一、二十一歳 出逢い
東第二館の端、外階段の影で隠れるように作られた喫煙所は、経済学部生や法学部生のたまり場のようになっていた。大学内で未成年が大っぴらに覚えたての煙草を咥え込むようなことはしないが、大抵の時間は先輩の誰かがいるだろう、と入学したばかりの一年生が噂を聞いて足繁く通う。
灰皿が一つしかない場所に二十人以上が集っていることなんかもざらで、学生にとっては教務室よりもずっと重要な場所となっていた。
ここ以外にも東キャンパスには二つ、西キャンパスに一つと、二ヶ所に分かれている食堂にもそれぞれ一つずつ。合計六つも備え付けられているせいか、場所によって集まってくる学部生は違っている。
他学部に混ざったところで険悪な雰囲気になるわけでもないが、サークルやゼミを通してどの喫煙所にはどの学部生が多いかの情報は広められる。出逢いを求めてわざと他学部の集まる場所に行く生徒もいるが、ほとんどはテスト対策や楽に単位が取れる教授を知りたくて通っているから、結局は同学部の生徒が集まってしまう。
そうしていつの間にか経済学部と法学部の巣になってしまった東第二館の喫煙所で、一際目立つグループがあった。
「あれ、銘柄変えたの?」
茶色くカラーリングした髪の毛を高い位置で二つのお団子に纏めた少女が、隣で片膝を立てて行儀悪く座る越谷の煙草を指した。北斗七星を模したパッケージが特徴的なタールの重い煙草は、普段吸っているものとは違う。正しく指摘されてしまったことに越谷は薄く笑って、ケースに突っ込んでいた安っぽいライターで火を点けた。
「売り切れやってん、しゃあなしやな」
「しゃあなしとか言うなや、俺が吸っとるやんけ」
「せやなぁ、越谷の言う通りや」
ふわり、と広がりながら空気を白く濁らせていく煙と一緒に吐き出した言葉は、同じく火を点けたばかりの友人に拾われる。漂う煙は越谷たちのグループが吸う三本だけであるが、その内の二つは北斗七星の銘柄になるからか、一気に煙草の香りが散らばった。
吸い始めた頃から格好付けてこの銘柄と決めていた友人の
同じく友人の
「なんでやねん、煙草言うたらこれやろ」
「それは分かるけど、なんややっぱり僕は苦手やなぁ」
二口、三口と吸いながらも、やはりいつもの銘柄がいいな、とまだ半分ほどが残っているソフトケースの煙草を佐倉に押し付ける。渡された煙草を恭しく掲げながら受け取って、しかしきちんと中に入れ込んでいたライターは返してくれた。
使い捨てのものではあるけれど、万年金欠の大学生には何本も買い込んでおく余裕はなく、これが唯一のライターだった越谷は素直に礼を伝えて受け取った。
聞いてきた当人の少女は最初の一言で疑問は解決したのか、既に興味を失くして傷んだ毛先を弄んでいる。それに気付きながら、越谷も友人二人も声を掛けることはしない。掛ける言葉を持っていない、と言い換えてもいい。
三年に上がってから選択授業の被った彼女は、ずっと一緒にいる友人というわけではない。こうして被った授業の終わりにだけ後ろを着いてくる姿に、三人はどうしたものかと手を焼いていた。
煙で隠すように視線を交わし、羽住がしょうがないと言うように肩を竦める。それに越谷と佐倉は小さく笑い、またどうでもいいような雑談に戻った。
さっきの授業で前に座っていた子が盛大に船を漕いでいた、来週が締め切りのレポートが詰まっている。中身の無い話は明日にはもう忘れているだろうが、この気を遣わない感じが楽だった。
あと五分もすれば、一人だけ法学部の羽住は必修の授業が始まる。経済学部の二人は一コマ分の空きはあるが、来週締め切りのくせにまだ真っ白なレポートに手を付けなければいけない。
そろそろか、と短くなった煙草を灰皿に押しつけようとしたとき、今までつまらなさそうに毛先を弄っていた少女が何かを思い出したようにあ、と宙を見つめた。
「そう言えばさ、言語学部にゲイがいるって知ってる?」
流行りの髪型に、流行りの服装。しっかりと化粧をしている姿は派手でこの近くではあまり見かけないタイプではあるが、深爪になる手前で切り揃えられている爪には何も塗られていない。そのアンバランスさにふと気が付いて、最初は何を言われたのか分からなかった。
三人はもう一度視線を交わし、それから少女へと目を向ける。面白がる、というよりは眉間に皺を寄せて嫌悪を見せる少女は、毛先を弄っている手はそのままに丸い瞳だけを越谷へと向けた。
「友だちが告白したらしいんだけどさ、自分はゲイだからって断られたの。何それって感じじゃない?」
他人の色恋沙汰を又聞きしてしまった申し訳なさに、越谷の眉間にも皺が寄る。ちらりと横目で窺うと、佐倉や羽住もどう反応していいか分からない、と困ったように眉尻を下げていた。
目の周りを黒いアイラインで囲んでいるおかげで本来よりもずっと大きく見える瞳が、同意を求めて真っ直ぐに見上げてくる。彼女が欲している言葉はこれだろう、と見当は付いているのに、その言葉を吐き出していいのかどうか分からなくなる。言語学部の生徒が誰なのかは分からないが、一歩間違えると大惨事にもなり兼ねない。
「……正直に話してくれたんやったら、よかったんとちゃうの?」
そうだね、とか。かわいそうだったね、とか。
彼女はそういう慰めの言葉を期待していたのだろう。友だちを憐れんであげている自分を見てほしいのか、それともただ気色が悪いと前面に押し出していることに同意してほしいのか。
詳細のところは分からないが、どちらとも取れる眉間の皺に越谷はごくりと唾を飲み込んだ。なんとか吐き出した言葉は震えているように思えて、取り繕うように瞼を伏せる。それがにこりと笑ったように見えたのか、少女はぴくりと下瞼を膨らませた。
あからさまに期待外れだったと表情に浮かべ、立ち尽くしたままの二人へと視線を外す。だけれど二人も暖簾に腕押し、糠に釘。へらりと笑って切り抜けようとする姿に嫌気が差したのか、つんと唇を尖らせてしまった。
「その友だちも、適当な理由で納得させられるんは嫌やろ」
「まぁ……、そうかもだけどさぁ」
視線を逸らしてばかりの少女を慰めるように腰を屈めて覗き込む越谷に、それでも少女の機嫌は直らない。佐倉は呆れかえって二本目の煙草に火を点け、羽住は時間がやばいからと軽く手を上げて走って行った。
佐倉からの応援は期待出来ない、と越谷は彼女と隣り合っていない右手をぎゅっと握り締める。きっと彼女は自分のことが好きなんだろうな、と諦めにも似た気持ちは、手のひらに爪先を食い込ませた。
「どんな男か知らんけど、そいつよりええ男なんてぎょうさんおるんやから」
身長の低い女の子は、自分よりも大きな男性から上目遣いをされるのに弱い。経験談として知っている越谷は覗き込むままにわざと上目遣いにして、にっこりと微笑んでやった。そうすると少女はそれらしく頬を赤く染め、そうだね、なんて照れたように言う。
