第12話 白鳳

 その後、何かショックを与えれば目を覚ますのではないかと考えた莉花が、信吾の額にデコピンをくらわせたことで意識を取り戻すことに成功した。


 最早これ以上長居する理由もないので、デカペンくんを入れる袋を店員からもらってゲームセンターの外に出る。

 空は、繁華街の明るさとは裏腹にもうすっかり暗くなっていた。


 元々寄り道自体するつもりはなかった二人は、どちらから言い出すわけでもなく真っ直ぐに駅へ向かい、電車に乗って帰途につく。

 電車に揺られている間、会話らしい会話はなかったものの、莉花が袋の中のデカペンくんを覗き込んでは目をキラキラさせたり、頬を緩めたりしていたため、信吾からしたら駅二つ分の時間しか電車に乗られないことが残念で仕方ないくらいだった。


 それからほどなくして降車駅に到着し、途中までは帰り道が同じであることがわかったので――登校した時に出会うくらいだから当然といえば当然の話だが――一緒に帰ることにする。


「そういえば、假屋さんの好きな《LOOK&ROCK》とは、いったいどういった内容の漫画なのですか?」

「いや、わざわざ『假屋さんの好きな』は付けなくていいから」


 恥ずかしそうに片手で頭を抱えてから、莉花はヤケクソ気味に答える。


「ケイって名前の女子高生が主人公のっ、ガールズロックバンドの話っ」

「ガールズロックバンド?」


 その単語にピンとこなかった信吾が、小首を傾げる。

 莉花は「そこからかよ……」と再び頭を抱えた。


「そこまでくるともう読んでもらった方が手っ取り早いから、興味があるなら読んでみれば? けっこう色んな漫画アプリに入ってるし、途中までなら一日待ったら無料で――……」


 なぜか莉花が、言葉を失ったように黙りこくる。

 ほどなくして、夜闇の下にあってなおはっきりとわかるほどに顔が赤くなっていく。


「なし! やっぱ今のはなし! あたしから今から懇切丁寧に説明してあげるから、絶対に読まないでっ!!」


 そんな必死の懇願に対して、信吾は、


「わかりました。假屋さんがどうしてそんなに必死になっているのか知りたいので、後で読んでみようと思います」

「なんでそうなるっ!?」


 莉花が信吾の胸ぐらを掴んでカックンカックンと揺するも、信吾の答えが変わることはなかった。

 最早諦めるしかなかった莉花は、


「なんであたし、あんなこと言っちゃったんだろ……」


 赤い顔をそのままに頭を抱えていた。

 そんな莉花のことをやっぱりかわいいと思うと同時に、この時間がいつまでも続けばいいのにと、信吾は表情一つ変えることなく心底から思う。

 当然そんな願いは叶わず、信吾の家から程近いところにある交差点で、至福の時間は終わりを告げることとなる。


「「あ……」」


 信吾と莉花の進路が右と左に分かれ、二人して声を漏らしてしまう。


「じゃあ……あたしはアッチだから」


 なんとも言えない気まずさを覚えたせいか、莉花は奥歯に物が挟まったように言いながら、信吾の家とは反対側の道を指でさす。


「……はい」


 と返した信吾だったが、返事するまでに微妙に沈黙を挟んでしまったり、無表情なくせに物寂しげな雰囲気を醸し出してしまったりと、らしくないにも程がある有り様になっていた。

 そんな信吾の心中を察して気を遣ったのか、莉花ははにかみながら、デカペンくんの入った袋を持ち上げる。


「これ、取ってくれてほんとにありがと。お礼は……まぁ、期待しないで待ってて」


 お礼という言葉に反応した信吾は、莉花に気づかれないほどわずかに目を見開いてから率直に答える。


「期待して待たせてもらいます」

「段々わかってきたけど、あんたそういうとこあるよな」


 諦めたようにため息をついていた莉花だったが、再び、深々とため息をつく。

 一度目とは明らかに違う感情がこもった、どことなく不穏なものを感じるため息だった。

 そして、


「なぁ、梶原――」



「――〝白鳳はくほう〟って、知ってる?」



 莉花の口から出てきた予想外の言葉に、信吾は見開きそうになった瞼を意思の力で抑え込んだ。


 なぜ假屋さんがその名を? まさか〈夜刀〉の残党? あり得ない。そもそも、いくらなんでも直球すぎる――……混乱のあまりグチャグチャになりかけた脳内を一秒で無理矢理抑え込んでから、いつもどおりの無表情で信吾は答える。


