好きな人に告白できないのにその人との距離は近いので困ってます
陸沢宝史
第1話
三時間目の古文の授業が終わり十分休憩に入ると静寂だった三年三組の教室は騒がしくなる。
教室には三十以上の席が複数の列に分けられて並べられてある。俺の席は廊下側の一番端であり黒板から見て三番目だ。
俺は反対側にあるグラウンド側の窓を一瞥する。
天候は曇りで太陽の日が差し込む気配はない。
既に十一月ということもあり、教室の中は冷房なしでは過ごせないほど冷えていた。
俺は視線を窓から教室の黒板側の入り口に向ける。黒板側から三番目の俺の席からは一組の男女が見える。
「
幼馴染でクラスメートの
その光景を見た俺は顔を歪めた。
「僕は教科書を貸しただけで特別なことはしてないですよ」
謙虚に答えたのは二年のとき俺と繭織のクラスメートである
「そんなことないよ。教科書なかったら先生に公開説教食らって恥かくところだったから」
繭織は謙虚な真野に礼を告げるがこの状況は不自然でしかない。なぜ教科書を貸した側がわざわざ借りた側の教室まで取りに来ているのだ。普通は逆のはずだ。
真野は繭織に印象を良くしたいがために自ら教室に足を運んだに違いない。だから今の真野には嫌悪感抱いてしまう。友達だけどこればかしは仕方がない。
「なら貸してよかったです」
真野は称賛されて嬉しそうな顔をする。
「真野くん、また困ったことがあったら頼りにさせてね」
愛嬌に溢れた声で繭織が言うと真野の口から元気良さげな返事が飛び出た
「あっ、はい!」
そんな真野に対し繭織は最後まで笑顔で手を振りながら、
「それじゃわたし席に戻るね。ばいばい」
そう言いながら繭織は俺の方に歩いてくる。
「今日も男から教科書借りてたのか繭織」
俺の後ろの席に座った繭織に俺は眉を顰めながら言った。
「真野くんなら貸してくれそうかなと思って」
繭織の表情からは問題意識というものは感じられない。
「借りるのはいいが接し方には気をつけろよ。また告白されるぞ」
繭織は誰に対しても笑顔で親しそうに応対する。そのため自分に気があると勘違いする男は少なからずいた。
「別に真野くんとは友達だから問題ないよ」
繭織は気楽そうに言った。本当恋愛関係でいつか問題が起きそうで俺はいつも不安だ。
「そういって、半年前も一組の宇佐川に告られただろう。自覚がないならトラブルが起きても助けないからな」
俺は手厳しい口調で忠告すると目を尖らせた。
だがそれでも蛍は自分の行いを再考する気はないような目つきで俺を見返すと、
「そういって困ったら助けてくれるくせに。
急に褒められたほんの僅か頭の動きが停止した。すぐに頭が再稼働するが突然の出来事で息が乱れそうだ。
「褒めても何も出ないぞ」
動揺を隠すため冷たく言葉を吐いた。
蛍の言葉は幼馴染という特殊な仲でもなければ一撃で誤解を招いてしまう。本当に蛍には自分の言動に対しては注意してもらいたいものだ。
「ああ今日も授業退屈だったな」
蛍はわざとらしく右手を手に当てあくびをするような仕草を取る。
授業が終わり部活に入っていない俺と蛍は下校していた。空を覆っていた雲に切れ目ができ太陽の光が地上に僅かながら降り注いでいた。
「教科書忘れるお嬢様は余裕だな。こっちは受験で忙しいのに」
日々の勉強で頭を悩ませている俺は蛍に対し嫌味をぶつける。
蛍は俺の嫌味に落ち込むことなく、誇らしげな声で、
「わたしは優秀なので推薦入試が決まっているのです! 悔しかったらタイムリープでもして過去から勉強し直しなさい!」
「タイプリープで来ても無駄だよ。俺は勉強嫌いだから」
俺は諦めたように首を横に振る。受験生になるまで赤点ギリギリの点数でやり過ごしてきた俺に今更勉強をやり直すは酷である。
