第十四話 まきもの
さて、かすていらの製作に成功した。そもそも、定行が最初に伝えた『たると』の要件は以下の通り。
・たると、かすていらに似たる甘味也
・たると、まきもの也
・たると、黄色く酸くまた甘露なる何者かを巻き込んだるもの也
ということで、残る問題は二つである。
「かすていらというのは、巻けるものなのか?」
という点について、安左衛門は一番最初に家老の菅五郎左衛門から井筒屋のかすていらを託されたその日、試みを行っている。最初の一切れを賞味したその後、残りのかすていらを別の方向から薄くそぎ切りにした。つまり本来切るべき向きに対して直角に、かすていらの平たい面を水平に切り取ったのである。
そして、試しにそれを巻こうとしてみた。もちろん手運びは慎重であったが、しかし巻くなどという所業を加えるにはあまりにもその井筒屋のかすていらの弾力は少なすぎた。途中で折れる。二切れ目、今度はさきほどよりも薄く、安左衛門はかすていらを削いだ。そして、前よりもさらに慎重な手運びで、まろめようとする。だが、無理であった。かすていらの薄切れは、途中でみりりと折れた。
三切れ目、もう一度試すかどうか迷ったが、安左衛門は結局それを止めた。明らかに無理だ、ということくらい二回も試せば十分に分かったからである。さて、少なくとも井筒屋から仕入れたかすていらでは巻き物は作れない、という事はその時点で判明したわけである。
その後、『たまごふわふわ』の秘伝を知ってからのちに、安左衛門はかすていらの試作品が焼き上がるたびに、似たようなことを試していた。結果として、完全に冷めてからよりも、まだ温かいうちの方がまだしもかすていらは「巻こうとする力」に対して強い、ということは分かった。
「焼き加減に、材料の調合の多少。工夫の余地はまだまだ、いくらでもある」
さて、そっちは今後も時間をかけて工夫をしていくしかないとして、次なる問題は『黄色く酸くまた甘露なる何者か』の正体についてである。殿の長崎行きに同行した者たちは藩に大勢いたから、どうも例のポルトガル船は日本ではまったく上陸・補給をしていなかったらしい、ということは分かっている。ということは、船に積まれていた「それ」は、日本のものではなかった可能性が非常に高い。中国には寄港していたかもしれないから、そこで補給した何かだったのかもしれない。仮にそうでないとすると、下手をすると南蛮のものであって、中国にすら無い何かであるという可能性も十分あり得るわけだが、正直それは考えたくない話であった。
もし、「それ」が日本では絶対に手に入らず、再現することもできないものであったならば、この任務は理不尽にも最初から実現不可能なものであった、ということになる。その場合自分はどうなるか。自分は、町人上がりだろうが何だろうが今は侍であるのだから、腹を切らねばならない。正直に言えば嫌だが、止むを得ない。不可能も理不尽も侍の務めである。武士の腹というのは、それを切ることで理不尽を理不尽でなくするために有るのであった。
「まったく、参るぜ。これが無事に終わったらもう侍なんてやめにできねえかな」
安左衛門は不良あがりであるから、今でも、他人が見ていないところではこういう口調が口をついて出ることがある。
「まあ。安左衛門さま、侍をおやめになりたいのですの?」
誰もいないと思っていたのだが、喜代に聞かれていた。安左衛門は狼狽した。
「こ、これは喜代どの。おられたのですか」
「さっきからずっといましたよ。難しい顔をして卵を練っておられるから、声をかけそびれていたのです」
「今の事はその、勘之丞さまにはどうかご内密に」
「分かっております。話しません。でも」
「でも、何でしょう」
「もしも侍をおやめになられても、安左衛門さまは安左衛門さまですわ。あたしはそう思います」
「そ、そうですか」
喜代はそこで優しく微笑みを浮かべた。
「侍をおやめになったら、何をなさいますの? 田んぼで稲を作るのですか?」
「いえ。おれは、もともと農民ではなく江戸の菓子屋の子ですから。そうですね……かすていらの作り方は覚えましたし、江戸でかすていらを売って暮らしましょうか」
「あら、それは嫌ですわ」
「え?」
「江戸へお出になっては嫌ですわ」
「というと?」
「だって、あたしは松山の娘ですもの」
安左衛門の目は点になった。
「それじゃ。お茶椀、片付けていきますね。夕餉の時間になったらまたお呼びに参りますので」
「あ、喜代どの」
「そ、それじゃっ!」
喜代は本邸に戻っていった。安左衛門は、喜代に言われた言葉の意味を、その後ずっと考え続けていた。
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