第2話 運命の出会い・前編
人里離れた深い森の中。――晩春の日差しが降り注ぐ、穏やかなこの場所。
周囲の木々がさらさらと音をたて、遠くからは、せっかちな蝉の鳴き声が聞こえてくる。
微風に揺られる枝葉のざわめきは、どこかから聞こえてくる微かな水音と調和し、心地良く俺の耳に届く。……どうやら近くに川があるようだ。
自然の楽団が奏でる交響曲は、俺を癒やし、昂った気持ちを鎮めてくれる。
……見上げた空には壮麗なわた雲が見られ、――――どこかで小鳥が鳴いた。
この世界に転生してから、早七年。その
「…………」
よく晴れた気持ちの良い日和、異世界生活にも大分慣れてきた今日この頃、俺は息をひそめ、木の上から、とあるイベントを観察していた。
俺の視線の先は、木々の途切れた草地になっており、直射する日光は『魔物に襲われてる馬車』を照らしている。
豪華な箱型の四輪馬車の窓には、赤いカーテンが引かれ、中の様子は見えない。
馬車の周囲には、護衛とみられる四人の騎士が見える。さらにそれらを、体長二メートルはあろうかという、三匹の白狼が囲んでいる。
「た、隊長……!!」
騎士の一人が、震える声で呼びかけた。その声は、意外とうるさい森のシンフォニーに吸われ、鮮明には聞こえない。
隊長と呼ばれた男は、救いを求める部下に対し、
「――狼狽えるな!! もうダメだ!」
「隊長ぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!?」
隊長の顔には恐怖すら見えない。
「遺書書くまで待ってもらえないかな?」
「テメぇなに諦めてんだよぉぉぉおおおおおおおお!!」
部下が怒鳴る。
三匹の狼は低く唸りながら、様子を窺っている。
隊長と呼ばれた男は、胸ポケットの、おそらくペンか何かに手を伸ばした。――が、その手は、腰に備えられた剣の柄に落ち着いた。
遺書を書く時間はない、もしくは紙がないことに気づいたのだろうか。
一連の様相から、たぶん危機的状況であることが窺い知れるが、俺の
俺はこのときを、――賊とか魔物に襲われている馬車を助けて、助けた人が偉い人だった――的な展開を、ずっと探していたのだ。
そのために俺は、この森を二年ほどさまよい続けていた。
本当は今すぐにでも飛び出して、カッコいいセリフを言いまくりたい。スカしたセリフを飛ばしまくりたい。飛ばしまくりたいのだが、敵の実力が分からないまま飛び込むことはできない。足手まといになったのでは元も子もない。
そんなことを考えていると、ふと、隊長の雰囲気が変わった。
彼は剣を抜き、決然とした態度で、
「――人生は諦めが肝心だ。……だが、諦めることそのものが肝心なのではないぞ」
――なんだ? 急に。
「
「隊長……? あんたまさか……」
「――――私が時間を稼ぐ、お前たちは王妃様方を連れて早く逃げろ」
隊長は剣を構え、白狼を見据える。
「…………」
どうやら隊長は、自分たちの力では敵わないと冷静に判断した上で、自らを犠牲に部下たちを逃がそうとしているらしい。
一瞬ダメな人かと思ったが、すべて、誰よりも冷静に現状を分析した上での言動だったようだ。
――となると、今一番気になるのは、先ほど隊長が口にした『王妃様』という言葉。
王族の護衛隊長を務めるほどの人物が一瞬で死を覚悟し、受容した。つまり敵はそれほどの相手ということだ。
そう思うと、馬車を取り囲んでおきながら目立った動きを見せない狼たちが、この状況を楽しんでいるようにすら見えてくる。
圧倒的強者の余裕……
だが、そんなことを気にしている場合ではない。
……あの馬車には王族が乗っているのだ……!
魔物に襲われている馬車。
馬車の中には王族。
――この上なく理想的なシチュエーションだ。
こんな秘境に王族がなんの用だ、というのも気になるが、これは特大チャンスだ。うまく助けることができれば、王族相手に恩を売ることができる。
働き次第では、莫大な褒賞を賜れるかもしれない。お抱えの騎士に任命されてしまうかもしれない。
もし、本当にそうなったら、俺は絶対にこう言うのだ。
――はっ、礼なんざいらねぇなぁ! おれぁ人として当たり前のことをしただけだぜ☆――と。
思わず拳を握りしめる。鈍感系主人公への道筋は見えた。
打算的にも、心情的にも、見捨てるという選択肢はない。制圧ではなく、逃げることを優先するのであれば、俺にもできることはある。
俺が生まれたこの世界は、魔法が存在するファンタジー世界である。
しかし、人里離れた山奥で生まれ育った俺には、魔法を教えてくれる先生も、特殊能力について説明してくれる女神様もいなかった。
だが戦う手段がないわけではない。俺は独力で、魔力そのものを操る方法や空を飛ぶ能力、その他こまごまとした変な能力を編み出していた。
それらを魔法と呼んでいいのか、特殊能力と呼んでいいのかはわからない。ヤツらに通用するのかもわからない。だが、王妃様たちを逃がすことはできるはずだ。
――俺は今日、鈍感系主人公になるぞ!!