佐倉に肩を小突かれて、越谷は一口分が残っていた煙草を吸ってから灰皿に捨てる。少女が望んだ結果にはならなかったが、それでも許容範囲内には落ち着いたらしい。よかったと胸を撫で、佐倉を見上げて笑い合った。
*****
友だちが告白をしたら、ゲイだと断られてしまった。
一週間前に聞いた出来事が、ずっと頭から離れてくれない。ぐるぐると少女の嫌悪が滲む硬い声を思い出して、知らず漏れそうになった溜息を無理矢理に飲み込んだ。
東第二館の喫煙所は講義中でも誰か一人は必ずいると言うのに、今日ばかりは何故か越谷一人しかいない。近くの通りを走る車やバイクの音だけが響いて、同じことばかりが浮かんでは消える越谷にとっては静かすぎるくらいであった。
食堂に行けば良かったな、と思いながらもベンチに沈めた腰は持ち上がらず、惰性で咥えた煙草に火は点いていない。挟んだ歯でゆらゆらと揺らしながら、ぼんやりと宙を見上げる。視界いっぱいに広がる空は青く澄んでいて、もうすぐ訪れる夏の気配を背負っていた。
今にもオイル切れを起こしそうなライターをポケットから引っ張り出し、遊ぶだけだった煙草に火を点ける。あの日佐倉から返してもらったライターは、あと数日もしたらゴミ箱行きとなるだろう。半透明の緑に透かされたオイルを見つめ、喉奥に溜まった靄を煙と一緒に吐き出した。
高校一年のときに同じクラスになってからずっとつるんでいる佐倉にも、佐倉の幼馴染みだと紹介された応用クラスの羽住にも言っていない、一生言えないだろうと諦めている秘密がある。それは勿論、両親にもたまの付き合いがある親戚にも伝えていない。
越谷は、言語学部の誰かと同じ、ゲイである、と。
きっかけは、中学二年生のとき。友人が隠れて持ってきたエロ本をみんなで覗いて誰が好みなのかと話しているとき、越谷は自分が周りと同じように興奮していないことに気が付いた。布面積の少ない水着姿の女性に思うのは、寒そうだな、ということだけ。
そのときは単純に水着そのものが好みじゃなかったか、気になるタイプの女性がいなかったかだと思った。どの子がいいと騒ぐ友人にここにはいないな、と言えば、思春期の男子はエロいだのどんな衣装が好みだの余計に五月蝿くなる。
自分でも分からない好みに、焦りは感じていなかった。いつか自然と好きになる女の子が現れるだろうと信じていたのに、そのすぐ後に目で追い掛けるようになったのは自分と同じ男子生徒だった。
隣のクラスの、将棋部に所属している物静かな男の子。いつも一緒に遊んでいる騒がしい男子とは違って、休み時間も将棋の本を読んでいる横顔にどうしてか心を奪われた。
一年生の頃も違うクラスだったから話したことはないし、知っているのは川原という苗字と部活だけ。それも地方大会で優勝して、表彰されたから知ることの出来た情報だ。
どんな声で話すのか、どんなことで笑うのか。どの教科が好きで、成績はいいのかどうか。何も知らないくせに気付けば彼ばかりを見つめていて、ああこれが好きだということかと腑に落ちてしまった。
エロ本を見て興奮しなかった理由は分かったものの、気が付いた瞬間は自分がまるで正常じゃなくなったかのような錯覚に陥った。さっきまで一緒に笑い合っていた友人との間に出来た超えられない溝に、吐き気を覚えてトイレに駆け込んだこともある。
もしかしたら、自分は同性が好きなのかもしれない。川原くんだけが特別なのではなく、男性という自分と同じ身体を持つ人たちのことを好きになるのかもしれない。
今まで何ひとつ疑わなかった当たり前が崩れて、右も左も分からない赤ん坊に戻った気になる。自分の新しい一面だと楽観視することは出来なくて、家族にも先生にも打ち明けることは叶わない。世界の終わりを知ったかと思った。
周りと同じフリをしなければいけないと、告白してくれた女の子と付き合ってみたこともある。中学でも高校でも、大学に上がってからも彼女は出来たが、好きだと言い募ってくるのも別れを投げつけるのも女の子の方だった。
初体験は初めて出来た一つ上の彼女と済ませ、自分は女性ともそういうことが出来てしまえるのだと、これもまた絶望してしまった。柔らかい体も、鼻に掛かる甘く高い声も、花を煮詰めたような香りも、気持ちが悪いとさえ思ったのに。
気持ちが悪いのに、気持ちが良い。相反する感情になんだか口惜しくなったのは初めてのときだけで、二回目からはなんとも思わなくなった。
自分を騙して、周りに嘘をついて、偽りの笑顔を振り撒く。越谷にとってはそれが当たり前だった。本当のことを話して距離を置かれるのも、まるで犯罪者のように後ろ指を指されながら生きていくのも嫌で、誰にも明かさずに死ぬまで抱えていようと諦めていた。
好きでもない女性と結婚して、欲しくもない子どもを授かって、違和感も嫌悪感も抱えて生きていく。自分の人生なんてそんなものだろう。そう、思い込んでいた。
だけれど、顔も名前も知らない言語学部の彼は、偽ることもなく正直に話していた。それが本人のポリシーなのか、それとも言い募られるのが面倒で遠ざけるために話したのか。その場に居合わせなかった越谷には分かるはずもないが、怖がることもなく誠実に伝えていることが純粋にすごいと思った。
誰なのだろうかと気にはなりつつも、言語学部の誰なのかと聞いてしまったら自分もそうだと言っているように思えて、雑談として話題にした少女には尋ねていない。彼女が浮かべた嫌悪の表情は、思い出さずとも瞼の裏に刻み付いている。垣間見ただけでも背筋が冷えるのに、それを真っ正面から受け止める勇気はない。
肺まで届くように思いきり吸い込んで、くらりと頭の芯が痺れるような心地になったところで吐き出す。煙は真っ直ぐに伸びていって、真っ青に染まる空に白い雲を作る。今日はいつもの店にいつもの煙草が入荷していたから、馴染みの深い味と香りが沁みていく。
彼女が欲しいと嘆いている周りに合わせて彼女を作って、だけれどまるっきり同じにはなりきれない。ただの作業として付き合う欲の捌け口では満足出来なくて、バレないようにと隠れてハッテン場に通った。
薄暗い公園の隅で一夜限りの相手を探し、見つかれば一緒にホテルへ行く。未成年にしか見えない越谷に逃げる三十代の男もいれば、嬉しそうに腰に手を回す四十代の男もいた。欲の前ではみんな同じで、善いも悪いもそこにはない。
フリーのときは勿論だけれど、彼女がいたとしても変わらずにそうして相手を探した。自分の節操のなさを思い返し、高校の制服を着たままホテルのベッドで薄ら笑う。どうしようもないな、と呟く越谷に、小綺麗なスーツを着た三十過ぎの大人はそういうものだ、と左手の薬指で輝く指輪を見せてくれた。
三年に上がってからはゼミに所属して忙しくなったし、そこまで劣情を持て余すこともなくなったからハッテン場には行かなくなった。彼女を作る気力も湧かず、今は佐倉や羽住と馬鹿な話で盛り上がっている方が楽しい。
人が来ないのをいいことに底が擦り減ってきたスニーカーを脱ぎ捨て、ベンチの上で胡坐をかく。両膝を抱え込んで吐き出した煙はまた青い空に雲を描き、尾も引かずに消えていった。
