第36話 再会

「お姉さんの話が本当なら、あたしに刺さったナイフは、奇跡的に心臓も肺も避けてたってことになるの?」

「そういうこと。てか、わたしのことは『恵』って呼んで構わないわよ。『梶原』じゃ信吾くんと一緒にいる時ややこしいし」


 そう言って恵は、パイプ椅子に座って目を開けたまま鼻提灯を膨らませている信吾を指でさす。

 恵が病室にやってきて、信吾が泣いていることについて下手に本人に説明させるとややこしいことになると思った莉花が代わりに説明している間に、いつの間にやら泣き止んでいた信吾がそのまま眠ってしまったのだ。


 恵から聞いた話によると、莉花が眠っていた二日間、信吾は「假屋さんが目を覚ますまでここで待ちます」と言って聞かなかったらしく、ほとんど眠っていないとのことだった。

 その後、恵が自己紹介がてら自分が刑事であること、名目上は信吾の保護者であることを教えてくれて――今に至る。


「それとも、信吾くんの方を下の名前で呼ぶ? わたしとしては、そっちの方が面白いことになりそうだから全然オッケーだけど」


 ニヤニヤ笑う恵に、莉花は「そういうのはいいから」と意識的に素気すげなく返す。なぜだか、ちょっとだけ頬が熱くなっていることを自覚しながら。

 そのせいか、なんとなく話題を変えたくなった莉花は、少し神妙になりながら真面目な質問を恵にぶつける。


「……恵さん。今回、梶原の制裁に加担した《夜刀》の人間はどうなったの? 重田とか、島谷とか……」


 口の端に上がった二人は莉花にとって、片や自分たち兄妹を〈夜刀〉に迎え入れてくれた人間で、片やクラスメイトだった人間。正直、彼らがどうなったのか気にならないと言えば嘘になる。

 それゆえの質問だった。


 志倉に関しては、信吾が無事だった時点でどうなったのかは大体察することができた上に、按樹高校で化学教師を務めているという話を聞いた際は「こんな先生いたっけ?」というくらいには接点がなかったので、特段気にならなかった。

 そもそも、信吾の制裁のためならば平気で自分のことを殺そうとした相手のことなど、知ったことではなかった。


「重田は、志倉も含めて今回捕まえた構成員たちと一緒に、刑務所行きでほぼ確定でしょうね。島谷くんに関しては……信吾くんや莉花ちゃんと同じ一五歳だったら少年院に、一六歳になってたら少年刑務所にってところでしょうね。信吾くんと似たような境遇だから何かしらの形で保護できたらと思ったけど、堂々と『人を壊すのが大好き』とか言っちゃってる内はちょ~っと難しいわね~」


 島谷の本性を聞いて、つくづく自分が属していた下部組織は平和だったと痛感させられたことはさておき。

 重田が刑務所送りになったことには、さすがに、思うところがないというわけにはいかなかった。

 恩人と呼べるほど世話にはなっていないが、それでも、自分たち兄妹が生きる上で〈夜刀〉という一つの選択肢を示してくれたことには感謝していたから。


 莉花は気持ちを整理するようにして一つ息をついてから、ここまで後回しにする程度には興味がなかった自分の処遇について訊ねることにする。


「わたしは、これからどうなるの?」

「どうなるも何も、どうもならないわよ」


 思わず、目を見開いてしまう。


「えっ!? だってあたし、〈夜刀〉で散々法に触れることはやってきたし、それにこの手で梶原を刺――」


 恵が自身の唇の前に人差し指を立てて、それ以上喋らないよう無言で催促してきたため、つい口ごもってしまう。


「まず、〈夜刀〉にいる間に莉花ちゃんが犯してしまった罪についてだけど、それはわたしがどうとでもしてあげるわ。これはただの勘だけど、莉花ちゃんたちが〈夜刀〉に身を寄せたのは、生きる上で仕方なかったってところなんでしょ?」


 他に選択の余地がなかったわけではないが、さりとて〈夜刀〉に身を寄せる以上に上等な選択肢がなかったのも事実。

 ゆえに、莉花は黙って首肯を返すしかなかった。


「だったら何とでもなる。というか、何とでもしてみせるわ。それから信吾くんの怪我についてだけど、あの子、今回負った傷は志倉にやられたものだって言っていたわ」


 まさかの言葉に、莉花はますます口ごもってしまう。


「で、わたしは信吾くんの言うことを全面的に信じて、上層部うえにもそう伝えたってわけ。だから莉花ちゃんは何のお咎めもな~し」


 いくらなんでも無茶苦茶がすぎる恵に、さすがにこれ以上は黙っていられなくなった莉花が言い返そうとするも、今度は立てた人差し指をこちらの唇の前に突きつけてきて、結局口ごもらされてしまう。


「そういうことにしといてあげて。でないと、信吾くんが頑張った意味がなくなっちゃうから」


 そう言って、恵はニヒリと笑った。

 最早呆れるしかなかった莉花は、ついこんなことを訊ねてしまう。


「恵さん……あんた、本当に警察なの?」

「勿論。わたしほど敬虔けいけんな警察はいないって断言できるくらい警察よ」

「いや、『敬虔な』警察って何?」


 ますます呆れる莉花に対し、恵は肩をすくめてお茶を濁した。


「ところで莉花ちゃん、体力的にくらいの余裕はある?」


 恵の言わんとしていることがわからず、眉をひそめていた莉花だったが、


(よくよく考えたら、この病院って……それに警護の観点から見ても、病室が隣り合っていた方が合理的だから……)


