15. アデル、訣別する(1)
さて、「危機一髪! 末弟子闇堕ち未遂事件」から数ヶ月の時が流れた冬。
寒いながらも穏やかな昼下がりのことだ。
「どうしよう……」
弟子たちをみな遠くに買い物に行かせ、店番を買って出たアデルは、カウンターにべたっと頬を預けながら、考え事に耽っていた。
というのも、その日の未明、例の予知夢を久々に見てしまったからである。
(最近、全然見てなかったし、さすがに未来も変わったと思ってたのになあ)
数年ぶりに登場した青年レイノルドは、相変わらず冷酷な言葉を吐き、残虐の限りを尽くしていた。
いいや、以前に比べ、壁に血が飛び散っていたり、崩れた窓の外で雷が轟いていたりと、むしろ恐ろしさが増しているような気さえする。
涙が出そうだ。
(こんなの、マルティンやエミリーにも言えないよ……)
二人に7年も協力してもらったのに、成果がちっとも出ていないだなんて。
なまじ最近悪夢に悩まされることがなかっただけに、「もしかして破滅回避、成功しちゃったかもー!」などと浮かれ、先日はこっそり三人で晩酌までしてしまった。
どの口で切り出せというのか。
(なんでかなあ。レイノルド、あんなにいい子に育ってるのに。なんで私を殺しちゃうわけ?)
最大の悩みはそこに尽きる。
アデルはカウンターに伏せたまま頭を抱えた。
レイノルドは最高の弟子だ。
強く優しく美しく、こんなへっぽこ魔女に仕えるなんて勿体ないほどの実力者なのに、文句も言わず日々アデルに尽くしてくれている。
ヴィムのことも、よせと言ったのに、こっそりその後を追跡し左遷させてしまったほどだ。
「師匠の報復とは勘付かせませんでしたし、命までは取りませんでしたから」
そう微笑む彼の執念深さは恐ろしかったが、だがまあ、それほどまでに自分を慕ってくれているのだと思えばありがたい気もする。
今から7年後、彼が22歳になったとき、いったい何がどうして豹変してしまうのか、アデルにはさっぱりわからなかった。
(ううん、嘘。ただひとつ、可能性があるにはある)
カウンターに押し付けていた頬を反対側に変えながら、アデルは無視しようとしていた考えを、しぶしぶ見つめ直した。
レイノルドがアデルを憎みはじめるきっかけ。
そうならないように、「教会は悪」の図式を最初に教え込んだつもりだったけれど――。
――カランコロン。
とそのとき、扉に取り付けたベルが軽やかな音を立てたので、アデルははっと顔を上げた。
「いらっしゃいませ。『アデルの家』へ」
ようこそ、と告げかけ、言葉を飲み込む。
やって来たのが、惚れ薬やいぼ取り薬を求める客ではなく、白いローブに聖紋を刻んだ、聖職者の団体であったからだ。
「はじめまして、アデルさん。私は中央教会の司教、イェルクと申します」
美しい金髪をした男が、磨き抜かれた靴をこつんと鳴らし、店内へと踏み出してくる。
年は30に届かぬほどだろうか。
若く、整った顔立ちの男だ。
彼は訛りの一切ない口調、そしてするりと耳に馴染むような、滑らかな声で話した。
「数ヶ月前、同志ヴィムが、あなたに大変なご迷惑をお掛けしたようで。彼は教会の規定に則り処分しましたが、その際、彼は不思議なことを言い残していましてね」
明るめの青い瞳に、白い肌。
まるでレイノルドの親戚のようだ。
間違いなく、教会で相応の地位にある人物なのだろう。
彼は、高位にある人物特有の品のよさを滲ませて、アデルに微笑みかけた。
「こちらに、驚くほどの魔力を持つ少年がいるのだとか。15ほどだというのに、短い詠唱で大の男の骨を折るほどの風を操ると。茶髪だというから、突然変異の魔術師かなとも思ったのですが――」
首を傾げると、短く切りそろえた金髪がさらりとなびく。
「ものの記録によれば、7年前、わずかにものを浮かせる程度の風魔力を操れる8歳の少年が、教会から姿を消したそうで」
イェルクはゆっくりとカウンターへ近付き、礼儀正しい距離から目配せを寄越した。
「少し気になって調べてみたのですが――彼は頻繁に、町で染め粉を買っているそうですね?」
アデルは短く目を瞑った。
すでに調べは付いているということだ。
(ああ、そう)
不思議と恐怖はなかった。
来るべきときが来てしまったという、感慨と諦めだけがあった。
「もしあなたが、脱走した勇者を保護してくれていたというなら、あなたは教会の恩人です。彼を引き渡してくれたなら、我々は金貨一枚をもってあなたに謝意を表すでしょう。けれどもし、引き渡しを拒否するようなら」
イェルクが淡々と告げる。
「あなたは彼を攫い、彼が勇者として受けるはずだった栄誉を蹂躙した、大罪人ということになる」
(そういうこと)
アデルはゆっくりと息を吐き出した。
レイノルドがアデルを憎みはじめるきっかけ。
それは、教会が巨悪なんかではなかったとばれて、アデルが卑劣な誘拐犯だと――彼に与えられるはずだった栄光の日々を台なしにしてしまった犯人だと、知られてしまうことだ。
失われた歳月が長ければ長いほど、彼は自分を憎むだろう。
あのまま教会にいれば勇者になれたのに、国中から惜しみない称賛を寄せられ、王族並みの暮らしができたのにと、アデルを恨むに違いない。
(やっぱり、裏目に出たというわけね)