「なに黄昏れとんねん」
入道雲まで育てるには、あと何人いればいいんだろうか。空気の中に霧散していく煙を維持することが難しいのは分かるが、何十人という数で挑めば一秒くらいは出来る気がする。
そんな結論の出ないことを考えていると、二日振りに耳にする声が聞こえてきた。胡坐をかいたまま左に視線をずらせば、体調不良で昨日は休んでいた佐倉がいつもと変わらない調子でやって来る。隣には羽住もいて、こちらはもう既に煙草を咥えていた。
「別に、そんなんとちゃうわ」
どかりとこちらも行儀悪く足を広げて座った佐倉に、灰皿の隣を陣取った羽住は片手をパンツのポケットに突っ込んでにやにやと笑う。
何が楽しいのか分からないが、越谷や佐倉と比べて口数の多くない羽住はその代わりかのように表情がころころと変わる。幼馴染みらしい佐倉に言わせると、喋り担当を人に任せているだけのサボりらしいのだが、三人の中では一番羽住がモテた。
中学のときからずっと付き合っている彼女がいるらしい羽住と、大学に入って知り合った彼女と最近別れてしまった佐倉。気安い二人は越谷が一生抱え続けなければいけないと諦めた秘密を伝えても常と変わらない態度で接してくれる気もするが、実際のところは話してみないと分からない。
もし本当のことを伝えて幻滅でもされてしまえば、越谷はこれから先の人生を人間不信で過ごすことになるだろう。そんな可能性を捨てきることは出来ないから、結局は何も伝えられずにいた。
「何考えとったん?」
大学内で堂々と歩き煙草をしてきたらしい羽住は早々に一本目を灰皿に沈め、片手を突っ込んでいたポケットからケースを取り出す。何種類かの煙草を試した結果、今は白地に濃い青のラインが入った銘柄に落ち着いたらしい。もう浮気しないとは言っていたが、来月辺りにはまた別の煙草に変わっているだろうな、と佐倉と話したことがある。
使い捨てのライターで火を点けて、一つ煙を吐き出してから羽住は端的に聞いてくる。染めたことのない髪の毛は短く切り揃えられ、寝癖なのかセットなのか、ぴょこぴょこと自由に跳ね回っていた。
何、と聞かれて、越谷は思わず視線を羽住の顔からその足元へと落としてしまう。考えていたのは自分の性的対象のことで、一週間前に聞いた言語学部生がどんな男なのか気になっている、ということ。それをそのまま伝えてしまうわけにもいかず、言葉が舌の上で乾いていく。
「あれか、あの子が言うとった言語学部生」
「ぅえ!?」
なんて誤魔化そうか、それともただ興味関心が湧いたと嘯いて彼の話をしてみるか。そんなことを考えていると、佐倉から核心を突かれて変な声が出てしまった。病み上がりだからと煙草を取り出す様子はなく、ちらりと一瞥した瞳に面白がるような色は見えない。
越谷は驚くままに佐倉と羽住の様子を順番に伺っていると、にやにやと垂れがちな目尻を細めて羽住が笑う。だけれどその奥に宿っているのは佐倉と同じで、ただ揶揄うような適当なものには見えなかった。
「……なんで、そう思ったん?」
「えー、なんで言われてもなぁ。なんや、ええ奴な気ぃするし会ってみたいなぁ、って思ってん。俺も」
「馬鹿正直さで言うたら、お前らも言われへんやろ」
どことなく曖昧な言い方をする佐倉に、羽住は呆れたように笑いながら言葉を返す。馬鹿、という枕詞に反応した佐倉は不満気な表情も態度も隠していないが、越谷はただ流すように苦く笑うしか出来ない。
嘘をつくのは下手くそだとよく言われるが、自分の性癖に関して周りに勘付かれたことはない。気を遣って厄介者扱いするようなこともされていないから、高校から合わせて六年目の付き合いになる二人にもバレてはいないはずだ。
馬鹿正直であったなら、二人はもう越谷の友人ではなくなっているだろう。
「でも、なんやっけ、綾部? そいつ、三年のあいだやと結構噂になっとるな」
背凭れに脱力した佐倉は、ベンチに転がしていた越谷のライターを手慰みに使う。寿命の少ないライターが、炎を点けたり消されたり、佐倉の気分次第でその命を削っていく。オレンジにも青にも揺れる炎に視線を投げていた越谷は、ふと聞こえてきた名前に吐こうとしていた煙を飲み込んで咽てしまった。
逆流してきた煙に驚いた身体が何度も咳き込み、喉奥が引き攣るような痛みを訴えてくる。佐倉も羽住も何をしているのだ、と呆れて笑っているが、越谷としてはそれどころじゃなかった。
「ちょぉ、佐倉、おまっ、んん、お前、今何て言うた?」
喉にいがらっぽいムカつきが残るが、それでも聞こえてきた言葉に納得が出来なくて、咳き込みながらも佐倉に迫る。急に様子の変えた越谷に二人は顔を見合わせ、だけれど急に変わった理由が分からずに首を傾げるだけだった。
「何ぃて、噂? 多分告白した子ぉか、それか見とった誰かとちゃう?」
「いや、噂も気になるけど、名前や名前。あやべくん?」
あと少し前に滑ればベンチから落ちてしまいそうな体勢で、佐倉は面倒臭そうに越谷を見上げた。そんな友人の中途半端な姿に腰が痛くならないのだろうか、と思いながらもそこにツッコむ余裕はない。
一週間も彼の話が忘れられなかったはずなのに、噂話にまで発展しているとは知らなかった。学内で告白していたのなら目撃者はいるだろうし、当事者にしろ第三者にしろ、面白おかしく吹聴して歩いていても不思議ではない。
大学生は娯楽に飢えているし、ゲイだと公言する物好きは早々いない。世間的にはまだまだ可笑しな性癖の一つで、病気を疑われることもあって、だからみんなバレないようにと本当の自分を隠している。
越谷もずっと秘めていることで、笑いものにされるくらいなら黙って周りを偽っている方がまだマシだと思っている。
だけれど本当のことを包み隠さず伝えた彼は、案の定噂になってしまっている。本人にそれが予想出来ていたのかどうかは分からないが、筋違いだとしても越谷は口惜しくなった。
「ああ、うん。言語学部三年の綾部。顔は俺も知らん」
「俺、一年のときに選択被ったことあんねんけど、あんま印象残ってへんわ」
急に騒がしくなった越谷に眉根を寄せながらも、佐倉は丁寧に学年まで教えてくれる。同期なのか、と言語学部に知り合いがいなかったかどうか頭に思い浮かべていると、今思い出したというテンションの羽住がぽろりと溢す。
それに驚いたのは越谷だけじゃなく佐倉も同じで、ぐだぐだと下に下に伸びていた姿勢を勢いよく起こし、浜辺に打ち上がった魚のように跳ねた。
「はぁ!? お前知っとんのかい!」
元々つっている目尻が余計に持ち上がり、佐倉はどこか口惜しそうに頭を抱える。そんな反応には首を傾げるだけで、羽住はまた煙草を一口吸う。越谷は三口ほどしか吸えていない灰だらけの煙草を灰皿に捨て、必死に綾部という生徒の顔を思い出そうとする。
「第二の中国語。お前らはスペインかフランスかのどっちかやろ」