 わかった瞬間、莉花はくしゃりと表情を歪めながら、先と同じ質問を恵に投げかける。


「あんた、本当に警察なの? こんなの絶対許されないと思うんだけど」

「これがまた許されるのよね~。始末書とかいう魔法の紙を一枚書くだけで」

 さすがにこらえきれなくなった莉花は、ちょっとだけ噴き出してしまう。


 同時に、確信する。

 こういう人間だからこそ、信吾の保護者を務められているのかもしれないと。


 そうして莉花は、恵に連れられて隣の病室に赴くこととなった。

 病室の前には警護が一人ついていたけれど、恵に弱味でも握られているのか、諦め混じりに扉の前を空けてくれた。


「ごゆっくり~」


 と恵に促されるまま中に入ると、そこには、



 ベッドの上で眠っている、兄――恭平の姿があった。



 半年前に見た時よりも少しだけ痩せている恭平のもとに、覚束ない足取りで近づいていく。

 半年前と同じように恭平の頬をつねってみたけれど、やはり目を覚ます気配はなかった。


「ったく、妹が見舞いにきたんだから、目の一つや二つくらい覚ましてよ……バカ兄貴」


 今回は気兼ねなく兄の傍にいられるからか、知らず頬を緩めてしまう。

 目尻から勝手に涙が溢れてきたけれど、今はこらえる気すら起きなかった。


 病室には入らず、廊下から莉花を見守っていた恵は、さすがにこれ以上は野暮だと思ってそっと扉を閉める。

 途端、警護についていた刑事が小声で訊ねてくる。


「よかったんですか? 假屋莉花を假屋恭平と会わせてしまって」

「兄妹が会うことに何か悪いことでもあるの?」


 すっとぼける恵に、刑事は小声ながらも語気を強める。


「假屋莉花は、假屋恭平の復讐のために志倉たちに手を貸したのでしょう……!? 目を覚まさない假屋恭平の姿を見たら、信吾に対する復讐心がまたぶり返すかもしれませんよ……!」


 正論を言う刑事に、恵は「やれやれ」とかぶりを振る。


「半年前、恭平くんが最初に移送された病院に、〈夜刀〉の残党と思しき人物が接触した事件があったの、憶えてる?」

「ええ、それは勿論」

「その残党、十中八九お兄ちゃんのことが心配で忍び込んだ莉花ちゃんだから」


 言われてみればそうかもしれないと思ったのか、刑事が口ごもる中、恵は断言する。


「だから、お兄ちゃんが寝ているところを見るのはこれが初めてじゃないから大丈夫ってわけ」

「い、いや……! そうだとしても、復讐心がぶり返さない保証には――」

「ならないわ。そもそも忍び込んだ人物が莉花ちゃんだって話にしたって、合ってる保証はないもの」


 肩をすくめる恵に、刑事は「こ・の・人・は」と言いたげな顔をしながら片手で頭を抱える。

 それを見て、さすがにもう少し真面目に答えてあげるかと思った恵は、一つ息をついてから言葉をついだ。


「莉花ちゃんはね、仇である信吾くんを庇ったのよ。文字どおり命を懸けてね。そうまでして助けた相手に対して今さら恨みを再燃させるなんて真似、きみだったらできる?」


 刑事は何か言い返そうとするも、心の内では「できない」と思ったのか、またしても口ごもってしまう。

 恵は刑事に「それ見たことか」と言わんばかりの視線を送った後、素知らぬ顔で心の中で独りごちた。


(ま、上層部うえからも、信吾くんへの恨みが再燃するかもしれないから、絶対に莉花ちゃんをお兄ちゃんに引き合わせるなって言われてたんだけどね~)


 だけど、そんなことは知ったこっちゃなかった。

 子供が命を懸けたのだ。それだけで、莉花を信じる理由としては充分だった。


 私情で目を曇らせるのは刑事として一番やってはいけないことだけれど、「疑うことが仕事」という言葉を言い訳に、信じなければならないことまで信じないようにすることは、刑事としても人としても一番やってはいけないことだと恵は思う。

 刑事として散々疑った分、信じると決めた以上は一人の人間として何があっても莉花のことを信じる。


 だから自分は、彼女を信じて兄に引き合わせた。

 兄のためにここまで頑張ってきた彼女に、これくらいのご褒美はあっても罰は当たらないと、というか罰なんか当たってたまるかと思ったから。

 そのためならば、始末書の一枚や二枚くらい喜んで書――いや、さすがに喜べない上に、今回の件に関してはいったい何枚の始末書を書かされるかわかったもんじゃないけれど。


(それくらい子供のためにやってあげるのが、大人の甲斐性ってもんでしょ)


 とは思いながらも、やっぱり始末書を書くのは面倒くさいなんてものじゃないので、この一点に関してはげんなりせずにはいられない恵だった。

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