第19話 令嬢は城下町へ出掛ける④

 さっき出掛け前に、ライラの僅かな表情の変化を思い出し、私は試しに彼女に一つ提案をする。


「ねえ、ライラ。城下町にいる間だけでも、私に対して敬語を使わないで欲しいけれど。今の話し方だと、きっと城下町では目立つし、友達みたいに気楽に話してくれたら、私も嬉しい、です」


 ライラは少しだけ頭を振り向け、私を見つめ、一瞬目を細め、少し考える素振りを見せた後で、いつもの硬い口調のまま答えた。


「恐縮でございます」


 ……うん、あっさり断られた。

 

でも、彼女はすぐに続けて、こう付け加えた。


「ただし、お嬢様のおっしゃる通り、この言葉遣いでは目立ちますので、いざという時には少し雑な口調をお許しいただけますでしょうか」


 それって、つまり了承してくれたってこと?


「うん、大丈夫!許可するよ」


 嬉しくなった私は、思わず満面の笑顔でそう言った。

 そして、自然と話題が開けたようで、歩きながら私はライラに城下町の様子や注意すべきことについて、いくつか尋ねた。


 いくら家庭教師の教えと書物を頼りに想像しても、現実とはきっと違うですよね。

 そう思うと、ライラがそばについていてくれるのは、やはり心強いわ。


 ライラは相変わらず平坦な口調で答えてくれるけれど、その声の端々から、心なしか、公爵邸から出た彼女も、私と同じように自由の風に当たって、少し気が休まっているように感じる。


 ***

 森道を抜けると、目の前に広がったのは、まるで絵画の中に迷い込んだかのような美しい貴族区域の景色だった。整然と敷き詰められた石畳の道は緩やかにカーブを描き、その両側には個性豊かな屋敷が整然と並んでいる。

 私とライラはゆっくりとそれら美しい造作物を眺めながら橋の方向へ歩く。


 朝の清らかな空気の中、道端では使用人たちが早朝の掃除に勤しむ姿があちこちに見える。一部の使用人は籠や布袋を手にしており、市場へ買い出しに向かう途中のようで、彼女らは私たちとすれ違うと、軽く頭を下げながら足早に通り過ぎていく。


 さすがは貴族の使用人、私たち二人が奇妙な格好をしているのに、顔や動作には一切動じることなく、まるで何事もなかったかのように振る舞っていた。

 私は少し不思議に思い、思わず自分の顔にかぶった仮面に手で触った。先程までライラと二人きりだったから、あまり意識していなかったが、ライラの言う通り、私の目立つ部分を全部隠して、この格好で街を歩くほうが、周囲には少々変わった『一般人』にしか見えないかもしれない。


 貴族区域を通し、やっと橋に着い時、静寂が漂う貴族区域とは打って変わり、城下町の賑やかな雰囲気が遠目にもはっきりと感じられる。


 過去の私は13歳のとき、王都の学園に通うために初めて城館の正門をくぐり抜け、城下町を経て王都へ旅立った。

 けれど、その時は馬車内で俯いて、外の景色を気にしていなかった。


 初めて見る景色に興奮し、私はやや足早に、疲れた体をふるい立たせて、橋を通った。


 すでに活気に溢れた朝の市場、中央広場にはいくつもの露天が円を描くように並び、それぞれ色とりどりのテントの下には色鮮やかな野菜と果物が箱に積まれ、焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂う中、店長たちが声を張り上げて品物を売り込み、買い物客が賑やかに行き交っているのが見える。


 しかし、人混みの中に数人の不自然な人影が目に入った。彼らは私と同様に黒いマントをまとい、白い仮面をつけている。


「ライラ……」


 奇妙に感じた私は、頭を振り返って背後にいるライラへ尋ねようとしたその時、前方に同じ装いな一団が籠を持って、中央広場に現れた。

 集団の一人が噴水の前で小さな鐘を鳴らすと、市場はさらにざわめき始める。その音を聞きつけた人々が自然にその方向へと集まり、まるで事前に取り決められていたかのように列を作っている。


「今日、城下町では灯火祭ともしびさいが行われています。あの方々は今回渡守わたしもりを担当しているものです。彼らは死者の霊を彼岸から家族のもとへ導き、祭りが終わる夜には再び霊を送り返す役目を担っています」


 いつしか、ライラは私の隣に立っていた。

 相変わらず丁寧な口調ではあったが、彼女は私が城下町の景色に目をくらわせている間に、屋台のリンゴ飴を買っていたらしい。

 仮面を少しずらして、リンゴ飴を齧りながら、私に祭りの事を説明をしてくれた。


 あっ、そうなんだ。だからライラはこの格好を用意してくれたのね。

 成程、と自分の着ている格好に納得し、少しの安心感を覚えながらも、心の中にはふと恥ずかしさが湧き上がる。


「私、13年間もこの城に住んでいるのに、この祭りのこと、何も知らないなあ……」


 ぽつりと小さく呟いた瞬間、ハッと我に返った。

 いけない、まさか、私さっき、声に出してしまった!?ライラは?!もしかして聞こえたの?


 恐れ恐れにライラの方に目を向けると、その真っ直ぐな翡翠色の瞳に、しかりと視線が絡め取られ、私の心臓が小さく跳ねた。

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