綾部という名前に地名以外の聞き覚えはなく、羽住曰く印象に残らないらしい顔を浮かべようにも全く像が結ばない。誰だっただろうか、と思考を巡らせていると、まず思い出す先がないのだと指摘されてしまった。
経済学部と法学部で必修科目が似ている三人は大体同じ授業を受けているが、第二外国語だけは三人が三人とも違う言語を選んでいた。そのときに知り合ったのだと言われてしまえば、顔見知りの多い越谷でも誰か分からなくて当然だろう。
佐倉も知らなくて当然の授業で、何故かほっとしたように胸を撫で下ろしている。何でだよ、と羽住にツッコまれた言葉も、何でもないとにこやかに受け流した。
学部も学年も名前も分かってしまえば、顔を見に行くくらいは出来るだろう。三年であれば専攻科目が増え、言語学部の教員に聞けばどこで講義しているのかもすぐに教えてくれるはずだ。
だけれど、それをするほどのことなのか、と聞かれると首を傾げてしまう。頭から離れないくらいに気になっているのは、自分が隠していることを馬鹿正直に話してしまえるすごさがあるからだ。
潔くて格好良いな、と思いこそすれ、ゲイなんだよね、なんて話しかけてしまえば自分にまで被害が及ぶ。危険を冒してまで会ってみたいかと思い返しても、喋りたいことがあるわけでもないしそこまでじゃない、と言いきれる。
噂も、結局はゲイだなんだというものだろう。それを本人に確かめに行くような無神経さはないな、と越谷は一人納得する。すごいな、とただ又聞きした話で満足するくらいで別にいい。
「僕の話? 第二の選択の話?」
言語学部なら学部棟も近いけれど、必修科目が被ることも何かのタイミングですれ違うことも早々ないだろう。知り合って何がしたいかも分からない状況でわざわざ会いに行くのも違うだろう、と越谷が自分に言い聞かせていると、三人しかいなかった空間に割り込んでくる声があった。
誰だろう、と三人の視線が声のする方へと向けられる。東第二館の外階段の下は日陰になっていて暗いが、雲一つなく晴れている日向は陽射しが強くて眩しい。
急に明るくなった視界に思わず瞼を伏せ、ゆっくりと瞬いてから瞳を開けると、線の細い小柄な青年がいた。
平均身長くらいしかないだろう体は、シャツにカーディガンを羽織っている状態でも筋肉がないんだろうな、と思えるくらいに薄っぺらい。微かに口角を持ち上げている様子は穏やかで、葉桜になった木の下に立つ姿は絵に描いたような文学少年のそれだ。
「おう、久し振りやな」
「羽住くんだよね? お久し振り」
煙草を挟んだままひらりと片手を挙げる羽住に、青年は喫煙所へと近付いてくる。見覚えのない顔に越谷は佐倉に視線を向けるが、彼も不思議そうな顔で羽住を見上げるだけになっていた。
「羽住、どちらさん?」
学内では三人でいることが多いからか、気付けば共通の知り合いばかりになっている。見覚えが無いと言うことは法学部の生徒か、と越谷はベンチで転がっているボックスから煙草を取り出し、いまだ佐倉の手元に収まっているライターを取り返す。
「どちらさんて、散々話しとったやんけ。言語学部の綾部や」
オイル切れ間近のライターは火が点きにくく、何度か擦ってようやくオレンジの炎が揺れる。それに煙草を近付けてじりじりと葉っぱの燃える音を背景に、しょうがないという調子を含ませた羽住の声が降ってくる。
あやべさんね、初めましての人やな。そんなことを遠巻きに思っていると、聞き覚えのある名前に吐き出す煙がふわりと円を描く。ふわふわと左右に広がっていく白い煙の奥でこちらを見ているのは、今の今まで話題にしていた言語学部三年の綾部であった。
「へぇ、お前が綾部か。俺は佐倉、こいつとは幼馴染や」
さらりと右手を差し出す佐倉に、綾部はどうも、と握り返す。羽住の言葉で何を話されていたか想像はついているだろうが、それを気にした素振りは見せない。佐倉に合わせていた視線が、越谷の元へと滑ってくる。
ぱちり、と混じった視線に、じりじりと燃える煙草の音がやけにはっきりと耳に入ってきた。時間が止まってしまったように綾部から視線を逸らすことが出来ず、彼も同じように瞼を伏せることはしない。
一秒、二秒と二人の間に流れる空気が止まっていると、左腕がおもいっきり叩かれる。突然の衝撃に顔を向ければ、眉根を寄せた佐倉が吐息だけで名前、と告げていた。
「っあ、あー……。越谷、です……」
「なんで敬語やねん」
我に返っても気の利いたことは言えなくて、他人行儀な言い方になってしまった。佐倉のもっともなツッコみにへらりと心のこもっていない笑みを返し、呆れかえった溜息を吐かれてしまう。
佐倉に倣って重ねた手のひらは、見た目の印象と同じように薄い。まだ夏とは到底呼べない気温であるはずなのに、越谷の手のひらだけが汗ばんでいてすぐに離してしまった。
どんな人なのだろうかと思って、気にはなっていた。羽住に言わせると馬鹿正直で、佐倉が感じた人物像は良い奴で。越谷が浮かべたのも二人の感想と代わり映えのしないもので、話してみたいな、とは思っていた。
だけれど、何を話したいかと言われると出てこない。こうして実際に本人を前にしても上手い具合に言葉が出てくるわけでもなく、自分のへたれた調子に肩が落ちる。
「ここ、通りかかるん珍しぃない? 俺ら大体ここにおるけど、見かけたことない気ぃするわ」
「東館で受けている授業がないからね。今日はたまたまだよ」
「言語学部ってゼミ室どこなん?」
だらだらと姿勢を崩していた佐倉の身体が前のめりに傾く。三人が気軽に交わしていく会話を聞くともなしに聞きながら、越谷はじりじりと少しずつ燃えて溜まってきた灰を落とす。白と黒が不均等に混ざり、灰皿の中を汚した。
水を吸い込んで沈んでいく灰をじっと見ていると、聞こえているはずの声が遠くなる。楽しそうに笑っている佐倉の声が響いて、考えていたことが一つ、二つと急激に浮かび上がってきた。
話してみたい。何を話せばいいか分からない。どうしてこの狭い大学という中で、自分がゲイだと言えたのか。でもそんな不躾なことは聞けない。佐倉と羽住は、彼と何を話してそんなに笑っているのだろうか。
「ごめん、そろそろ行かないと」
「引き留めて悪かったな」
「また会うか分からへんけど、まぁ、会うたらよろしくな」
腕時計を確認して並木の方を指さす綾部に、二人はさらりと言葉を返している。偶然この場所で顔を合わせただけで、次に期待するような素振りはない。三人は顔見知りになっただけで友人でもなんでもなく、これから先二度と会わなくても問題はないからだ。
ぼんやりとし過ぎて燃えるだけになっていた煙草が、火種さえ足元に落としてしまう。まだ半分ほどが残っていた煙草に勿体ないという思いが込み上げてくるが、それ以上の何かが喉奥から飛び出してきそうになる。
「あ、の!」
今までにないくらい乱雑に意味のなくなった煙草を灰皿に放り捨て、もう既に背中を向けていた綾部の左腕を掴む。予想のしていなかった綾部の身体はぐらりと後ろに引っ張られ、その軽さに驚いた越谷は転ばないよう咄嗟にその薄い両肩を支えた。
