第十六話 じゃむ

 安左衛門は数回試作を繰り返し、どうやら「すももの甘煮」と呼んでよいであろうものをようやく少量完成させた。かすていらに塗って、食する。なるほどこうすると、生のすももをかすていらに乗せ、そこに白砂糖を振って食するよりも断然に風味がよい。しかし、問題があった。


「たのもう。すももを、またいくつか贖いたいのだが」

「水野様。大変恐縮でございますが、すももは全て売れてしまっております。今年の季節はもう終わりで御座います故」

「ああ。そりゃあ、そうだな。じゃあ、別のものにしよう。実の黄色い果実を探しているのだが、何があるかな?」

「そうですね……葡萄は如何でしょうか? 上物の『甲州』が入荷してございます。こちらです」

「葡萄か。拙者は喰うたことがないが、これは紫紺色というのではないか?」

「皮を剥けば、この通り黄色く御座います。こちらはお一つ、どうぞ」


 安左衛門は皮を剥いたブドウを一粒もらって試食した。


「うむ。……なるほど甘露であるな。では、ふた房もらってゆこう」

「毎度御引き立てのほど、誠にありがとうございます」


 というわけで安左衛門は甲州葡萄を持ち帰り、ぜんぶ皮を剥いて、甘煮にしてみた。ちなみに、ブドウをジャムにするなら皮も一緒に煮ることで美しいブドウ色を引き出すことができるが、安左衛門にとってはそれは無用のことである。


「ふーむ。うまい。うまいが……これは、甘いな。『酸い』という条件を満たすためには、少々甘すぎるようだ」


 結局、安左衛門の試作ブドウジャムはスモモジャムと並べて瓶に入れられ、台所の隅に追いやられた。スモモジャムは『酸い』という条件を満たすのだが、旬を過ぎてしまったものを藩主様の御膳に上げるべきではないという当時の常識があるので、たとえどんなにジャムというものに保存が利こうとも、どうしようもない。


「さて。そろそろ中秋の名月に御座る。残りの甲州は、仏前の供えになどすると致そう」


 安左衛門はちょいと実家に顔を出し、仏前で手を合わせた。


「安左衛門。殿の『たると』の儀の進捗は、どうなのだ?」


 だいぶ老いはしたが、まだ頭はしゃっきりしている老父に、寝床から問われた。いちおう、城内の機密事項であるはずなのだが、まあ人の口に戸は立たぬものである。


「正直に申しませば、困難を極めております」

「実はな、おみつに文を届けたのだ。『たると』の儀についても教えた」


 ちなみに水野家からおみつへの仕送りもまだ続いている。そのついでであろう。


「そうだったのですか。母からは?」

「まだ返事は来ぬ」


 何しろ江戸は遠いし、庶民が遠国まで手紙を出すというのは大変なことである時代なのだった。


「まあよい。甲州を、喰うとしようか」

「そうですね」


 ふたりはブドウを食べた。


「じゃ、拙者はそろそろ戻ります故。父上もお達者で」

「別に今日くらい泊っていってもよかろうに。戻るのか」

「まあその。心配されますので」

「まるで勘之丞さまのところへ婿にでも行ったような塩梅だな」


 びくっ、と安左衛門の背中が硬直する。ちなみに、喜代が末娘だというくらいだから勘之丞には他にも数人喜代の姉にあたる娘がいるのだが、喜代以外は全員既に他所へ嫁に行っている。


「ふっ。冗談じゃ」


 おやじめ、もしかして何か知ってやがるな。まったくもって、人の口に戸は立たないな、と安左衛門は思った。

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