暗黒領域 2
暗黒領域は、神聖なる闘争の場である。
千年前、我、太陽の化身たるソルフレアと月の化身が「おめーちょっと調子乗ってんじゃねーの?」「ああ? てめーのことだろぉ?」「やんのかオラ」「上等だ」を発端とする闘争を魔物たちが褒め称え、「ここを神聖なる闘技場にしよう」と言い出した。
闘技場と行っても、小規模な国の領土よりは遥かに広い。それを包む広大な結界は城壁のように中と外を断絶させている。生きている人間も、あるいは獣も、それを乗り越えることはできない。結界であると同時に、許可なき者の通行を頑として阻む厳正な国境でもあるのだ。
だがこの結界は我のために作られたもので、我を阻むことは一切ない。
我、つまり太陽の化身、月の化身、そして雲の化身など、大自然の化身が集まって造り上げた壁は、数万年程度ではビクともせぬ。
肉体こそ捨て去ったが、この神秘にして崇高なる魂を間違えるはずもない。
と、思う。
大丈夫。
大丈夫じゃよな?
し、信じておるからな!
「……よしッ! ……思った通りじゃ!」
我が手をかざした瞬間、結界は我だけが通行できる穴を広げた。
まるで虹色のトンネルのような不思議な通路ができあがって中へと導いていくれる。
「うむ、この感覚も久しぶりじゃのう」
そのトンネルもすぐに終わり、暗黒領域の内部へと抜け出ることができた。
そこでは、昼間とは思えぬ闇に包まれた、鬱蒼とした森が広がっている。
お昼とは思えぬほどの暗さだ。
「ふむふむ……ここは死体啜りの森かの……? 人の世は様変わりしたが、ここはあまり変わっとらんのう」
結界の外に広がる、ケヤキやヒノキで成り立つ森とはまったく違っている。ねじくれた巨木が乱立し、大きな枝と葉は太陽の光をまるごと遮っているためだ。森というよりは、樹木が絡み合ってできたダンジョンとも例えることができよう。
「人間の明るい村もよいものじゃが、こういう世界も悪くはないのう」
我はこの殺伐とした空気を懐かしみながら散策を始めた。
だが数分ほど歩いて、違和感に気付いた。
「静かじゃの……。酔っ払いもケンカもない。人里より平和じゃぞ……?」
暗黒領域は、野蛮ではあったが活気があった。
人間と違って多種多様なためか諍いはよく起きたが、それを治めるための決闘裁判はよく行われており、同時に娯楽の一つでもあった。些細なことでよく決闘が起きた。何もケンカばかりではない。殴り合いが苦手な者は札遊びや双六などでも決闘しており、その喧噪は遠くまで鳴り響いていたものだ。
我はそれを眺めるのが好きであった。渾身の力を込めて、互いの魂を競い合う魔物たちは、暗き世界にあっても輝いておった。
だがもっと好きなのは、我への挑戦者だ。
「おや?」
そのままてくてくと歩いていると、木陰に誰かが座っているのが見えた。
キツネのような顔に人間の体を持った魔物、コボルトだ。
一匹一匹はさほど強くはないが、集団となったときの統率された動きは巧みで、強い魔物であっても侮れない。
「なんじゃ、寝ておるのか」
「んごごご……すぴー……んごごご……」
だが、見たところ一匹だけだ。しかも酔っぱらっておる。
「何をしておるか。風邪を引くぞ」
「んあ? ああ、悪いなぁ……ひっく」
「酒臭いぞおぬし。シャキっとせぬかい。ろくに食べ物も食べておらぬじゃろう。りんごでも食え」
「おお、悪いな。腹ぁ減ってたんだ」
コボルトは見たところまだ若いようだが、まるで老人のごとく覇気が無い。
これだけの会話で疲れてしまったのか、そのままうたた寝を始めてしまった。
「なんじゃ……どいつもこいつも元気がないのう……」
どこもかしこも静まりかえっている。
すれ違う魔物がいても、皆、寝ているか酔っぱらっているかだ。
野垂れ死んでいるのではと思うほど弱っている者もいた。
期待していた光景との違いにがっかりしながら歩いていると、これまた懐かしい魔物が我の前に現れた。
「おい手前、何してやがる」
「すっげー珍しい。人のガキだぞ!」
「もしかして、あれが噂の『赤い手の女』じゃないか?」
「そんなわけねえだろ。獣人か竜人の子供じゃねえのか?」
「腹減った……食えるかあいつ……?」
「お前なんでも食べようとするのやめろよ」
我の前に現れたのは緑色の肌に腰蓑を着けている人型の魔物、つまりゴブリンである。
鬼とも呼ばれ、ソルフレアが世を支配していた頃から存在している昔ながら変わらない姿の、古式ゆかしい魔物だ。
性質は人間と似ている。他の魔物のように際だった特徴はないが、手先が器用な者、力持ちな者、魔法が得意な者などなど、様々な発展を遂げる可能性を秘めた存在であった。
だが、鍛えていなければ弱い。
「外から迷い込んできたのか? へへっ、お嬢ちゃん、運がねえな。死にそうな連中ばっかりで油断したか?」
うむ、見た目で舐められている。
それは構わぬ。パパもママも、我を恐れてはおらぬ。だがそれは愛されベイビーであるがゆえに恐れていないのであって、強い弱いを知らぬわけではない。
強さを尊ぶ魔物が目の前の存在の強さに気付かないのは、今いる場所のレベルの低さを示す。
「うーん……こんなもんかのう」
「馬鹿野郎。見た目で侮るんじゃねえ。こんなところに汚れ一つねえ人間のガキがいる時点でおかしいに決まってんだろう」
だがゴブリンたちのリーダーらしき男が警告を放つと、全員が油断を捨てた。
獲物を手にして我を睨みつける。
「うむうむ! わかっておるのう! それでこそ誇り高き魔物じゃ。いつでもかかってきてよいぞ!」
「……別に、油断するなとは言ったが戦うとは言ってねえよ。つーかなんで喜んでるんだお前は。なんでこんなところにいる」
リーダーが困惑した顔で我に尋ねた。
「ソルじゃ。目的は……里帰りというところかの」
「ソル……ソルフレア様から取ったのか? 人間ってのは恐れを知らねえな」
ゴブリンのリーダーが呆れたように言った。
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