◎ガレフ視点 いつもの日常と小さな客人②

「エリナ様が亡くなってから、もう8年か……うん?8歳の子供が城下町に?護衛はちゃんと付けているのか?冷遇されていると聞いたはずだが」

「ええ、こっそり屋敷を抜けてきたみたいですよ。専属のメイドを一人連れて、渡守の格好をしてね」

「ああ、今日灯火祭だっけ、昨日までは覚えていたんだけど、すっかり忘れてたわ」


 雑談を交わしながら、使用人たちが休憩スペースにお茶とお菓子を準備して、静かに去った後、俺らはそっちに移動し、俺は彼女に必要事項を短かに報告した。


 休憩の時間になっても、まだ企画書から目を離さない会長を見て、俺は心の中でこの十年間何度も繰り返してきたため息を漏らした。


 ――さて、うちの会長、今回もまたろくでもないことを企んでる予感がするな。


 今、俺の周囲の人の中には、会長の感情だけが見えない。何故なら、彼女は此処とは異なる世界から来た存在、魔力の器を持たない体の構造をしているからだ。


 いや、別に彼女の考えを覗きたいわけじゃない。単に普通にできる事が、彼女の前では無効になるのは少し悔しいと思っただけだ。

 よく外の人に誤解されがちだが、俺はこの女に対して特別な感情なんて一切抱いていない。こんな仕事一筋で、可愛げもない女、何を考えるのかさっぱり分からない存在だ。

 恋愛対象なんかに見えるわけねぇだろ!


 だから、この不明生物の部下として、会長が突拍子もないことを実行する前に、せめて早めにその考えが分かれば、少しでも心の準備ができると思ったさ。

 とはいえ、彼女の奇抜の考えがあったからこそ、商会がここまで大きくなったのも事実だし。俺も彼女が居なかったら、自分の能力不足で親の商会を破産させた、あの悔いるだけの黒い日々から抜け出せなかっただろう。


 俺は元々、オーラム商会という中規模商会の跡取り息子だった。親が商会を支えているから、俺はただ家の財産を楽しみ、贅沢に暮らせばそれでいいと思っていた。商会の経営も、親がやることだし、俺が考えることなんて何もなかった。

 だが、親が疫病で突然いなくなり、引き続きの教育もろくに受けられないまま、俺は予定よりも早く商会を引き継ぐ羽目になった。

 教育を受ける暇もなく、ただ目の前の現実に突きつけられた俺は、正直、頭の中がぐちゃぐちゃで、何から手をつけていいのかも分からなかった。


 商会を支えてきた職員たちは、親が死んだことで俺を蔑ろにし、俺も彼らの言っていることがさっぱり理解できなかった。

 彼らとの関係はどんどん悪化していき、頼りにしていた職員たちが次々に契約を更新せずに去って行って、気づけば商会の中には、俺と数人の無能な職員しか残っていなかった。


 寄せ集めの新しい職員たちと残された数人だけでは、まともに業務をこなすことすらできず、失敗ばかり繰り返して、商会はどんどん傾いていった。

 最終的に、長年の取引先からも見放され、商会の破産は避けられない状況になった。


 代々継がれてきた商会の名前は取り上げられ、貯金なんてものも持ってなかった当時の俺は、無一文で追い出されることとなった。

 家も商会も、全てを失った俺だが、死ぬ勇気もないまま途方に暮れ、花街の娘の家に転がり込んで、無意味に日々を過ごしていた。


 あの頃は、もう何もかもがどうでもよくて、ただ生きるだけで精一杯だった。


 だが数年後、親たちを死なせた疫病が再び街を襲ってきた。俺は恐怖に駆られて、家に引き篭もる日々が続いた。

 しかし、そんな絶望的な状況で、会長はなぜか俺の過去失敗した商売経験と商売上の関係に目をつけ、有無を言わさず俺をあの黒闇から連れ出してくれた。


 最初は意味が分からなかった。俺にはもう、商会も家も金も何も残っていなかったし、今更何ができるって言うんだ? そんな気持ちでいっぱいだった。


 でも、会長に引っ張られ、任務を押し付けられ、いろいろ忙しくしているうちに、昔の後悔を振り返る暇なんて全くなくなった。

 気づけば、真っ暗だと思っていた道が、いつの間にか未来へと繋がる道に変わっていたんだ。


 会長はスラムの住宅環境を改善するため、皆を集めて、新たに発明した<石鹸せっけん>と命名したものをスラムの人に配った。その石鹸は驚くほどの効果を発揮し、スラムでは疫病による死亡者が減少した。