「……なに?」
一重でつった目尻の瞳が、真ん丸に開かれて呆然と見上げてくる。目の形としては佐倉とよく似た作りに見えるが、色素の濃い瞳は大きくて、それだけで随分と印象が変わるのだな、と後ろから抱き込むような体勢のままで思う。
見上げている綾部も、じっと見下ろしている越谷も、瞬きの数が多い。睫毛の揺れる音だけが重なるように響いて、二人の間に漂う空気がゆったりと時間を遅くする。
「なに?」
同じ言葉が繰り返される。早送りをするかのように流れる時間が正常に戻り、越谷は問われた言葉の意味を頭の中で一周させた。
どうして引き留めたのか、と言われても越谷には分からない。未知との遭遇に驚いたからと言われたらそれまでだし、例え自身と同じ性癖を持っていても学内の人間においそれと話してしまうわけにはいかなかった。
佐倉と羽住の訝しるような二対の視線が背中に、後頭部に、ぐさぐさと突き刺さる。無理矢理捕まえている状態でずっといるわけにはいかなくて、越谷は上手く動いてくれない脳みそからどうにか当たり障りのない言葉を探した。
「え、えっと、あー……、その……、えっと……」
だけど出てくるのは場を保たせているとは思えないような声だけで、それ以上に何か意味のある言葉が続いてくれることはない。訝しんでいた視線が、段々と憐れみの色へと変わる。越谷は背中に冷や汗を伝わせて、支えていた両肩からゆっくりと時間を掛けて両手のひらを離した。
言いたいことも、聞きたいことも、濁流のごとく溢れてくるのに言葉にはならない。自分でも何を口にしたいのか分からなくなって、越谷の視線は戸惑うようにぐらぐらと揺れるだけになる。喉が渇いて、舌先がぴりぴりと痛い。
遠ざかっていく体温に何を思ったのか、大きな手のひらに視線を落とした綾部は小さく溜息を吐き出す。ただの呼吸とも間違えてしまいそうに細やかな溜息は、越谷のところに届く前に空気中へと溶けていく。
未だ言葉の見つからない越谷に、綾部は瞼を持ち上げて真っ直ぐに見上げた。逸らすことのない瞳に、見守るだけの佐倉や羽住も目が離せなくなる。
「ヤリたいって言われても、ごめんね。申し訳ないけれど経験がないから、遠慮させてもらうよ」
冗談のように軽い調子で言葉にしておいて、その表情は笑っても怒ってもいなかった。瞳の奥にただ越谷の姿を反射して、だけれど実際には何も見ていないようにも思える。
教師に当てられて答えを告げる生徒のように、母親の小言を無心に受け流している子どものように、表面に浮かんだ感情が何なのかが見えない。準備されていた言葉を淡々と口にする姿に、越谷はただぼんやりと口を開けているしか出来なかった。
「それじゃあ、これで」
「えっ、あ、ちょ! ちょぉ待って!」
気持ちのこもっていない言葉の余韻だけを残して去っていこうとする綾部の左腕を、越谷は巻き戻しのようにもう一度掴んで止める。今度は後ろに倒れてくるようなことはなく、静かに振り返って凪いだ表情を見せた。
「まだ何か?」
動かない表情は怒っているようにも、呆れかえっているようにも見えない。何にも染まっていないように見えるのに、羽住たちと話していたときの気安い声色は消えていた。
喉に引っかかるいがらっぽさを、奥歯を噛み締めることで我慢する。舌先の痺れはまだ残っていたけれど、それを気にしている時間はない。
あんなことを言わせたいわけではなかった。高校生の頃によく通ったハッテン場では直接的な言葉も横行していたが、今越谷たちがいるのは真っ昼間の大学だ。いくら自分たち以外の人間がいないからといって、初対面の人間に浴びせる言葉ではないだろう。
馬鹿正直に本当のことを話していたとして、渦中の人物にされるのを平然と受け止められるわけがない。勝手に尾ひれも背びれもつけて広められていく人物像に、自身から乖離していく好き勝手な人物評に、嫌気が差さないわけがない。
自分だったら、と置き換えそうになって、越谷は慌ててその思考にストップをかける。もしかしたらの想像をしてしまうと、その恐ろしさに膝から崩れ落ちてしまいそうだった。
「ちゃう、ちゃうねんて。僕は……、ちゃう、ちゃうな。……せや! 僕と、お友だちにならへん?」
「……は?」
掴んだままの細い腕に視線を向け、それから見上げてくる丸い瞳へと戻す。気安い調子で話してくれたらいいのに、と助走もなく浮かび上がった考えに、心の中だけでそれだ、と拍手を送った。
脈絡のない言葉に面喰らったのは綾部だけに限らず、隣で静観していた二人も同じように無意識の言葉を漏らしていた。今時の小学生でも、お友だちになりませんかと告白まがいのことをしてお友だちになるわけではあるまい。
突拍子もないと自覚はしていたけれど、越谷はその言葉を撤回するつもりはさらさらなかった。何が喋りたいかと聞かれると首を傾げるし、噂のど真ん中に立つ彼と親しくして自分もゲイだと思われるのは避けたい。
それでも佐倉や羽住と同じように気安く喋りたいと思うし、格好良いと思ったことを伝えてあげたいと思った。
「おともだち」
「せや、お友だち」
ぱちぱちと瞬いて鸚鵡返しをする単調な声に、越谷は吹っ切れたような明るい声色を返す。咄嗟に飛び出していった言葉ではあるが、名案だとにこりと笑う。
言葉の意味を浸透させるように時間を止めていた綾部は、ようやく言葉の意味に思い当たったのか、瞬くだけだった瞳をゆっくりと見開き、それから可笑しそうに細めた。
ふっ、と鼻に抜けるような小さな笑い声がして、堪えきれないと喉奥からも空気が抜けていく。にこにこと笑ったまま返事を待つ越谷に、綾部は正面から向き合って口角を持ち上げた。
「いいよ、お友だち」
さっきまでのただ映し返す丸いだけの瞳でも、感情の読み取れない表情でもない。にこりと笑うその顔には喜色が浮かんでいて、それだけで越谷は嬉しくなった。三人で楽しそうに話していたときも、きっと彼はこういう顔をしていたのだろう。
了承の返事に越谷は気持ちが盛り上がって、二回目の握手をしようと右手を差し出す。それにまた可笑しそうな小さな笑みを溢し、僅かな力で握り返してから今度こそ背中を向けて歩き出した。
「なんやねん、お友だちって」
遠ざかっていく華奢な背中を見送りながら、呆れたように言ったのは佐倉であった。羽住は三本目の煙草に手を出したのか、にやにやと口元を緩めたまま火を点けている最中だ。
「……分からへんけど、別にええやろ」
拗ねたように唇を尖らせて、越谷も三本目の煙草を取り出す。間を置かずに何本も吸っていく二人に我慢出来なくなったのか、病み上がりのくせに佐倉もとうとう煙草に手を付けた。
三人で一口、二口と煙を吸っては吐いてを繰り返す。三つに増えた白い煙は青空に広がって、大きな雲を作った。入道雲みたいだな、と吐き出した煙を見上げて、ベンチに深く腰を静める。
「まぁ、ええんとちゃう?」