「まさか、オレが下着を履かない人間だと疑って……」

「いや〝ほう〟は無理があるだろ!?」

「違うのですか。ならば、電車に酔ったかどうか訊いて……」

「〝ほう〟はもっと無理があるだろ!?」


 莉花は疲れたように、三度みたび深々とため息をつく。

 今回のため息は、先程のような不穏さは感じられなかった。


「知らないならいい。今のは忘れて」


 それで話を打ち切り、きびすを返すと、


「じゃ、また明日」


 手をヒラヒラさせながら、信吾の前から立ち去っていった。

 莉花の姿が完全に見えなくなったところで、信吾は心臓を鷲掴みにするような勢いで、片掌で胸を押さえる。

 ドッ、ドッ、といやに耳に響く心臓の鼓動は、いつも莉花を前にしていた時に鳴る賑やかなものとは違って、ひどく不吉な音色をしていた。


 もし万が一、いや、億が一、莉花が〈夜刀〉の残党だったならば……久しく忘れていた、されどいまだかつて経験したことがないほどの強烈な恐怖が、信吾の額に脂汗を滲ませる。

 そんなことあるはずがない。あっていいはずがない――そう自分に言い聞かせ、今はまだ確証を持てないという言い訳のもと、警察関係者には勿論、恵にもこのことは黙っておこうと心に決める。

 その決断によって後ろめたさを覚えたせいか、それとも帰りが遅くなったことで小言を言われると思ったせいか、恵の待つ家に戻る足取りはいつもよりも重かった。


 ほどなくして家に到着し、「ただいま帰りました」と帰宅したことを報された上で家に上がるも、恵は顔を出すことはおろか「おかえり」すら返してこなかった。

 これは小言が一つや二つどころか、五つや六つくらいになるかもしれないと覚悟しながら、リビングを覗いてみる。


 するとそこには、「世界滅亡」という物騒な名前の酒瓶を抱き枕にして、「ごがーごがー」とイビキをかいてソファで爆睡している恵の姿があった。

 酔った勢いで脱いだのか、パンツ一丁でブラジャーすら付けていなかった。


 信吾はつい先程まで感じていた後ろめたさが、すん……と消え失せていくのを感じる。

 今の恵の惨状を見ていると、自分の保護者として彼女を選んだ警察上層部の正気を疑いたくなってくる。


 これ以上は見るに耐えなかったので、リビングの扉をそっと閉めて自分の部屋に戻ることにした。

 今日は恵が夕飯を作るという話だったが、あのザマだと自分で作った方が早いと思ったので、さっさと着替えて一階に戻ろうとするも、


「…………」


 スマホを勉強机に置いたところで、ふと思い出す。

 莉花の好きな漫画――《LOOK&ROCK》が、途中までなら漫画アプリで読むことができると、他ならぬ彼女が言っていたことを。


 別れ際の〝白鳳〟発言のせいですっかり頭から吹き飛んでいたが、思い出した今となっては、莉花の好きなものを知りたいという思いもあってか、気になって仕方なくなっていた。

 なので一階に下りるのは一旦やめて、自分のスマホにインストールされている漫画アプリにも《LOOK&ROCK》が入っているかどうかを確認してみる。


 結論から言えば、《LOOK&ROCK》はアプリに入っていた。

 莉花の話だと途中までなら、一日待てば無料で一話読めるという話だったが、最初の五話は一日待たなくても無料で読めるようになっていた。

 とはいえ、夕飯を作ることを考えると、待てば無料になる分も含めて六話分を一気に読破するのは時間的に厳しい。


(とりあえず、今は一話だけ読んでみるとしましょうか)


 と、軽い気持ちで読み始めた信吾だったが。

 ちょっと影響受けちゃっただけだから――と莉花は言っていたが、彼女と主人公のケイの類似点が「ちょっと」どころではないほどに多く、そのせいもあって結局六話分を一気に読破してしまった。

 結果、いつまで経っても恵が目を覚まさなかったせいもあって、その日の夕飯は二二時を過ぎてから食べるハメになってしまったのであった。

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