20. 手掛かりのあとしまつ(2)

 紅茶のカップが、白い湯気を立てている。


 蜂蜜を垂らした温かな紅茶を、しかしエミリーは一口も啜ることなく、真剣な表情でアデルの話を聞き続けていた。


『――つまり、マルティン兄さんがこの7年で時空魔法を会得していて、師匠が火刑に処される直前に、現在に転移させたということですね。師匠は7年前の世界から、「今日」に移動してきた』

『そうなの! やっぱり今って、7年後で合ってるわよね。聖主教歴1028年の12月?』

『合っています。聖主教歴1028年の12月……14日。12月14日というと、師匠が火刑に掛けられたのと、ちょうど同じ日ですね』

『よくわからないけど、時空魔法って数学的な緻密性がすごく大事みたいだから、同じ日付、とか、7に関わる日付、みたいな必要があったのかもね』


 喉が弱いアデルのために、会話は心話で行っている。

 エミリーはカップの代わりに、師匠の片手をずっと握り締めているのだった。


 この時点で、エミリーは24歳、対してアデルは23歳のままだ。

 6歳の年の差があったのに、弟子は師匠の年齢を追い越してしまった。


 7年ぶりに見るアデルは若々しく、しかも今や年下なのだと思うと庇護欲すら湧いてくる。

 エミリーはもはや妹を見守る感覚で、自分の出せる一番優しい声で相槌を打っていた。


『それで、未来に来たのはいいんだけど、そうしたらレイノルドと出くわしてしまって』


 一方アデルは、きゅっと手を握りしめてくるエミリーのことを、相変わらず可愛い妹分だと思っていた。

 出会った当時に相手が九歳だったので、そもそも幼い印象が抜けないのだ。


 怖がりで甘えん坊で泣き虫の、「血生臭い話題が苦手」な女の子。

 そんなエミリーの前で、「風魔法で体に風穴を空けられそうになった」だとか、「本物の殺意を滲ませた声で罵られた」と告げるのは憚られ、エミリーは表現に悩んだ挙げ句、端的に報告した。


『そうしたら出会い頭に、その……襲われたの』

『なんですって!?』


 そしてそれが致命的によくなかった。

 レイノルドを激重感情執着男と理解しているエミリーは、もちろんそれを、物理的とは異なる文脈で受け取ってしまったからだ。


『で、出会い頭にですか!?』

『そうよ。こちらの話も聞かず、大聖堂前の広場でいきなり』

『広場で!?』

『そこ、そんなに驚くところ?』


 アデルは戸惑ったように顎を引くが、エミリーからすれば衝撃的だろう。


『その、7年分のね、積年の思いがあったみたいで。ごめん、やっぱり驚かせちゃったわよね』

『いえ……。あの男、いつかやらかすと思っていました。ずっとそういう目で師匠を見ていたもの』

『そうなの!?』


 今度はアデルのほうがぎょっとする。

 やがて彼女は魂が抜けたような顔になって、『そうだったの……』と呟いた。


 それはショックだよなと、エミリーはなんの疑問も持たずに頷いた。


『それで、まさか……その、やられてしまったんですか?』

『何を言っているの、エミリー! 私は無事よ。見ればわかるでしょう?』


 アデルはなぜだか困惑の表情を浮かべて説明する。


 広場の隅には打ち捨てられた石像があって――あまり思い出したくないと彼女は言った――、その下には転移陣が描かれていた。

 つまずいた瞬間にうっかり触れてしまい、円環を完成させてしまったせいで、ここに飛ばされてしまったのだと。


『思えばあれも、マルティンが描いたものだったのね。どこに飛ばされるかわからなくて、必死に「帰りたい」って念じてたら、ここに来たのだもの』


 マルティンは東の森で育った魔術師だ。

 彼の魔力は、この地に向かいやすいようにできているのだろう。


 エミリーは納得すると、早速次の質問に移った。


『ほかにも聞きたいことがたくさんあります。そもそもなぜ、七年前、突然中央教会で処刑されることになったんですか。私たちは最初、師匠はエーベルトの東十番教会に行ったものと思っていたのです。いったい何が?』

『ああ、それは――』


 アデルはばつが悪そうに説明した。


 ヴィムの一件で教会がレイノルドの存在を知ってしまったこと。

 教会は勇者の素養を持つレイノルドを取り戻したがり、アデルに接触してきたこと。

 素直に引き渡さないなら、レイノルド誘拐犯として処刑すると告げられたこと。


『それで、東十番教会に保存してある、引き渡しを認める書類にサインしてくれと言われたから、教会に行くために馬車に乗ったの』

『えっ』


 大人しく話を聞いていたエミリーは、驚きのあまり手を離してしまった。


「よ、よくそんなに、さくっとレイノルドを引き渡そうとしましたね?」


 この場にレイノルドがいなくてよかった。

 彼は、勝手にアデルから自分を引き離そうとした教会にも激怒しただろうが、それ以上に、アデルがあっさりとレイノルドを手放そうとしたと知れば、理性の箍を外していたに違いないから。


