暗黒領域 10



 サモエド犬の疾風を超えた光のごとき動きは、我の目をもってしても捉えるのに苦労するほどであった。


 樹木に激突したラズリーは悶絶してのたうち回る。不意打ちだからこそだが、フィジカルに優れたラズリーを倒してのけるのだから只者ではない。


「おお、すごいぞ!」


 そしてサモエド犬はラズリーの首根っこを噛み、振り子のようにして遠くに投げ飛ばした。

 ひゅるるるると間抜けな風切り音を立てながら遠くに飛んでいく。


「覚えてなさいよおおおああああぁぁ……」

「わん」


 夜の闇へとラズリーが飛んでいく。

 反省しろ、とでも言いたげな顔でサモエド犬は吠えた。


「……おぬし、止めを刺したくなかったのか?」

「わん」


 そうだが悪いか? とでも言いたげな顔だ。

 魔力を与えられて復活の機会が生まれた以上、恩義はあるのだろう。


「いや、構わぬ。ご苦労であったの」


 犬ながら筋を通すやつではないか。

 我、こういうやつは嫌いではない。犬を飼うならもうちょっと純朴であった方が好みではあるが、牧羊犬として働いてもらうからには賢く、そして仁義を通す者でなければな。


「ところで、その額の三日月の紋章……紋章っていうか三日月ハゲから察するに、おぬし、月の化身のミカヅキじゃな」


 我の言葉にサモエド犬は驚愕した。

 どうやら図星のようじゃ。

 サモエド犬に意志を伝え、そして効くために再び額をくっつけた。


「なんで俺のことを知ってるんだ! じゃと? 知っておるともさ。我こそおぬしの好敵手、ソルフレアなのじゃからな」


 我が太陽の化身とするなら、ミカヅキは月の化身である。

 月の影響力は太陽ほどではないために地上における力は我ほどではなかったが、それでもそこらの人間や魔物よりも遥かに強いはずであった。


「わん! わんわん! わぉん!」

「我も人間の願いに呼応して蘇ったからのう。今は暗黒領域の向こうの村で、それはそれは大事にされながら暮らしておる」


 我は、自分が生まれ直した経緯をミカヅキに話した。人間に敗れた後、ミカヅキと同じように魂を宝玉の形にして身を守って、魔力を貯め込みながら復活を目論んでいたこと。人間の願いを借りて転生し、今は人里で平和に暮らしていることなど。それを聞いたミカヅキは複雑な表情をしながら頷いた。


「わぉん……」

「自分が死んで暗黒領域が乱れているのを気に病んでおるのか? であれば、まず初めに人に負けた我の責任じゃ。それに恐らく、おぬしも我と同じく弱点を人に見破られたのであろう」


 我の弱点が日食であるならば、ミカヅキの弱点は月食であろう。

 それを思えば我こそ責められるべきであった。


「この世界の暦を星に委ねたのは我。規則正しい暦を利用したのは魔物ではなく人間であり、星の動きを予報できるようになった。人々の賢さを侮っておった。我が傲慢であったのよ」

「わん!」

「ふざけんな、俺の負けは俺のものだ、だと? ……ふむ、そうさのう。おぬしはそういうやつであったのう」

「ま、お互い姿は変わったが、心機一転、頑張ろうではないか! がはは!」

「わん! わんわん! がるぅ!」


 我、いいこと言ったつもりなのだがミカヅキは突然激高した。


「え、牧羊犬になった方に怒っておるのか? そ、それは仕方ないじゃろうが! ラズリーに使役されてはマズかったであろう!」

「わおん!」

「だとしてもこんなちんちくりんの姿は納得してないし、お前のようなちんちくりんに飼われるつもりはない……じゃとぉ!? 喧嘩売っとるのかキサマ!」

「がるるるるるるるぅ……!」

「ほほう、ママのおっぱいでも吸ってろじゃと? 言うではないか……可愛がってやる、いぬっころ」


 こうして本日の第二ラウンドが始まった。


 死体啜りの森の住民たちはその衝撃を感じ取り、自分らの命運を決めるであろう戦いを、固唾をのんで遠くから見守っていた。きっとラズリーが蘇らせた超存在と、命を賭した決闘をしているのであろうと。


 間違ってはいないのだが、振り返ってみれば宴で起きた口論のごときしょっぱい喧嘩であった。






 太陽が完全に沈み、夜となった。


「ソルは見つかったか!?」

「こっちにもいない……もしかして暗黒領域の方に行ったんじゃ……」

「行ったとしても中には入れないだろ」

「もしかして川に落ちて流されたんじゃ……」

「空を飛べるし、魔法も使えるから滅多なことにはならんとは思うが……」


 闇夜の中で煌々と灯る松明が、大人たちの焦った顔を照らしている。

 もっとも焦った顔をしているのは、ゴルド=アップルファームであった。

 ママは焦りを通り越して失神しそうなほど青い顔をしている。


「ね、ねえ、あなた! やっぱり私、空を飛んで探してみるわ!」

「待て待てヨナ。もう暗いんだ、二重遭難しちまうぞ。野良のガルーダやドラゴンと鉢合わせしちまうかもしれない」

「ソルちゃんが危ないならそんなのどうってことないわ!」

「それはそうだが! このあたりの夜間飛行は暗黒領域の結界にぶつかっちまう! ひとまず落ち着こう! カタナもまず仕舞おう!」

「でも……ソルちゃん、多分私より飛ぶのが上手そうなのよ。思いも寄らないほど遠くにいってるかも……!」

「確かにな……あの年齢であんなに完璧な変身ができるなんて……」

「ウチの子が天才すぎたから……」

「親バカども。落ち着け」


 ご近所の誰かがツッコミを入れている。


「す、すまん。捜索を続けよう」

「ご、ごめんなさい、あたしがちゃんと見てたら……」


 エイミーが泣きべそをかいてゴルドたちに謝っていた。

 だが、ゴルドもヨナも、優しくエイミーの頭をなでる。


「いや、謝らなきゃいけないのは俺たちだ……すまなかった。あいつがいきなり【竜身顕現】できるようになったから油断してた」

「歩き続けて疲れたでしょ。もう休んでも大丈夫よ」

「でも……」

「なあに、ひょっこり出てくるさ。あいつは小さいが、そのへんの獣や魔物には負けないからな」

「でも抜けてるところはあるから、油断して魔物に騙されるくらいはあるかも……」

「それは……ありえる」


 ゴルド夫妻が、危機感を募らせながら再び捜索を始めた。



 そんな光景を草むらから眺めていたソルが、頭を掛けた。


(や、やばいのじゃ……ミカヅキを連れて結界から抜け出られたはよいが、門限をすっかり忘れておった……。ケンカしててすっかり時間を忘れておったわ……)



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