 その後、俺は会長ともう一人の仲間と共に、<フィオラ商会>を立ち上げることになった。

 俺は久しぶりに身なりを整え、会長と一緒に商会の代表たちと商談を行う日々が始まった。かつての無力な俺とは違い、少しずつだが商売人としての感覚が育ち、ようやく自分の足で立ち上がれるようになった。


 商会設立から一年後、商会は順調に発展していたものの、貴族の後ろ盾がないため、多くの制限を受けていた。特に、商店街で売られているリップクリーム、フェイスパウダー、シャンプー、衛生用品、髪飾りなど女性向けの商品は、上層の貴族や富裕層をターゲットにすることが難しく、どうしても制約が大きかった。

 その一方で、制限が緩く、高利益の闇商売が圧倒的に盛況だった。


 商売の成否は、情報戦とも密接に関係していた。会長が取り扱った石鹸がスラムで命を救ったことで、その恩を受けた多くのスラムの人たちは会長に感謝し、商会の闇商売に少し手助けした。

 その結果、商会は一時的に勢いを得ることができたが、リスクの高い闇商売に依存している限り、いずれトラブルが起こる可能性も高い。

 尚更、会長は魔力も持たない『一般人』だ。スラムの連中が今後も恩義を感じ続けるかどうかは分からない以上、商会が安定した成長を続けるためには、そのままでは長続きしないと判断した。


 だからこそ、商会をもっと広く表舞台に出すためには、貴族側の伝手を頼る必要があった。

 そこで目をつけたのが、エリナだった。


 亡くなった公爵夫人エリナは、俺の幼馴染だった。彼女の実家は薬草園を経営していて、オーラム商会は何度もお世話になった。俺とエリナは歳も近く、幼い時、親たちが商談している間によく一緒に遊んでいた。

 でも、遊びと言っても、実際は彼女がひたすら草花への愛を語るのを聞かされるだけだったけどな。

 エリナが子爵令嬢になってから、貴族の規定で、俺たちは簡単に会うことができなくなった。そして、オーラム商会が破産してからは、彼女とは一度も会っていない。


 商談の場に、久しぶりに再会したエリナは、立派に公爵夫人の姿に成長していて、その姿を見た俺は驚きとともに感嘆せずにはいられなかった。

 あの泥まみれの草花をいじっていた少女が、こんなにも堂々とした貴族夫人になっていたとは、誰が予測できるだろう。

 しかも、俺との腹の探り合いをしながら商談できるようになったとは、ちょっと舐めたな。


 お互い、成長して、昔の頃とは全然違うな……と少しばかり感慨かんがい深くもあった。


 だが、まさか年若い彼女がこんなにも早くいなくなるとは。

 オーラム商会の名前を覚えている人がまた一人減ったじゃねぇか……


 俺が過去の思い出に浸っている時、グレムから念話が届いた。


(ご主人様、あのお嬢ちゃん、燈花を篝火に投げたあと、明るいうちに貴族街へ戻りましたよ。じゃ報告完了って事で、俺は遊びにいくね)

(待って、貴族街ではなく、公爵邸まで見届けなさい)

(え――、でもあの猫族、足速いよ、もう姿を見失った、ごめんな)


 悪びらないグレムの軽い返事に、俺は少しイラっとして、手を頭に当てる。


(はぁー、まったく。お前をも撒ける奴なら、あの子を守れなくとも、何かあれば連れて逃げられるだろう)



 ———————————————

 悠月:

 物語の大筋は考えているか、結末へいく過程について、特に考えていなかった。物語の分岐点に位置するキャラクターは少しは考えたが、出逢う人の一つ一つの細かい設定は当然考えていなかった。こうやって設定を細かく追加すると、私もなんだか楽しくなりました。

 サイカは分岐点に位置する重要なキャラクターです。異世界人と言っても、私たちがいる現代より、もっと先の時空の人、そして架空の国から来ました。

(自国の事も碌に分からない私に他国の事は当然分かるはずがないわ。だからこの物語の世界も、サイカが生まれた世界も全て架空であり、登場する団体/人物は全て架空のものです)

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