飛んでゐた』


 そんな童話のような詩を思い出せたことに、燕に感謝する。

 暮鳥は、詩人でもあり童話作家でもあるのでこのような詩が作れるのだ。

 ――羨ましい。

 もう故人となってしまった暮鳥に憧れてしまっている、自分がいる。

 だからこそそんな僕はこの雨だけは好きだ。

 静かで凛としていてそして艶やかだ。


 そんなことを思っていると中学校に着いた。


 2


 クラス中がいつもの喧騒とは異なっていた。浮足立っているそんな感じだ。

 僕は自席に座ると友人の大石おおいしあきらがやって来た。


「なあ、今日噂によれば転校生がやってくるらしいぜ」

「そうだったな。で?」

「え?」

「いや、たったそれだけならば別にどうでもいいというか」

「ほんと、お前って冷めているよな」

「褒めてんのか?」

「貶してんだよ」


 そう言ってニイっと笑う彼の、不敵な笑みはどうも憎めない。そう僕は思った。


「どう解釈したら誉め言葉に聞こえるんだよ。このバカちんが」

「やめろ昭和の金八風情が」


 しばしにらみ合ってそれから笑い合った。肩を小突き合い「またな」と言って大石は去っていった。

「みんな、席に座って」

 担任の藤原ふじわら圭吾けいご先生は教壇の上に立ってそう号令をかけた。


「もう噂になっているとは思うが、今日転校生がやってくる」

 先生は廊下に目配せする。そしたら廊下に立っていた女子生徒が教室に入ってくる。同じく教壇に立ち彼女は、教室全体を見渡したのか顔を左右に向けた。

「自己紹介を」


涼宮すずみやあめです。よろしく」


 ほぼ全員が拍手をした。もちろん僕も拍手をした。

 拍手をしなかったのは転校生、という目立つ存在に対して多少の憂いを覚えている面倒くさい奴らだ。

 彼女――雨は空いていた席である僕の隣に座り、すっと姿勢を正した。なんか大和撫子みたいだな。

 僕は、頬杖をついて彼女の横顔をじっと眺めていた。無自覚にも。それを、見咎めるように彼女は「なに?」と棘を帯びた口調で訊ねてきた。


「別に」


 手を振って、なんでもないという意味のハンドサインを行った。でもだとしたらなぜ彼女のことを見つめていたのだろう。

 

 これが、この行為が実は見惚れていたということに気付くのはもうしばらく経ってからだった。


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