にやにやと意地悪そうに笑う羽住に、二人は座ったまま視線だけを向ける。否定も肯定もしていないが、佐倉も同じようなことを思っているのだろう。伸びていく灰色の部分を見つめていると、遠くで終業を告げるチャイムが鳴った。
*****
友人になろうと幼稚な声掛けをしてから二週間、学部も選択授業も違う綾部とは一度も会えずにいた。あの日、喫煙所の前を通りがかったのが本当にたまたまだったらしく、普段通りたまり場のように使っていても目の前の並木道を通る華奢な姿は見えない。
学部も学年も分かっているのだから、訪ねて行けば会えるはずだ。思い付きで出てきた言葉ではあるが、綾部の表情や声色には戸惑いこそあれ、嫌悪は混ざっていない。会いに行って邪険にしてくるようなことはないだろうが、それでも会いに行くほどの気持ちにはまだなれていなかった。
「会いに行かんの?」
ベンチにだらしなく凭れかかる越谷の隣で、羽住はレポート課題が出されたらしい専門書を読んでいた。佐倉は灰皿を挟んだ向こう側で、同じサークルの後輩と楽しそうに喋っている。今朝に見たテレビで明らかにヅラのおじさんがいた、と本当にしょうもないことであれだけ盛り上がれるのは才能だろうかと飛んでくる笑い声に思う。
ページいっぱいに書き込まれている文字の羅列から視線を上げない羽住に、越谷もまた視線を向けないままで溜息を吐く。喫煙所に設置されたベンチに座っているのに、ここに来てから越谷も羽住も煙草には手を付けていない。
「会いに行って何話すねん」
「何って、なんでもええやん」
さらりとした返事に、二の句が続けられない。その何でも、というのが一番難しいのだが、それもどう説明したらいいのかが分からなかった。
佐倉や羽住とは待ち合わせをしなくても、教室かこの喫煙所に行けば会える。三人とも実家暮らしだが住所を知らないわけではないし、佐倉の家にはよく遊びに行っていたから突撃することも出来る。
顔を合わせると自然に隣り合っていて、起きたときからこれを話題に上げようと準備するようなこともない。それと同じだと言われるとそうなのだが、言葉にして友人になったからと言って、それがそのまま距離を縮めるわけではない。
うんうんと頭を抱えるようにして唸る友人に、羽住は苦笑いを漏らして読んでいたページを折る。栞は持っていないし栞紐もついていないし、図書館で借りたとは言え折って目印をつけるしか方法がなかった。
その折り目を読書家の越谷には見つからないようにさっさと閉じて隠し、隣り合っていないベンチの端に置いた。そろそろ煙草を吸おうかとポケットから煙草の箱を取り出したとき、日陰の下にいても分かる程度に手元が暗くなる。
「喫煙所なのに、吸わないの?」
どうせ佐倉がライターを借りに来たのだろうと気にしないでいると、聞き慣れない声が降ってくる。その珍しく聞こえてきた声に驚いたのは越谷で、ほぼ背中で座っていた体がベンチからずり落ちていった。
「ごめん、そんなに驚かせちゃった?」
ふっと鼻に掛かるような吐息で笑ってから、滑り落ちたままの姿勢で呆然と見上げている越谷に手を差し伸べる。二週間前と変わらないシャツにカーディガンという服装で目の前に立っているのは、何を理由にすれば気軽に会えるのかと考えていた綾部だった。
僅かに腰を屈めた綾部の顔と、差し出された右手と。五回は交互に見比べた越谷は、羽住に肩を小突かれたことでようやく我に返った。
「いや、うん。そないにびっくりしてもうた」
差し出された右手を取って、体重を預け過ぎないようにして立ち上がる。越谷の身長は百八十を超えていて、太っているわけではないが相応の体重はある。服の上からでも薄いことが分かる綾部に全体重を預けてしまうと、そのまま二人で地べたに転がってしまうだろう。
お礼を言いつつデニムパンツについた汚れを払い、前ポケットに入れていた煙草を取り出す。ボックスタイプのケースは蓋の部分だけが赤く色付いているため、他の煙草と区別がつきやすくなっている。
一本取り出して咥えたところで視線を感じ、目を向けると手のひらに包んだボックスをじっと見つめる綾部がいた。そう言えば何か声を掛けてきていたな、と思い出しつつ火を点けた。
「……どないしたん?」
青からオレンジに色を変える炎にフィルターを近付け、紙に包まれている葉をじりじりと燃やす。二十歳を超えてからしばらくは慣れなかったが、息を吸い込みながら煙草に火を移すのも今ではもう慣れたものだ。
先が満遍なく燃えているのを悟ってからライターを離し、臓腑に染み渡らせるようにして煙を吸う。一本線に続く白い煙を吐き出してから、一連の動作を見守っていた綾部に声を掛けた。
「いや、格好良いなって思って」
感心したような色を声に含ませ、小さな子どもみたいな反応を示す姿に煙が気管へと入っていく。咽て何度も咳き込む越谷に何をしているんだとツッコんだのは、ベンチに座ったまま二人を眺めていた羽住だ。
「……そう?」
素直にありがとうと返すのも居た堪れない言葉に、越谷は困ったように笑った。煙草を吸う姿が格好良いと女性から褒められたことはあるが、色恋の挟まない言葉にはどうもなかなか素直には返せない。照れくささの方が勝ってしまって、それ以上のことは何も言えなかった。
褒められた手前、いつも何気なくしている動作がぎこちなくなる。ただ燃える煙を吸って、白く濁った煙を吐き出して。その二つのことがどうやっていたのか分からなくなり、口内にいれた煙をそのまま吹き出すような格好の悪いものになってしまう。
ちらりと横目に眺めた羽住はまた専門書に視線を落としていたが、その口元は悪戯っ子のように緩んでいる。距離を空けて喋っているはずの佐倉も可笑しそうに二人の様子を窺っていて、越谷は耳が赤くなるのを感じた。
何が面白いのか、綾部の視線は人差し指と中指で挟まれた煙草から外れない。居た堪れない気持ちになっているのもあるが、もしかしてと思ってボックスから一本取り出した。
「吸うてみる?」
差し出した茶色と白のツートンカラーになっている煙草を目で追っていた綾部が、勢いをつけて顔を上げる。細い首が取れそうな強さに驚いてのけ反っていると、二度三度と瞬いた丸い瞳に光が散った。
「いいの?」
お菓子をもらった子どものような舌足らずな言い方に、越谷は小さく笑ってからもう一度綾部の方に煙草を差し出した。恐る恐る指を伸ばしてくる姿に、噂を聞いただけで浮かべていたイメージとは随分違うのだと思い知る。
何を言われても気丈な振る舞いを見せているのだと思っていたのに、実際には突拍子もない言葉に付き合ってくれるし、子どもっぽい表情も見せる。同い年としての格好良さもあるのだろうが、そうじゃない一面もあるのだと知った。
「どうやって点けるの?」
見ているだけでは分からないと聞いてくる綾部に、半分ほどに減った煙草の火種を消す。シケモクは味が悪くなるし男として格好悪いと先輩に教えられていたが、今は関係がないと躊躇いなく捨ててしまえた。