「岳虎くんのそういうところが残念なところですね。もうちょっと勉強できてたらモテたのに」
繭織は少しばかり憂うように言った。
「俺は今のままでいいから女はいらないよ」
今の俺は受験があるから彼女は不要だ。それに恐らく俺は本命の相手と付き合えないから恋には消極的な考えだった。
「意地を張ると女の子逃げますよ」
俺の考えが気に入らないように繭織は突っかかってくる。
繭織の前でこれ以上恋愛話したくなかった俺は「受験が終わったらちゃんと考えるよ」と適当な相づちだけ打って話を強引に切り上げた。
そこから数分程度歩いたところで繭織が喉に手を触れ、
「なんか急に喉が渇いたね」
「水筒のお茶でも飲んどけ」
喉に潤いがあった俺は辛辣な返答をした。
すると繭織は肩にかけているボストンバッグ型のスクールバッグから水筒を取り出す。
「生憎水筒の中身は空なのです。今日は喉がからからだったので」
繭織は水筒を揺らすが、水分が中で掻き混ざる音は聞こえてこない。
「なら家まで喉カラカラのまま過ごすことだな」
俺は繭織に同情ではなく非情な言葉を送ってやる。
「酷いですね。岳虎くんは。あそこに自販機があります」
繭織は頬を膨らませると近くにあった自販機を指差した。
「良かったな。買ってこいよ」
「岳虎くんも買いませんか?」
「俺も? まあちょうど炭酸ジュースがほしかったしいいか」
何となくジュースが飲みたい気分だったので繭織に誘いに乗った。
自販機まで着くがのどが渇いているはずの繭織は先に買おうとはしない。仕方がないので俺は鞄から財布を取り出しファスナーに手をかける。
すると繭織が服の裾を摘みながら頼み事をしてきた。
「岳虎くん、わたしはコーヒーがいいのでついでに買ってくれませんか?」
繭織の声には愛嬌があり、現在繭織に対して冷たい態度を取る俺の心が一瞬で溶かされそうになった。
繭織のもう片方の手の人差し指はコーヒーを指していた。俺は財布からその値段分を取り出そうとしたが寸前で心の中で「奢るな」と自分を静止した。
「百五十円ぐらい自分で払え」
俺は繭織と目を合わせず頼みを拒絶する。目を見たら俺のことだから奢ってしまうだろう。
繭織の手が服の袖から離れる。個人的にはもう少しだけ掴んでいてほしかった。
「岳虎くんはデートしたらたぶん率先して自分で払ってくれる人だと思うのです。違いますか」
繭織は自分の推理に確信を抱いているかのような口調で言った。
「相手によるな」
繭織の推理は半分正解だった。だが繭織の推理通りに奢るのはただ一人だけだ。もっとも今は奢る気はない。
「なら長い付き合いで絆も強固なわたしはどうでしょうか?」
切実さを感じさせる声に俺は繭織の方を見る。力強い眼差しを俺の瞳を捉えてくる。
俺は繭織には甘いなと胸の中で苦笑いしながら財布から小銭を取り出す。
「金入れるから自分で押せ」
「百五十円ぐらい自分で払うからいいですよ。からかってごめんね」
繭織の軽い謝罪が耳に入ってくる。俺は小銭を財布に戻しながら、
「明日のドリンク代無駄にしなくて良かったよ」
顔を少しだけ顰めながら繭織を見た。怒ってないわけではないが、繭織のいたずらには慣れているのであまり気にはならない。
「ちなみにからかわれているって気づいていたの?」
繭織は面白そうに俺に聞いていくる。
「……ああ」
正直今回のいたずらにはネタばらしされるまで察知できなかった。
「やっぱ岳虎くんは優しいね」
繭織は可愛げな笑みを顔に出しながら言った。
その表情に思わず心臓の鼓動が速くなった俺は心の中で「お前限定だ」と密かに呟いた。
好きな人に告白できないのにその人との距離は近いので困ってます 陸沢宝史 @rizokipeke
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