第14話 体育館裏にて

 その日の放課後。


 案の定というべきか、信吾はガラの悪い男子に、体育館裏に呼び出されていた。

 それ自体はいつもどおりの話だが、呼び出された理由とガラの悪い男子の数が、いつもとは違った様相を呈していた。


「待ってたぜぇ梶原ぁ」

「な~にが〝白鳳〟だ」

「もう假屋のことは関係ねえ。このままナメられっぱなしでいられるか」


 信吾を囲む男子の数は六人。

 その誰もが莉花と親しい信吾を呼び出してヤキを入れようと試みた結果、あしらわれた者たちだった。

 そしてその中にはケンカ自慢の上級生も混じっており、歯牙にもかけないレベルで信吾にあしらわれたことで、矜持プライドをいたく傷つけられてしまったご様子だった。


 もっとも、


「たった一人を相手に六人で取り囲むのは、それはそれで他の人たちにナメられるくらい情けない行為だと思いますが」


 思ったことをそのまま口にしてしまった信吾の言葉どおり、六対一でケンカを仕掛けた時点でプライドもへったくれもないのだが、当人たちはそうは思っておらず、


「調子に乗りやがってッ!!」

「マジでぶっ殺すッ!!」

「ナメてんじゃねえぞゴラァッ!!」


 怒声を上げながら、六人一斉に信吾に殴りかかった。


(さすがに、これは少々面倒ですね)


 勿論、一対六という数的不利を面倒だと思ったわけではない。

 連携の「れ」の字も知らないド素人が、六人一斉に一人の人間に襲いかかった場合、誤って味方を殴ってしまったり、足を引っかけて転んでしまったりと、こちらが手を出さなくても怪我を負わせてしまう恐れがあることが少々面倒だと思ったのだ。


 ゆえに信吾は、今までケンカを売られた時よりも集中力を高めて、前後左右斜めから襲い来る六人を迎え撃つことにする。

 信吾から見て真っ正面を、時計における一二時と見立てたとして。

 真っ先に突っ込んできた一〇時方向の男子と、一二時方向の男子のパンチは、普通にかわすだけで問題なし。

 その次に殴りかかろうとする、二時方向と三時方向の男子は、始動の時点でお互いの体がぶつかって攻撃を中断するハメになるのが目に見えていたので無視スルー


 問題は、八時方向の男子が大振りの右フックを繰り出してきている点だ。

 これをかわしてしまったら、パンチの軌道上にいる、一〇時方向から信吾に殴りかかった男子の顔面に直撃してしまう。

 なので、信吾は掌で包むようにして相手の拳を受け止め、捕まえた小鳥を解き放つようにして誰もいない方向に優しく払いのけることで事なきを得た。


 最後に、味方を巻き込むことなんて考えずに、こちらの後頭部目がけて回し蹴りを放とうとする五時方向の男子に対しては、信吾自らが背中から突っ込み、見もせずに相手の蹴り足を手で押さえることで、始動の段階で回し蹴りを阻止。

 ならばと、相手は密着に近い状況を利用してこちらを羽交い締めにしようとするも、信吾は両脇の下に通された腕を固定ホールドされる前に万歳して、地面に尻がつく寸前まで一気に腰を落とすことで魔手から逃れた。

 続けて、立ち上がる勢いを利用して地を蹴り、六人の包囲網から離脱する。


 そこから先はもう、ただの鬼ごっこだった。

 体育館裏という決して広くないスペースを、信吾は巧みに逃げ回る。

 そうすることで向こうは必然的に信吾を追い回すハメになり、同時に攻撃を仕掛けられても二人が精々。先程のような六人一斉にという状況にはならない。

 あとはもう相手の体力が尽きるまで逃げ回り、たまにくる攻撃をかわすだけの作業だった。


 一〇分後――


「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……」

「また……一発も殴れなかった……」

「こいつ……どういう体力……してんだよ……」


 ある者は地面に大の字になったまま動けず、ある者は膝に両手をつきながら肩で息をする中、信吾一人だけが汗一つかかず、呼吸一つ乱すことなくその場に突っ立っていた。

 体力が尽きてまともに動けなくなっている六人を見て、信吾は一つ頷く。


(よし。今回も、一人も傷つけることなく対処することができましたね)


 だから何も問題はない――と、心の中で満足げにしている信吾だったが、ケンカを売ってきた相手の体力が尽きるまで、一発も殴られることなく凌ぐなんて芸当は普通の高校生にはできない。

 できないから、校内では雪だるま式で信吾に関わる噂が大きくなってしまっている。

 だから恵も、学校に潜入にしている刑事も、ケンカを売られた際の信吾の対処法には頭を抱えていたが、だからといって手加減して相手を倒せとも、わざと殴られろとも言うわけにはいかず、現状は信吾に任せるしかない状態になっていた。