半分の長さになった煙草で、吸いながら火を点けるのだと実演するのは難しい。ライターから飛び出す炎が近くて鼻先を掠めるような気がして、少し及び腰になりながら説明した。
「できそう?」
「できそう」
やったこともないのに、何故か自信満々な答えに笑いが漏れそうになる。ライターも初めてらしく、横車を上手く回せない綾部に代わって炎をおこしてやり、風に消されないよう手のひらで壁を作って差し出す。
緊張したようなぎこちなさで煙草を近付け、肺を膨らませて葉を燃やしていく。じりじりと音が鳴ったと同時にオレンジ色が移り、もう大丈夫だろうと越谷はライターを外した。
「っ、げほ、」
なんとか煙草に火は点けられたみたいだが、入り込んでくる煙には咽たらしく、早々に咳き込んでしまう。始めたばかりのみんなが通る道ではあるが、煙草の仕組みがよく分かっていなかったのか、綾部は驚きに目を見開きながら咽ていた。
最初は仕方がないと眺めていると、読書を再開していたはずの羽住が立ち上がって煙草を吸い始める。褒められたことではないが、越谷も含めて三人共が未成年の内から喫煙者の仲間入りを果たしていた。
「無理はせん方がええで」
さらりと火を点けて煙を吐き出す羽住に、綾部は恨めしそうな視線を向ける。だけれどその奥に見えた佐倉も煙草を吸い出していて、一人咽ている綾部は恥ずかしそうにほんの少し頬を染めた。
「僕も最初は吸われへんかったし、ちょっとずつやって」
慰めるように言葉を吐き出して、自分もあと少しになった煙草を吸う。その仕草はぎこちないそれではなく、いつも通りの動作を無意識に出来ていた。
慣れた様子の三人を見比べて、じりじりと燃えるだけになっていた煙草を持ち上げる。薄い唇が茶色いフィルターを咥え、意を決したように吸い込むがまた同じように咳き込んでしまう。口惜しそうな様子に越谷は遠慮なく笑って、最後の一口を吸った。
「これ、あげる」
三分の一ほどに減った煙草と、半分はオイルの残っている使い捨てのライターを綾部に差し出す。咽て涙目になった綾部は器用にも片眉だけを真ん中に寄せて、どういうことだと越谷を見上げた。
「もう吸いたなかったらええけど、試してみたかったらどうぞ」
自分も吸い始めは先輩から何本もお裾分けをしてもらった。それと同じだと笑いかけると、たっぷり三秒は眺めてからようやく手を伸ばす。燃えるだけの煙草を右手に持ったまま左手で受け取ってくれた煙草に、羽住から揶揄うような口笛が飛んできた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
そんな外野の様子を無視して、三口目に挑戦する綾部を見つめる。まだ咽るだけしか出来ない姿には笑うしか出来ないが、受け取ってくれてよかったと胸を撫で下ろした。
*****
自己紹介と突然の友人宣言しか出来なかった一回目と、初めての煙草経験に立ち会えた二回目と。幼稚な爆弾発言をしておいてもう一度会えるかどうか二週間も思い悩んでいたというのに、三回目以降の機会は次から次へと舞い込んできた。
三年に進級するまでに一般教養の単位を取り終えていた綾部と、余裕を持った授業数にしていたせいでまだいくつか残っている越谷と。学部が違うから専門科目は一つも被らないし、通う教室が学部棟ごと違うからすれ違うこともない。
約束を取り付けて待ち合わせでもしないと、この広い学内で会うことは出来ない。そうは思っても何を約束すればいいのか、佐倉や羽住と同じようにはいかなくて、連絡先を聞くだけで精いっぱいだった。
それなのに、喫煙所での二回目から次の日。比較的空いている食堂で、一番安いカレーを食べている綾部を見つけた。喫煙所以外で見つけるのは初めてでテンションの上がってしまった越谷は食堂中に響く声で綾部を呼んでしまい、周りからも呼ばれた本人からも笑われてしまった。
そのまた次の日には、綾部が喫煙所に来てくれた。あれからまだ一度も吸えていないのだと言う彼は言葉の通りで、一口目から盛大に咽る姿に心配になってしまう。大きく背中を曲げると、体の細さが際立って折れてしまいそうなのだ。
一日に一回は顔を見掛けるようになって、一ヶ月も経つ頃には緊張もせず普通に話せるようになった。佐倉や羽住と同じように冗談で笑ったり、しょうもない失敗談を話して慰めてもらったり、課題やテストの愚痴を言い合ったり。
噂を聞いてその格好良さに興味を持っただけのときからは考えられないほど親しくなって、綾部も最初と比べると随分打ち解けていた。話し掛けるのは越谷に対してがほとんどではあるが、一緒にいる羽住や佐倉とも何気ない会話が出来るようになっている。
あまり印象に残っていないと語った羽住が、控えめに口元を抑えて笑う姿に目を見張ったのを憶えている。あんな風に笑うんだ、とささやかな呟きを漏らしたのは佐倉で、最初楽しそうに話していたのは二人の方なのに、と越谷は心の中だけで思っていた。
今日も喫煙所のベンチで越谷は肺まで沁み渡るようにゆっくりと、綾部はいつまでも慣れない煙に喉で止めて吐き出して、だらだらと昼休憩の時間を過ごしていた。
「今日は二人と一緒じゃないんだね」
「ん? ああ、二人ともなんや、サークルの集まりがあるんやって」
それぞれに違うサークルではあるが、二人が所属しているサークルは精力的に活動していた。定期的に集まってミーティングをしていたり、長期休みにはみんなで旅行をしたり、サークルに参加していない越谷には想像も出来ない色んな行事があるらしい。
今日はおそらく、数週間後に迫った夏休みに何をするかを話し合っているのだろう。部活動ではないから公式試合に参加するようなことはないが、他大学との合同練習なんかもあると聞いたことがある。
綾部も特にサークル活動は行っていないのか、納得したのかしていないのか、曖昧に首を傾げてから煙草を咥える。熱さも湿気も含んでいない風は心地良くて、越谷は崩れ落ちそうになっていた灰を落とした。
「あ! 越谷くん発見!」
このまま眠れてしまいそうだな、と吸い込む煙に酔い痴れるように瞼を閉じると、穏やかな昼下がりを壊す甲高い声が響いた。
姿勢を崩していた越谷はその大きな声に驚いて、正そうとした勢いのままに後頭部を壁に打ち付ける。思いきりぶつかってしまった痛みに悶えていると、隣に座る綾部が慌てたように動くのが分かった。
「だ、大丈夫?」
「めっちゃ痛い……」
じんじんと広がるような痛みに後頭部を抑えている手から、煙草が抜き取られる感覚がする。涙が滲んでいるだろう目元で見上げると、燃え尽きて今にも灰が零れそうな煙草を綾部が回収してくれていた。
ありがとうとお礼を伝える意味を込めて片手を上げると、汲み取ってくれた綾部が小さく首を振る。そうして越谷の後ろを見上げるように視線を移したから、倣うように越谷も痛みを堪えて首を回した。