……俺は手のひらに、紫の魔力の球を生成し、白狼のうちの一匹、一番大きな個体のそばへ投げ入れた。
「――――!!」
地面に衝突した魔力の球が、小規模な爆発を起こす。
巻き込まれた白狼は高く鳴きながら宙を舞った。
そして俺は地面に飛び降り、
「――――ここは俺に任せて、早く逃げてください!!☆」
護衛の騎士たちの視線が、一斉にこちらに集まる。
「俺は飛行魔法が使えます! さあ早く!!☆」
俺は叫び、先ほど吹き飛ばした(飛び退いた?)白狼へと視線を向けた。
「――――」
すでに姿勢を整えていた白狼は、鬼のような形相でこちらを睨んでいる。
目測十五メートル。攻撃が届く距離ではないはずだ。が、魔物が魔法を使えないという道理はない。その瞳に映っているのが俺だと想像した瞬間、身の毛もよだつほどの恐怖が俺を襲った。
俺はその恐怖をかき消すように、再度、口を開きかけた。
しかしそのとき、――――白狼の姿が消えた。
「――――!!」
次の瞬間、俺の耳が捉えたのは激しい衝突音。――近くに雷でも落ちたのかと錯覚するような、鋭く、激しい音が、俺の体を突き抜けた……
その音は広大な森に伝播してゆき、どこかで一斉に鳥の群れが羽ばたいた。
「…………」
俺の眼前には、半透明の紫の壁。――魔力製の壁は、白狼の疾走を阻み、阻まれた白狼は、自身の脚力の分だけその衝撃を増し、地面に
白狼は痛みに悶えている。
俺は思った。
――ケンカ売る相手間違えた――
反射的に出現させた壁のおかげでなんとか助かったが、一瞬でも遅れれば俺の冒険は終わっていた。
大きくはねた心臓は
だがしかし、俺は決してチャンスを逃さない。これは鈍感系チャンスだ。夢にまで見た憧れのシチュエーションを前に、尻尾を巻いて逃げることなどできるはずがない。
俺はなんとか平静を装い、平然とした態度で、
「……どうした、今何かしたか?☆」
と言い放った。
別の意味で心臓がはねる。握った拳に力が入る。笑いをこらえるのがこんなに大変だとは思わなかった。
俺は横目で騎士たちを見た。騎士たちは唖然としている。
馬車へ視線を向ける。馬車のカーテンは少し開いている。が、それは今閉まった。
残りの白狼たちを見据える。二匹の狼は、こちらを警戒しているようだ。
ともあれ、俺の力はなんとか通用する。それだけ分かってしまえば、あとはショータイムだ。
俺は魔力の壁を消し、思わず握ってしまった拳をポケットに隠しながら、悠々と、
「……今引くというのなら、見逃してやる……☆」
「…………」
「…………」
しかし白狼たちの戦闘態勢は解けない。
俺は無意味に左手を掲げ、魔力の球を生成し、謎の猛者感を演出しながら、
「これ以上はやめておけ……ケガじゃすまないぞ☆」
「…………」
「…………」
しかし白狼たちには通じない。
俺はやや語気を強め、精一杯虚勢を張って、
「……て、手加減できないぞ……☆」
しかし なにもおこらない!
白狼たちの唸り音は止まない。
俺は演出用の無害な魔力の球を握り崩しながら、覚悟を決めた。
「…………できればこの技は使いたくなかったんだがな……」
この言葉は、別にカッコつけたわけではなく、普通に本心だった。
その力というのが、ちょっと卑怯というか、『そういう戦い方ができる人』になってしまうことは、鈍感系主人公からは離れてしまうような気がしていたからだ。
先ほどこちらに突っ込んできた狼は、すでに意識を手放している。
二匹の狼は、先ほどの壁を警戒しているのか、攻撃を仕掛けてこない。……が、逃げる様子もない。
さっきのがまぐれだとバレてしまえば俺に勝ち目はない。こちらから仕掛けるしかない。
しかし、先ほどの動きが彼らの本気なのだとすると、並の攻撃では簡単に避けられてしまうだろう。
……ではどうするか。
この世界の魔力は通常目に見えないし触れない。俺はそれを、特殊能力(魔法?)のおかげで、見えるようにも、触れるようにもできる。
……つまり、使いようによっては、まったくの不可視の攻撃が可能になってしまう……。
俺は、二匹の狼に向かって、もう一度だけ尋ねた。
「本当に引く気はないのか……?」
彼らの碧い瞳に向かって、まっすぐ問いかける。
俺は本当に覚悟を決め、透明な魔力の鞭で彼らの体を
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