 そうやって周りの大人が何も言わないせいで、信吾がますます今の自分の対処法が正しいと思い込んでしまっていることはさておき。


「もう用はなさそうですし、帰らせてもらいますね」


 何事もなかったように、信吾がその場を立ち去ろうとしたその時だった。


「待ち……やがれ……!」


 まだ少し体力が残っていたのか、膝に両手をついていた金髪の男子が上体を起こし、懐から〝何か〟を取り出す。

 その〝何か〟を目の当たりにした瞬間、味方であるはずの五人の男子全員が、一斉に息を呑んだ。

 金髪が懐から取り出したのは、折りたたみ式バタフライナイフだった。


「な、なんで、んなもん持ってんだよ!?」

「そ、それはまずいって!」

「うるせえッ!!」


 金髪の怒声に、五人の男子は竦んだように黙り込む。


「一年坊にこれ以上ナメられてたまっかッ!! ぶっ殺してやるッ!!」

 その言葉どおり、完全に頭に血が昇っている金髪は、目を血走らせながら信吾に突撃する。

 体当たりするような勢いで、信吾の土手っ腹目がけて本気で刺しにいくも、


「……へ?」


 体ごと信吾にぶつかったはずなのに、カーテンにでも突っ込んだのかと錯覚するほどに感触がなかったことに、金髪は呆けた声を漏らしてしまう。

 両手で目いっぱい力を込めて握り締めていたはずのナイフの感触もなく、金髪はヨロヨロと後ずさりながら、いつの間にかからになっていた両手を、信じられないものを見るような目で見つめていた。


「駄目ですよ。学校にこんな物を持って来ては」


 いつもどおり無表情無感情で言う信吾の右手――人差し指と中指の間には、金髪が持っていたはずのナイフが挟まれた。

 指で挟んでいるのが刃側であるところを見るに、信吾が刺される寸前に、たったの二本の指で金髪からナイフを奪い取ったのは明白だった。


 およそ人間業とは思えない。

 だからこそ、金髪は気づいてしまう。

 信吾に体ごとぶつかったにもかかわらず感触がなかったのは、彼が体当たりを真っ正面から受け止めた上で、強さと柔軟さを併せ持った肉体をもって、ぶつかった感触がなくなるほど完璧に体当たりの威力を殺しきったせいにあったことを。


 信吾はその手に持っていたナイフを、目にも止まらぬ速さで回転させる。

 次の瞬間にはもう、刃はハンドルの中に収められていた。

 たったそれだけで、ナイフの扱いに関しても信吾が素人とは一線を画していることを、金髪も、他の五人も、悟ってしまう。


「はい、どうぞ」


 当たり前のように、信吾は金髪にナイフを返そうとする。


「返して……くれるのか?」

「オレは先生ではないので、生徒の持ち物を取り上げる権限は持ち合わせていませんから」


 そう言って小首を傾げるに信吾に、金髪も、他の五人も閉口してしまう。

 何から何まで自分たちとは違う――そう思い知らされた金髪たちがその場で立ち尽くし、信吾が「受け取らないのですか?」と、さらに首を傾げていると、



「お前ら! こんなところで何をしている!」



 信吾の背後から、白衣の化学教師――志倉の怒声が聞こえた瞬間、金髪たちは我に返ったようにビクリと震え上がり、


「やべえ! 先公だ!」

「ずらかるぞ!」

「って、テメェら逃げんの早すぎだろッ!?」


 蜘蛛の子を散らすように信吾の前から逃げ去っていった。信吾が返そうとしていたナイフも受け取らずに。


「おーおー、わかりやすく逃げてったな。まあ、まともに相手するのは面倒くさいから、わざとデカい声出したんだけどな」


 教師としてちょっと問題ありな発言をしながら、志倉がこちらに歩み寄ってくる。


 いまだ志倉に背を向けている信吾は、四秒ほど黙考する。

 ナイフを返し損ねてしまったせいで、自分が学校にナイフを持ち込んだみたいな状況になってしまった。

 別に金髪を庇う理由はないが、逆に、わざわざこのナイフが金髪の物であることを志倉に伝える理由もない。

 それに、ああいった手合いは密告チクるという行為を蛇蝎の如く嫌っている傾向にある。

 ケンカを売ってきた理由が島谷の言うとおり、莉花と親しい自分に嫉妬して――よくわからないけど悪くない響きを感じる――だったとしたら、ナイフを学校に持って来たことを志倉に密告したことで逆恨みされて、自分だけではなく莉花にまで火の粉が降りかかることもないとは言い切れない。


 それだけは何としても避けたい。

 なので、ここは一番穏便に済ませられる方法をとるべきだと結論づけた信吾は、志倉の方に振り返る。

 こちらの顔を見て「ってお前、前にゴミ捨ててもらった一年じゃないか」とちょっとだけ驚く志倉に、信吾はその手に持っていたナイフを差し出し、こう言った。


「志倉先生。これ、落ちてました」

「落ちてましたって、これ……折りたたみ式のナイフか? まさか、さっき逃げてった連中が――」

「落ちてました」


 無表情で圧をかけてくる信吾に気圧されたのか、志倉はため息をついてからナイフを受け取った。


「当事者のお前がそれでいいなら、そういうことにしといてやるよ。……俺も面倒事は勘弁だしな」


 またしても教師としてちょっと――いや、だいぶ問題ありな発言をしているが、だからこそに処理してもらえることを確信した信吾は、表情一つ変えることなく心の中でガッツポーズとる。

 人生の大半を裏社会で過ごしてきたせいか、グレーゾーンの扱いについては、いまだ表社会に適応できているとは言い難い信吾だった。


「それでは志倉先生、お先に失礼します」


 もうこれ以上話すこともないので、会釈してこの場を立ち去ろうとするも、


「ちょっと待て」


 まさか呼び止められるとは思わなかった信吾は、表情一つ変えることなく意外だと思いながらも、歩き出そうとしていた足を止める。


「実は、今回もいらないゴミを捨ててたところでな。ちょっと手伝ってくれないか?」


 どうやら、それが口止め料のようだ。

 是非もないと思った信吾は、いつもどおり淡々と「わかりました」と答えた。

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