 13歳のとき、アデルに拒絶された彼がそうなりかけたように、凶暴な愛情に呑まれ、アデルのことを監禁しようとしたかもしれないし、襲っていたかもしれない。

 間違ってもアデルが自分から離れぬよう、そう、例えば孕ませたり――。


(やめましょう。自主規制)


 レイノルドの異様なほどの執着を知るエミリーは、血の気を引かせ、想像を控えた。


 手を解いておいてよかった。

 こんなの、「性的な話は苦手」と言っていたアデルに聞かせるわけにはいかない。


 心話を解かれたアデルは、肉声でぽつりぽつりと説明した。


「薄情だと、思った? でも実は私……このところずっと、考えていたの。もしかして、彼を攫って、手元で育ててしまったことこそが、いけなかったんじゃないかって。それなら、少しでも早く手放したほうが、未来が、変わるんじゃないかって……」


 アデルの言う「いけなかった」とは、「レイノルドの恨みを買ってしまった」という意味だったが、アデルがとっくに弟子の恋情を理解していると思っていたエミリーはもちろん、「レイノルドの執着を育ててしまった」という意味で受け取った。


(なるほど。張り付いてくる粘着男を、さっさと切り離そうと思ったのね?)


 納得しつつも、こう言わずにはいられなかった。


「それはたしかにそう思いますが。でも、あのタイミングで手放すというのも、悪手でしたね」


 突然捨てたりなんかしたら、かえって執着を煽るだけなのに。

 アデルはそれを、「タイミングが遅すぎた」という意味で受け取り、肩を落とした。


「そうよね……」

「ごめんなさい、師匠。喉が痛いですよね」


 落ち込むアデルを見かねて、エミリーは再び手を取り、心話を始める。


『悪手なんて言っちゃってごめんなさい。師匠が一生懸命考えた結果だったのに』

『ううん、いいの。実際、あんなことになっちゃったし。馬車で眠ってしまっている間に状況が変わって、私は結局、レイノルド誘拐犯ということになってしまったの。それで、中央教会に連れて行かれて、まあ、処刑ってわけ』

『そんな。手放せば見逃すと言われたのに? 話が違うではありませんか』


 怒りに身を震わせながら、エミリーは理解した。


 なるほど、教会は元から不都合な魔女を生かしておくつもりなどなかったのだ。

 それを、甘い言葉でごまかし、アデルに抵抗させることなく王都まで連れ出した。


『大聖堂を占拠したくらいでは生温かったですね。……教会を殲滅してやる』

『いやあの、エミリー! 実はイェルクさんって人からは忠告ももらっていたのよ! なのに私が信じなかったの。レイノルドなら許してくれるんじゃないかと、つい思ってしまって』


 アデルは慌てた様子で身を乗り出し、悲しげに付け足した。


『実際には……レイノルドは、私の処刑を求めたって言われたわ』

『はい?』


 エミリーはまん丸に目を見開いた。


『師匠を教会に処刑させる? そんなこと、彼がするわけないじゃないですか! 教会の嘘八百です。師匠はレイノルドの性質を、まだ理解していないとでも言うんですか!?』


 あの激重執着男がアデルを殺したがるなんて、太陽が西から昇ってもありえないことだ。

 驚きのあまり口調を強めてしまうと、アデルはすぅっと青ざめ、同じ言葉を繰り返した。


『レイノルドの、性質……』


 もちろん彼女は、「絶対に自らの手で、、、、、復讐しに行く」というレイノルドの性質を思い出したのである。


『そ、そうよね。彼の性質を考えるなら、教会に私を処刑させるなんて、ありえないわね』

『ええ』


 エミリーはこの会話に食い違いが発生していることに、微塵も気付いてなかった。


 魔力で互いの心の声を把握してしまえるエミリー。

 しかし、だからこそ彼女は、誤解しあう状況があるのだとは、思いもしなかったのだ。


『そうですよ。現状を見ればわかるでしょう? 教会が勝手に師匠を火刑になんかしたから、レイノルドは激怒して、ほとんど魔王化してしまったんですから』

『そう……そうよね。ごめん。まさか彼がそんなふうに怒るなんて思わなかったの』


 復讐を他者に横取りされただけでそこまで怒るとは、という意味である。

 アデルは半泣きになって俯いた。


『なにしろ一昨日は――ああ、七年前か、あの日は例の予知夢を久々に見たものだから、ちょっと動転していたの。それもあって、選択を焦ったというか』


 その言葉に、エミリーははっとしてその場に立ち上がった。

 肉声で呆然と呟く。


「予知夢……。待ってください。今日は、聖主教歴1028年の12月。師匠が長らく苦しめられてきた予知夢って、まさに今月のことではありませんか!」

「あっ」


 アデルも叫び、二人はしばし見つめ合った。


 火刑という予想外のイベントでアデルが姿を消してしまったことで、すっかり「こっちは外れてしまったのだろう」と思っていた拷問死の予知。

 だが実際のところ、聖主教歴一〇二八年の十二月現在、アデルは生きていて、レイノルドも生きている。


(それも、レイノルドは激しく私を恨んでいる状態で)

