第3話 定行公の業績

 中村の話は続く。


「では、定行公についてもう少し詳しくご説明しましょう。松山における彼の業績としては、大きく二つのことが知られています。まず一つは、松山城の改築。そもそも松山城は定行公の入部に三十年ほど先立って、加藤嘉明かとうよしあきが築城したものです」

「ああ、賤ケ岳七本槍の、清正きよまさ公ではない方の加藤か」

「そうです。定行公は天守閣を改築し、当時は赤土の禿山であった城に多くの松の木を植えさせました」

「愛松亭の庭に植わっている松の林も、あれはそのときのものというわけか」


 金之助の言う通り、愛松亭はそんな名前が付いているくらいだから、松林に囲まれていた。


「そうであるかもしれませんね。松は長寿の木ですから。さらに山上に麦や粟などの雑穀を撒いて、鳥が集まるようにしました。野鳥が集まるところには、さまざまな自然の樹木が育つものですからね」

「育つといったって、時間がかかるだろう。人間の寿命では追いつくまい」

「そうです。定行公は自分のひとりの寿命などではなく、松山藩全体の未来を見ておられたのです。偉大な方であったのでしょう」

「なるほどな」

「さて、では定行公の業績の第二ですが、次に彼は松山の殖産興業に努めました。こう言ったそうです。『松山は上国であり米は豊かに実る。しかし、それに慢心して驕りとすれば、未来に禍根を残すであろう。すなわち米を売って贅沢品を輸入するようになれば、米がいくら獲れたところで甲斐のないことである。したがって、国産の産物を拵え、子々孫々のために万全の措置を取らねばならぬ』」

「立派な心掛けだな。名君とはこのようなものか」

「そうですね。そういうわけで定行公はまず広島から牡蠣を、桑名から白魚を取り寄せ、養殖事業を始めさせました。伊予でも深山というべき地勢に位置する久万山地方のためには、宇治から茶の栽培を学ばせ、またコウゾを育てさせて製紙業を興させました。そのようにして、定行公の時代に、多くの松山名物が生まれました。例えば五色素麺、それに緋の蕪漬けなどもそうですが、そうした中に、『たると』もあったというわけです」

「たるとはどこから取り寄せたのかね。あのようなものは、日本の他のどこにもあるとは聞いたことがないが」

「さて、そこです。実は定行公は、松山藩の当主であると同時に、幕閣の一員としては長崎奉行を勤めておりました」

「長崎奉行?」

「鎖国体制にあった江戸の時代において、唯一の外国との窓口であった長崎を監視するために置かれた役職です。いつなんどき万一のことがあっても良いように、幕府は常時、長崎に強大な海軍力を置いていました」

「へえ。そこまでは知らなかったな」

「それで、定行公は正保四(一六四七)年、長崎守護を担当していたのですが。そのとき大変な事態が持ち上がりました」

「ん?」

「禁じられているはずの、南蛮船が突然現れたのです。ポルトガルの船でした」


 などと話している間に、二人は旅館城戸屋に到着した。金之助は宿代の勘定を済ませて、ここを引き払わねばならぬ。一時話題は中断となった。そして復路、再び中村は口を開いた。


「そもそも、ポルトガルと日本の間には、当時むずかしい事情がありました。それもご説明しましょう……」

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