鈍感系主人公に憧れて

賦笛光子

第1話 鈍感系主人公に憧れし者

 鈍感系主人公。――それは、さまざまなジャンルに登場する、何事においても鈍感な主人公のことである。


 あらゆる分野、媒体の垣根を超え、いたるところで見られる鈍感系主人公。その鈍感さには、ある種怪奇的なおぞましさが含まれており、彼らにとっては大切な愛の告白も、深刻な罪の告白も、誰かの称賛や嘲笑すら、等しく無価値になってしまう。


 なぜならなんにも気づかないのだから。


 コミュニケーションが高度に発達した現代社会において、その力はストレスマネジメントにおけるチート能力と言っても過言ではない。


 その、ある種狂気的な姿、鈍感系主人公に、俺は物心ついたときから激しい憧れを抱いていた……。




 俺が憧れた鈍感系主人公は、とある作品の主人公であった。


 彼には派手な必殺技や、確固たる信念など別になかったが、ただ一点、常識では考えられない、ある不思議な力を持っていた。


 その力は彼の意思にかかわりなく超自然的に働き、たちまち彼から真実を覆い隠してしまう。


 その力の名前は、――鈍感力。


 冒頭で述べたとおり、類まれなる鈍感力を持つ主人公は、様々なジャンルに登場する。


 しかし、俺が憧れた鈍感系主人公の鈍感力は、常軌を逸していた。


 作中では彼の幼馴染による告白が幾度となく試みられたが、そのたびに電車が通りがかった。あるいは強風に見舞われた。あるいは周囲の雑音に遮られてしまった。時には普通に聞き逃した。


 そして彼は、必ずこう言うのだ。


『わりぃ、今なんて言ったんだ?』


 このセリフは作品全体を通して十二度ほど繰り返された。


 そんな数多あまたの苦難を乗り越え、彼の耳に、言葉が届いたこともある。


 そんなとき、彼は決まってこう言うのだ。


『それ……どういう意味だよ』


 満天の星空の下、夜風にそよぐ夏草、彼方にのぞむ地平線は夜の闇にけ、空と大地のさかいを曖昧にしている。――そんな、めちゃくちゃロマンチックなシチュエーションにもかかわらず、彼は気づかない。


 長年連れ添った幼馴染の、緊張に震えるか細い声、握りしめられた掌、紅潮した頬、潤みを帯びた瞳、――彼は何一つ気づかない。


 なぜなら鈍感だから。……あるいは暗いから?


 別のシーンでは、世界征服をたくらむ魔王を討ち取るべく、彼は果てしない冒険の旅に身を投じることになったのだが、艱難辛苦かんなんしんくの末、ようやく魔王城へと到った彼は、あっさり魔王を打ち破り、こう言い放った。


『今のが魔王だったのか?』


 ストーリーの都合上、複数の魔王が現れたため、このセリフはシリーズを通して七度にわたって繰り返された。


 その旅には多くの出会いと別れがあり、彼自身様々な葛藤があったはずなのだが、……まさか何のために旅をしていたのかわかっていなかったとでも言うのだろうか。


 そんな数々の鈍感的所業を見て、俺は『俺も鈍感系主人公になりてえ』と思った。


 幼時ようじの憧れに明確な理由があったかはわからない。あとから理由付けすることは簡単だが、あえてそれもしない。とにかく俺は努力した。鈍感系主人公になるために、寝食を忘れて努力した。


 その主人公の思考、行動パターンを、周囲の人間の心理状況を、ありとあらゆる角度から分析した。


 しかし、俺の挑戦はふいに終わりを迎えた。




      ❖




 俺が意識を手にしたとき、そこは暗闇だった。


 一切の光の届かぬ深い闇の中。


 ――ここは……。というか、俺は……?


 その場所にも覚えがなければ、自分が何者なのかすらはっきりしない。


 徐々に意識は鮮明になってゆくが、いつまで経っても目は慣れてこない。


 どれだけ耳を澄ませてみても、環境音の類すら聞こえてこない。


 手探りで周囲の状況を探ろうとするが、――――何も感じない。


 途方もない静寂と暗闇の中に、意識だけが心もとなく漂っている。


 しかし不思議と恐怖は感じない。いつまでもこの場所に漂っていたくなるような、そんな不気味な心地良さが俺を包んでいた。


 しかし、そんな時間も長くは続かなかった。ふいに声が聞こえてきた。


『ごめんなさい……あなたを過酷な運命へと導いてしまうこと……どうかお許しください……』


 その声は慈愛に満ちた女性の声であり、空間全体に響きわたるというよりは、脳内に直接語り掛けてくるように感じられた。


『せめて特殊能力を授けます……魔王の脅威から……どうか世界を……』


 特殊能力、魔王の脅威――ここまで聞いたらもう説明はいらない。


 ――異世界転生か。


 と俺は思った。


 ――それならこの状態にも説明がつきそうだ。感覚器官がなければ外界がいかいの情報は得られない。おそらく俺は今、精神体――魂だけみたいな状態なのだろう。


『……せ、正解です。話が早くて助かります』


 ――となると、この人、人の心が読めるのか……


『……………………はい。そういうがあるのです』


 ――魔法? ……さっき『特殊能力』とか言っていたが、それとは別のものなのか……?