視線の先にいたのは、一ヶ月と二週間前に綾部の噂を越谷たちに喋った女子生徒だ。今日は体のラインに沿ったキャミソールにブーツカットデニムを合わせていて、夏を先取りしたようなファッションが彼女によく似合っている。
下ろしている毛先を弄りながら、少女はどこか拗ねたように越谷を睨み付けた。顔も名前も一致するが、佐倉たちのように約束してなくても一緒にいるというわけでもない。一方的とも取れる恋心を向けられて、越谷はいつも以上に眉尻を垂らした。
「なにぃ、どないしてん」
何かしてしまっただろうかと思い返そうとしても、授業終わりに話す程度の仲でしかないから見つからない。二日前に顔を合わせたときはにこにこと笑っていて、羽住ににやにやと視線だけで揶揄われたのを思い出す。
少しずつ痛みが引いていく後頭部からは手を離すが、まだ頭の芯がじくじくと痛い気がする。これはたんこぶになるな、と思っていると、水滴の浮かぶ缶が隣から伸びてくる。ここに来るまでに越谷が買ったコーラで、プルタブは開いているものの中身はまだ半分くらい残っている。
これにもまた片手を上げて感謝を示し、受け取って後頭部に当てる。少しぬるくはなっていたものの、ぶつけて熱を持った場所を冷やすには充分だ。
「……なんで、そいつと仲良くしてるの?」
布団に入るときに痛かったらいやだな、と現実逃避のようなことを考えていると、低く潜められた声がする。聞いたことのない声音に反射で顔を向けると、何故か涙を滲ませて頬を真っ赤に染めた少女がいた。
え、と思う間もなく、彼女は綺麗に切り揃えられた指先を越谷の隣、綾部へと向ける。質問の意図が分からずに聞き返そうとした声が喉奥で引っ掛かって気持ち悪い。
友人がゲイだという理由で綾部に振られた。そう話してきたのは彼女で、他人事とは言えいまだに納得がいっていないのだろう。越谷からすると正直に話してくれたのだからいいのではないか、とも思うのだが、彼女の中ではまた少し違うのかもしれない。
言葉の意味にようやく至って、越谷は思わず溜息を吐き出してしまった。少女の剥き出しになった肩が大きく揺れて、ぽろりと一粒の涙が滑り落ちる。
「何でって、友だちやしなぁ」
それ以外に言えることはなくて、淡々とした口調になってしまった。最初は興味関心が湧き上がったからかもしれないが、今ではもうはっきりと友人だと言える。気になる、という佐倉や羽住には浮かばないような感情もなくはないが、その気持ちを表に出す気はなかった。
言わなくてもいいことを口にしてしまう馬鹿正直で誠実な男だと思っていたら、年相応の冗談を口にするノリの良さを見せるし、煙草に憧れを抱くような幼い表情も浮かべる。無言の空間が苦にならなくて心地が良いと、綾部も思ってくれているからこうして喫煙所にも来てくれるのだろう。
つった目尻に反して、細い眉は弧を描くように先を垂れさせている。そんな眉尻をいつも以上に垂れさせて、綾部はただ二人のやり取りを見守っている。横目にその様子を確認して、越谷の方が申し訳なさを感じてしまった。
「でも、そいつは!」
「関係ないやろ」
きっぱりと引いた線に、少女は二の句が継げずに唇を噛み締める。好かれている自覚も、誘われている感覚もあった。好きになることはこの先もないが、望まれているなら付き合ってもいいかな、と思っていたときもある。
だけれど、これ以上は無理だな、とはっきりと思った。今までは佐倉や羽住に揶揄われながらも受け流していたが、友人を非難されてまでどうこうしたい関係性ではない。
断絶された境界線に気付いて涙を流す少女に、越谷はただ困ったように笑うしか出来ない。ごめんな、と声には出さずに告げると、何も言えなくなった少女は踵を返して走り去っていった。
「……良かったの」
ふわり、と広がった葉の燃える独特の香りに視線を向けると、まだ上手く吸えない煙草を燻らす綾部がいた。火を点けるのは上手くなったのに、二口目からはなかなか上達しない。
問いかける形を取っているようで、自分に言い含めているようにも聞こえる。決して越谷の方に視線を向けない頑なさに、言外に込めた意味は簡単に察せられた。
綾部は立ち去る彼女を心配したのではない。ゲイだと公言し、噂にまでなった自分を友人だと言いきる姿に、良かったのかと不安になったのだ。
女子生徒から噂を聞いて、名前を教えてほしいと言えなかった越谷には分かる。ただ友人として隣り合っているだけで、事実はどうであれあいつもゲイじゃないのかと思われてしまう。もしかしたらと噂されて、後ろ指をさされる可能性だってある。
自覚のある越谷としては噂にはなりたくないし、平凡に楽しく大学生活を送れるならそれに越したことはない。無用な衝突は避けたいし、世間から爪はじきにされるくらいなら一生自分はゲイであることを明かしたくない。
見るともなしに遠くを眺める綾部の視線を追い掛けて、青々と茂った並木を見る。今日は全体的に刷毛で塗ったような薄い雲が広がっていて、目を細めるような眩しさはない。
立ち去った少女が誰に何を話すのか、不安が全くないとは言いきれない。事実がどうかは置いてけぼりに広がっていくだろう身勝手な噂に、恐怖を覚えないわけでもない。だけれど、そんなことで折角繋がった綾部との仲を千切ることはしたくなかった。
「別に、佐倉や羽住でも僕はおんなじこと言うよ」
強がった言葉ではなく、心から出てきたものだ。もし二人から本当はこうだったのだ、とカミングアウトされたとしても、今更友人関係をやめるつもりはない。くさい言葉ではあるかもしれないが、きっと大人になってもおじいちゃんになっても、彼らとの縁は続いていく気がする。
罪を犯したから隠蔽してほしい、とかそういうことなら自首をすすめて警察へと突き出すが、そうじゃないなら関係性は何も変わらない。いつか向こうから切られるときが来るかもしれないが、越谷から切ることは絶対にないだろう。
後頭部に当てていた缶の中身を一気に飲み干す。炭酸は抜けてただ甘いだけの液体になったコーラは不味くて、越谷はすぐに煙草を取り出した。
「……そう」
掠れた言葉は小さくて聞き返しそうになってしまったが、横目に見とめた表情に息を止める。安心したように僅かに口角を持ち上げる綾部に、越谷もまた小さく笑って煙草を咥えた。
ヤリたいなら他を当たってくれと言ってきた綾部が、噂になっていることを知らないはずはないだろう。だけれど越谷はそのことについて尋ねるつもりはないし、今のところ綾部も自分から話してくることはない。
好き勝手に言いふらされていることにストレスは感じているだろうが、自分たちといるときくらいは何も考えずにいてほしい。そんなことは思っていてもなかなか口には出せないが、ようやく越谷の方に視線を向けた綾部には伝わっているだろう。
二人しかいない喫煙所に、また綾部の咳き込む声だけが響く。咽るたびに折れそうだと心配になる薄い背中を擦りながら、合わさった視線に笑い合った。
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