(それも、レイノルドは激しく師匠に執着した状態で)


 二人は同時に額に手を当てた。

 特にエミリーは真っ青だった。


(そうだった。レイノルドが13で闇堕ちしかけたときに、聞いたじゃない。師匠が言っていた「なぶられる」というのは、暴力的な意味ではない。性的な意味だったって)


 そんな事実はまったくないのだが、エミリーの中ではそのように整理されていた。

 だって、闇堕ちしかけたレイノルドから流れ込んできた感情は、かなり際どい、、、ものだったし、アデル自身も「もちろん彼の思いは理解している」と言っていたのだから。


 ということはこの予知夢、回避されていないどころか、目前に迫っている可能性がある――!


 エミリーは血相を変えて身を乗り出した。


「師匠、お願いです。予知の内容を、正確に教えてもらえませんか? 今は私ももう大人ですし、どんなショッキングな話でも受け止められます。心話を使えば、たっぷり語れるでしょう? 予知夢を詳しく共有すれば、なにか回避の手掛かりが得られるかもしれません。さあ、手を」

「エミリー……」


 アデルは感動に目を潤ませた。


「なんて優しい子なの。でもいいのよ、あなた、その手、、、の話は、苦手でしょう」

「苦手ですが、師匠に関わることなら把握しておきたいんです」


 性的な話は大の苦手だが、なにしろ幼女趣味の貴族に娶られるくらい、エミリーの周囲には変態どもがわんさかいたのだ。

 知識自体ならアデルよりよほど詳しい自信があったし、なにより、アデルの安全が関わることならしっかり聞いておきたかった。


 さあ、と促すと、アデルはおずおずと手を取り、心の声で語りはじめた。


『そうね。ええと、腕輪から判断するに、1028年の12月、20日から29日のことよ。廃墟のような場所だった。壁が真っ黒でつるつるしてて。寒くて、暗くて……私は鎖で繋がれているの』

「鎖!?」


 冒頭からぶち込まれた衝撃の情報に、エミリーは思わず両手で口を覆ってしまった。


 さてはあの男、緊縛プレイを決めようというのか。

 だが考えてみれば、どす黒い執着心と束縛心を持つあの男は、いかにもその手のことを好みそうな気もする。


「だ、大丈夫? やっぱり、こういう話、いやなのよね?」


 早速拒否反応が出たではないかと心配するアデルに、エミリーは慌てて手を握り直した。


『すみません、取り乱して。鎖なんて最低ですね。でも違和感はありません。むしろ彼らしい』

『そ、そう? それで、レイノルドは私にこう言うのよ。卑劣な魔女め。かけがえのないものを蹂躙したおまえを許さない、って。昔はそのあたりの意味がわからなかったんだけど、今ならわかる。私は……彼の7年を、めちゃくちゃにしたのだもの』

『たしかに……彼にとっては地獄のような7年だったでしょうね』


 アデルの指す「7年」とエミリーの指す「7年」はまったく別物だったが、奇しくも数字だけは同じだった。


『それで、恐ろしい顔をした彼が、ゆっくり近付いてくるの。外では雷が鳴っていて……ああいえ、天井がなかったような気もするわ。壁もところどころ崩れていたし。屋外だったのかも』

『またも屋外ですって!? なぜそうも屋外が好きなの!?』


 思わず叫んでしまうと、アデルが軽く仰け反った。


『そこ、そんなに気にするところ?』

『それは……私にはそう思えたのですが』


 エミリーはばつの悪さを覚え、もごもごと言い訳をする。

 なるほど、思っていた以上に自分は初心だったし、師匠のほうが経験豊富であるらしい。


『すみません。続けてください』

『エミリー。あなた感情豊かになったのね。ええと、それで、彼はひどいことを言って脅すの。逃がさない、四肢をもいでやるとか。目を抉るとか、喉を潰すとか』

『思った以上に暴力的です……っ』


 アデルによる抜粋は、たしかに暴力的ではあったが、同時に、ある種の性癖を思わせる内容でもあった。

 彼は自分を捨てようとしたアデルに腹を立てて、二度と逃げないようにと考えたのだろう。


『よくも、ってずっと怒っているのよ。それで……ねえエミリー、大丈夫? ここからが一層過激な話になるんだけど――彼は、その、剣を取りだして』

『け、ってまさか!?』

『大きな剣だったわ。あなたは勇者でしょう、そんなことは止めてと訴えるのだけど、聞きやしないの。マルティンも止めに入ってくれたんだけど、レイノルドに吐血させられて昏倒してしまって』

「は!? マルティン兄さんも、その場に、いたんですか!?」


 次々と叩き込まれる情報に、エミリーはとうとう堪えきれず手を離してしまった。


 あの男、緊縛のあげく屋外で衆人環視とは。

 どんな趣味をしているのか。


「ねえ、エミリー。やっぱり、このへんにしておこう? あなたには、刺激が強すぎるみたい」


 何度も至近距離で叫ばれて、とうとうアデルが切り出した。

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