第23話「最初の異世界」
衝撃と強風に耐えた後、目を開けると図書館の中ではなく屋外にいた。移動は出来たようだ。
移動の衝撃に耐えられなかったのか、全員仰向けに倒れていた。
「フィーヴェか?!」
フィトラグスが体を起こして見渡した。
周囲にはクッキーやチョコレートを組み合わせて作られた家や、キャンディで作られた街灯、ウエハースで作られたベンチ、ビスケットで出来た地面があった。
明らかにフィーヴェではなかった。
「お菓子で作られた世界、その名も菓子界だ」
ディンフルも体を起こし、近くに立っていたクッキーの看板にチョコレートで書かれた文字を読み上げた。
フィーヴェでないことに五人は落胆した。
「だろうな。フィーヴェにこんなふざけた家があったら、噂になるもんな……」
まだ最初だと言うのに、フィトラグスはもう気を落としていた。
ユアが五人揃っていることを確認した。
「よかった、全員いる。あんまり強い衝撃だったから、はぐれるかと思ったよ」
「ユアちゃん、本と鍵は?」
ティミレッジが尋ねる。
ユアの手にはリーヴルもクレイスもなく、ポケットを探っても見当たらなかった。
青ざめた顔で「ない……」と返事をすると、フィトラグス、ティミレッジ、オプダットの三人も血の気が引いた。
「ないってどういうことだよ?!」
「あれがないと俺達、他の世界に行けないんだぞ!」
「どうするのさ~?!」
「ごめんなさ~い!!」
オプダット、フィトラグス、ティミレッジがクレームをつけた。
ユアも自分のドジを猛省し泣きながら謝った。
「心配無用」
一人涼しい顔をしたディンフルが、リーヴルとクレイスを四人へ見せた。
彼らは一斉に安堵のため息をついた。
「もっと早く言え!! 寿命が縮まっただろうが! 意地悪な奴だな!」
特にフィトラグスは、相手が因縁なので余計に腹が立った。
それに対してディンフルは冷静に返す。
「何故、貴様らの寿命を心配せねばならぬ? 休戦中ではあるが、今も敵同士に変わりはない。意地悪に近いのは当然だろう?」
フィトラグスがさらに相手を睨む。
早速流れ出す気まずい空気にユア達三人はびくびくした。
「あの……、せっかく五人で旅に出てるんだから、今だけ……ね?」
ティミレッジが両者をなだめるように言った。
「他の奴は構わないが、こいつとは冗談じゃない! 言っておくが、俺は取り繕えるほど心が広くないからな!」
フィトラグスはディンフルを指して言った。
いくら故郷を奪われたとは言え、ここまで憎しみの感情をむき出しにする辺り、今だけ彼の心が広くないことはユア達も承知していた。
「それより、フィーヴェじゃなかったから、もっかい使ってみるか?」
「そ、それじゃあ、行き直しだね」
オプダットが話を変えるとユアも応じ、ディンフルからリーヴルとクレイスを受け取った。
再び鍵を表紙の鍵穴に挿そうとすると五人の背後から、ふわふわした四つ足の動物が大量に走って来た。
「うわーーー!!」
羊の集団だった。
急いで横へ避けたので、ぶつからずに済んだ。
「異世界にも羊っているんだ……」
「何か、甘い匂いがしないか?」
羊が五人の前を走って行っている間、酔いそうなぐらい強く甘い香りが漂った。明らかに動物の匂いではない。
そこへ、羊の飼い主であるおじさんが通りかかった。
「君達、大丈夫かい? 今、わたあめの羊を散歩させているんだ。悪かったね」
「わたあめ?!」
おじさんが行ってしまうと、五人は元いた場所に立った。
「だから、あんなに甘い匂いがしたのか。食べたくなって来たぁ」
ユアがわたあめの味を恋しがる中、ディンフル達四人は呆然としていた。
「わたあめ…………、とは何だ?」
「えっ?!」
ディンフルの質問に、ユアは驚いて声を上げた。
さらにフィトラグス、オプダットも首を傾げ、物知りのティミレッジでさえも「ユアちゃんは知っているの?」と聞いて来た。
ユアの世界では昔からお祭りごとの屋台には必ず出ており、近年では市販でも売っていたりする。
「フィーヴェにはないの、わたあめ?!」
「綿ならあるよ。食べる物じゃないけど」
ティミレッジが言っているのは、食べれない方の綿だった。四人が知らないところを見ると、わたあめはフィーヴェには無いようだ。
あんな美味しい物を知らないなんて……、ユアはゲームの中の人達にも知ってもらおうと思い、わたあめについて語ろうとすると……。
「おい……鍵はどうした?」
ディンフルが冷や汗をかきながら聞いた。
よく見ると、ユアの手にはリーヴルはあるが、クレイスだけ無くなっていた。恐らく、わたあめの羊から逃げる際に落としてしまったのだろう。
今度はディンフルも含めた全員の顔が青くなった。
「ど、どうしよう……」
「何をやっている?!」
「何してんだ?!」
慌てふためくユアに、ディンフルとフィトラグスが同時に怒鳴った。
急いでオプダットが辺りを探すと、坂の下にある馬車の屋根に光る物を見つけた。ユア達がいたのは坂の上なので、普段は見られない馬車の上まで見ることが出来た。
屋根に乗る光る物体は、ユアが落としたクレイスだった。
「あったぜ!」
「あんな小さくて遠いのに、よく見えるね?」
ティミレッジが感心すると、オプダットが坂の上から降りて行った。
しかしタイミング悪く、馬車は出発してしまった。
「おいぃ?!」
オプダットが坂下に急ぐが、馬車は駆け出してしまった。
「仕方あるまい! 魔法だ!」
「魔法、使えないんじゃ?」
「ミラーレを出たのだ! 使える筈!」