彼を攫って数年経ったあたりから、薄々その可能性には気付いていた。
だが、レイノルドと過ごす日々があまりにも心地よく、無意識に見ないようにしていたのだ。
「今、我々はあなたに選択肢を提示しています。彼を引き渡すか、拒否するか。我々の恩人となるか、憎むべき大罪人となるか――どちらにしますか?」
イェルクはまったく高圧的ではなかった。
露悪的ですらなかった。
事情はお察しいたしますが、とばかり、心苦しそうに眉を寄せてみせた。
「勇者候補は多くいても、実際に魔力を高水準で覚醒させるのはごくわずかです。彼を導いてくれたこと、本当なら我々は感謝すべきだと思っています。できれば穏便に話を進めたい。アデルさん」
軽く口元を歪め、居心地が悪そうに付け足すイェルクを見て、アデルは心を決めた。
彼のような人が高位にあるのなら、教会はきっとまともな組織だ。
レイノルドも教会に戻ったほうが、幸せになれるだろう。
(そうよ。ここで彼を手放すのが、最も賢明なことだわ、アデル)
喉元まで込み上げた「でも」という言葉を、アデルは慌てて飲み下す。
これまで破滅の未来を回避するために、数々の努力を重ねてきた。
けれどきっと、未来を変える最大の努力とは、この場で彼を手放すことだったのだ。
彼がアデルを殺す予知の日まで、あと7年。
ここで彼を自ら手放せば、少なくとも7年間、レイノルドは本来浴するべきだった栄誉を取り戻せる。
未来が、変わる。
「……最後に彼に、挨拶はできますか?」
長い沈黙の後、アデルは切り出した。
「突然、教会に戻れというのも、なんだか、捨てるみたいで、後味が悪いですし……。これまでのことを、きちんと謝って……少しでも、罪を軽くしたいと、言いますか……」
「もちろんですよ。ああ、でも」
イェルクはほっとしたように息を吐き、しかし少し考え込むような素振りを見せた。
「手放すことを優先したほうがいいかもしれません。というのも、僕の同志がすでにレイノルドくんを探しているのです。先に同志たちが彼と接触してしまえば、アデルさんには彼を手放す気はないのだと考え、レイノルドくんに、あなたは残酷な誘拐洗脳犯だと伝えてしまうかもしれません」
周囲から告発される前に自首しろということだ。
思ったよりも時間がない状況に、アデルは慌てて身を乗り出した。
「て、手放すって、どうすれば……?」
「簡単です。形式的なものなのですが、書類に一枚サインを頂きたく。頂いた瞬間にレイノルドくん緊急保護令が解かれ、同志たちも探索を止めるようになるという寸法です」
察するに、伝達の魔力か何かが込められた書式なのだろう。
(ひとまず先にサインして、レイノルドにはそれからきちんと話そう)
アデルは頷き、カウンターからペンを取り出した。
「わかりました。サインというのは、どちらの紙に?」
「ありがとうございます。ですがすみません、誓約書は重大な魔法が掛かった代物なので、易々とは持ち歩けず……東十番教会に保管してあるので、そちらまでご足労いただく形になります」
サインした途端に探索者たちに伝達するような代物なのだ。当然のことだろう。
アデルは先走ってしまった恥ずかしさをごまかしながらペンを置き、ドアへと身を翻した。
聖職者たちがレイノルドに接触するよりも早く、東十番教会に赴かねばならない。
森に接する町の中心部にあるこの教会は、ここからだと徒歩で二時間ほど。
急ぐに越したことはないだろう。
「わかりました。では行きましょう。すみませんが、コートとブーツだけ取ってきても?」
「そんなに慌てないでください。我々は馬車で来たのです。書き置きくらい残していただく時間はありますよ。もしかしたらレイノルドくんは、誰とも接触せぬまま戻ってくるかもしれませんし」
言われてようやくその可能性に思い当たったアデルは、慌ててメモを取り出すと、買い物に行かせていた弟子たちに伝言を書き残した。
やたらと予知のことを心配してくれていたエミリーには「東十番教会に行ってきます。ちょっと未来を変えてくる」。
最年長のマルティンには「エミリーのことをよろしく」。
レイノルドには、なんと書いたものか悩み、結局、「戻ったら話があります」とだけ記した。
いくら今後7年の栄光を返還するといっても、これまでに奪った7年について、軽々しく紙上で詫びられるとも思えない。
(今日話したら、それを最後に、レイノルドとは会わなくなるんだろうな)
アデルはじっとメモを見下ろし、しばしの間感傷に耽った。
善くも悪くも、あと7年はこんな生活が続くと思っていたから、まさかこんなに早く彼と別れることになるとは思わなかった。
もっとお気楽に距離を取れると思っていたのに、胸にぽっかりと穴が空いたように、寂しい。
(だめだめ。これは、私が安全に生き延びるために必要なこと)
ブラッディレイノルドに迫られ、手足や目とおさらばするのはごめんだ。
アデルはぶんぶん首を振って感傷を振り払うと、今度こそイェルクに向き直った。
「お待たせしました……」
「いいえ、ちっとも」
イェルクは優しく首を振り、姫君にでもするような挙措でアデルを馬車に導いた。
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