『詳しいことは……私もちょっと……』


 ――あ、すみません。心の声なもんで、気抜いちゃうとすぐタメ語になっちゃうみたいです。


『……大丈夫です。別に気にしていませんよ』


 ――しかし困ったな。心の声が筒抜けだというのなら、俺が鈍感系主人公を目指していることはバレてしまっているのか。


『さっきから気になっていたのですが、なんですか? 鈍感系主人公って』


 ――鈍感系主人公。――それは、さまざまなジャンルに登場する、何事においても鈍感な主人公のことである……


『――――あ、もう大丈夫です。全然わからないけど大体わかりました……』


 女神様(仮)は言い、心持ち言いづらそうに言葉を続けた。


『……えっと……あんまりこんなこと言いたくないんですが……それって、なれるものなのでしょうか?』


 ――確かに、鈍感とは才能であり、後天的に獲得できる能力ではない……かもしれません。


『え? ……ええ』


 ――なれるかどうかはわかりませんが……俺は必ずなってみせます! 鈍感系主人公に……!!


『…………そ、そうですか』


 女神様は引き気味に呟き、一度大仰おおぎょうに咳払いをした。


 そして、


『では、あなたが鈍感系主人公を目指していることは誰にも言わないので、存分に質問なさってください。あれこれ質問できる最後のチャンスかもしれませんよ?』


 ――確かに女神様の言うとおりだ。これが本当に異世界転生もののプロローグなのだとしたら、これから俺に待っているのは、鈍感系主人公としての鈍感な生活。そこには鋭い質問などあってはならないし、何かに気づく素振りすら見せてはならない。


 俺は思う存分質問することにした。


 ――それでは、根本的な質問から失礼しますが、俺ってこれから転生するんですか?


『…………はい』


 ――それなら記憶がないのはむしろ好都合かもしれないな。違う体、違う世界で生きることになるのなら、前世の家族や友達との記憶を思い出しても辛いだけだ。


 俺は質問を続けた。


 ――先ほど過酷な運命って聞こえましたが、なぜ俺なんでしょうか?


『それについては追々分かっていくでしょう』


 ――特殊能力っておっしゃってましたが、その詳細について教えてください。


『それに関しては追々分かっていくはずです』


 ――魔王の脅威とやらについて、詳しく聞いてもいいですか?


『私が説明したのでは認識に偏りが生まれてしまう恐れがあるので、自分の目で見て判断なさってください』


 ――別に魔王だからって必ずしも悪いヤツとは限りませんもんね…………。質問していいよとか言ってたくせになんも教えてくれないなこの人。何か俺に知られたらマズイ事情でもあるのだろうか。……というか、勝手に女神様とか呼んでいたが本当にこの人は女神様なのか? 導き手が黒幕、というのもない話ではないが……


『こらこら、聞こえていますよ』


 ――失礼。では、転生関連の疑問はとりあえず脇に置くとして、これから俺が生まれる世界の文化、思想、歴史……あとは、俺が生まれる予定の国の政治体系や宗教観についてもお聞かせ願えますか? 俺の価値観、というか、前世の価値観から離れた思想を持つ文化圏に生まれるとなると前情報は欲しいですし、特殊能力や魔王なんてものが存在している以上、俺が元いた世界とは異なる進化を辿っているはずだ。……というか、考えてみれば異世界なんてそもそも人間が存在しているかどうかも怪しい。詳しい事情を聞かなければ――


『――勇者よ……冒険の準備が整ったようですね……』


 ――え?


『これから貴方には、幾多いくたの苦難が待ち受けているでしょう。ですが、どうか忘れないで。私はいつでもあなたを見守っています』


 ――え、質問タイム終わりですか?


『さあお行きなさい勇者よ。――世界の命運は、あなたに託された……!』


 ――ちょっと待ってください! 『託された……!』じゃないっすよ! なにめんどくさくなっちゃってんすか!!


『あなたの旅路に……幸あらんことを……』


 ――ちょっと! 女神様!?


『……あなたが憧れた鈍感系主人公が、あれこれ質問するような真似しますか?』


 ……………………しません。


『どうかご武運を……。あなたなら、世界を良き方へと導いてくれると、信じています……』


 …………。


 かくして、魔王の脅威をなんとかしつつ、世界を良き方へと導きつつ、鈍感系主人公を目指す俺の冒険が、半ば強制的に始まった。

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