ディンフルはユアの疑問を振り切り、遠くへ小さくなって行く馬車へ向かって手をかざした。
しかし、何も起きない。
「む……?」
「ちゃんと、使ってるか?」
「念じてはいるのだが……」
フィトラグスに聞かれるも、ディンフルのかざした手は一切の輝きがない。
彼の性格上、この状況でふざけることは考えられないので、今もまだ使えないようだ。
「ウソだろ……?」
クレイスがどんどん遠ざかっていく。
五人が棒立ちになっていると、ユアは前で手を合わせながら深々と頭を下げて謝った。
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
「き、気にすんな! こういうことって、よくあるから!」
「そうだよ! わざとじゃなかったんだし!」
オプダットとティミレッジが必死にユアを励ますが、ディンフルとフィトラグスは良い顔をしなかった。
「よくあること? 大事なアイテムを落とすことが頻繁にあるのか?」
「わざとじゃないにしても、そんなドジ見たことないぞ。ディンフルを倒す旅に出てた時、そんなドジした奴いたか?」
フィトラグスに問われると、少し考えてからオプダットが答えた。
「……いたいた! 俺、宿屋泊まった時に、ベッドの寝心地が良くて五度寝ぐらいしてフィットにめちゃくちゃ怒られたぜ!」
「そういうドジじゃねぇ!!」
「重要なアイテムを無くしたのだ! 貴様の五度寝など可愛いものだ!」
的外れな解答にフィトラグスとディンフルが怒鳴りつけた。
「とりあえず、俺らだけ先に行く! みんなは後から来てくれ! 行くぞ、オープン!」
フィトラグスとオプダットが先に馬車を追うことにした。
ティミレッジとユアが速く走れないことを考慮した上で決めたのだ。
「あんたもダメになったな」
フィトラグスは走り出す直前で、冷めた目でディンフルを罵った。
ディンフルは眉間にしわを寄せ、彼らが去った方向を睨んでいた。
ティミレッジがおそるおそる声を掛けた。
「だ、大丈夫……ですか?」
「何が?」
ディンフルは気にしていないように振る舞うが、ティミレッジまで睨みつけた。
「人間の言うことを気にして落ち込んだと思ったか? バカバカしい! 早く追い掛けたらどうだ?」
「わ、わかりました。でも僕、走るの苦手なので、ゆっくり行っときますね」
これ以上、気に掛けると却って逆鱗に触れてしまう……そう思ったティミレッジは、早歩きでフィトラグス達の後を追い掛けて行った。
ユアとディンフルが取り残された。
「”落ち込んでない”と言っているだろう!」
心配で見つめて来るユアが何か言う前に、ディンフルが先手を打った。
ユアも彼の反応は想定済みだったが、励ましの声を掛けずにはいられなかった。
「あいつは私を嫌っている。あのように言われて当然なのだ」
「お節介かもしれないけど、気にしないでね?」
ユアはどう声を掛けていいかわからない。
手探りで励ますが、ディンフルが元気になるわけがなかった。
「本当にお節介だな。旅立つ前から、奴の言動は想定出来る。むしろ、お前に言いたい。私を好いているがために避けられたのだぞ? おまけに、早々で重要なアイテムまで無くしおって!」
「すいません……」
逆に気遣われた上、事実まで述べられたユアはまた謝った。
「改めて確認だが、主役を困らせる悪役だぞ。本当に私でいいのか?」
「うん。ディンフルに出会えて良かったのは、事実だよ。良い役ではないけど、悪い役でもいい。どんなに周りから反感買っても、ディンフルのこと好きでいたいの。”生きてて良かった”って本気で思ってる! ……だからと言って、フィット達の敵にもならないよ」
ユアは昨夜と同じく、彼への想いを告白した。
ディンフルは「本当に変わっているな」と呆れた。そしてすぐに、やわらいだ表情になり……。
「“生きてて良かった”か。あいつの口からも聞きたかった……」
まるで独り言のように言った言葉を、ユアは聞き逃さなかった。
ディンフルは彼女と目が合うと我に返り、「行くぞ」と走り始めた。
◇
二人が走って行くと、すぐ近くで早歩きのティミレッジと会った。
「まだここにいたのか」
「僕のことならお気になさらず。走るの苦手なので、このペースで行きます」
「じゃあ、私も歩く。馬車ならフィットとオープンが捕まえてくれるよ」
ユアはティミレッジの隣で彼のペースに合わせて歩き始めた。
しかしディンフルは良く思わず、ティミレッジの前に先回りすると背を向けて屈んだ。
ユアは昨日、そのポーズを見たばかりなので、何をするのかすぐにわかった。
「乗れ!」
ティミレッジをおぶって行ってくれるようだ。
「わ、悪いですよ!」
当然、本人は困惑し遠慮した。
今は休戦中でも、相手は敵である。
「別行動で迷子になられる方が困る! お前がいないと、またフィトラグスに何か言われるだろう!」
(気にしてんじゃん……)
ユアとティミレッジは同時に心で思った。
ディンフルは先ほど「気にしていない」と振る舞っていたが、言われたことをかなり気にしているようだった。
これ以上怒らせたくないティミレッジは「失礼します!」と言い、相手の背に乗った。
彼をおぶったディンフルは走り出した。小走りではなく、本気で走り始めたのでユアは頑張って後を追い掛けた。
そして、おぶわれるティミレッジを羨ましく思っていた。
昨日、自分もおぶわれたと言うのに……。
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