第8話 令嬢は現状を探る①

 私はベッドで重たい瞼をゆっくりと開けた。

 部屋の中は薄暗く、カーテンの隙間から漏れる月の光がわずかに空間を照らしていた。頭がぼんやりとして、しばらく天井を見つめていると、ようやく意識が徐々に戻ってきた。


「もう暗くなった……」


 私は瞬きをし、気を失う前のことを思い出しながら、今が現実なのかどうかを確かめるために、首から吊るされた指輪を取り出した。

 指輪を掌の中で握りしめると、冷たい金属の感触が心を落ち着けてくれる。目を閉じ、深く息を吸い込んで、体内に眠る魔力を呼び覚まし、それを指先から指輪へと注ぎ込んでいく。

 しかし、期待した反応はなかった。指輪は相変わらず冷たいままで、魔力を受け入れている気配すら感じられない。

 レベル4の制限…


 昨晩…いや、正確には今日の未明に起こった出来事。

 私は悪夢のような過去の記憶に目覚め、子供時代に時間が戻り、そしてお母さんがくれた指輪が光り出し、私をある空間に転移させた。そこにはお母さんが私のために準備してくれた数々の物があり、私はその中でお母さんの手紙と日記を読んだ……


 それから…そう、お母さんは一つお願いをした、すごく非現実な内容で……

 あ、思い出した、<神木しんぼくの枝>を育てる!その為には私の体内の魔力量もレベル8にまで上げる必要がある。


 木属性は、魔法の四大基本属性である土属性と水属性の組み合わせによって生み出された魔法属性であり、植物を操る能力を持つことから、植物魔法とも呼ばれている。

 植物魔法を使える人は珍しいではあるが、全くいない訳ではない、専門的な書物も探せば幾つか見つかるはず。


 でもレベル8は一般の人間には無理だ。これは努力だけで成し遂げられることではない。

 現在、私が知っている現存するアストラル王国のレベル8の魔術師はたったの5名。そのうちの三人は『王宮魔術師の団長』、『王宮騎士団の第一騎士団団長』、『冒険者ギルドのギルドマスター』、残りの二人は、あまり人前に姿を現さない伝説の『預言の魔女』と『終末な魔女』。


 あまりにも無理難題を任され、私は呆然としながら指示に従い、『机の右側の引き出し』を開けて箱を取り出した。でもそんな伝説的な品を手に取ることが怖くて、開けることなく、そのまま机の上に放置してしまった。

 引き出しの中には箱の他に、数冊のノートが納められていた。思わず一冊を手に取り、読もうとした瞬間、視界が真っ白になり、軽い眩暈を覚え、気がつくと、元の部屋に戻されていた。


 私は思わず体内の魔力を強引に引き出し、光が消えた冷たい指輪に魔力を注いだが、何の反応もなかった。

 最後の記憶が曖昧なのは、幼い肉体に無理矢理魔力を使わせたせいで、力尽きて失神してしまったからだと思う。


 魔力を体内に蓄える器は、体の成長に合わせて変化する。子供は一般的には5歳の時に体内に眠ている器が覚醒し、そして体の成長と共に、器の大きさも変わり、体内の魔力が増えていく。

 過去の私は遅い7歳の時に器が覚醒して、10歳の時にやっとレベル2になった。そこで魔法の基本教育として叔父様に初級魔術師の先生を雇って貰えた。


 今の私は何歳でしょうか?


 気絶して何時間も昏睡していたため、魔力枯渇の副作用が薄れたのか、手がようやく温かくなってきた。

 過去に学園の先生方から教わった魔力の運用を必死に考え出し、再びまだ魔力に馴染めない幼い体に、意図的に魔力を引き出しながら、全身に流れさせる。これも初歩的な魔力を増やす方法の一つ、魔力が体内に動く感覚を体に慣らす。

 やや頭痛がして、限界に近ついていることを感じたが、私はさらに流れている魔力を手のひらに集め、初級の水属性魔法『水球』を作ろうとする。

 集中して、魔力を集めるイメージで、徐々に不安定ではあるが、二センチサイズの水球が手のひらに浮かび上がる。


「はぁ――」


 私は水球を何も飾りのない花瓶に入れた後、力尽きてベッドに倒れ込んだ。

 水球のサイズはある程度魔力量を測れる。二センチの水球は、おそらくレベつ2の魔力量に相当する。あの空間を再び開けるためには、頑張ってレベル4に上げなければならないのだ。


 あの空間のことを考えながら、私は乱れていた呼吸を落ち着かせてから、ベッドから降りた。

 すると、「バサッ」と、何かが落ちる音がした。


「え、何?」


 私は脇机わきづくえに置かれた小型の魔導ランプを手に取り、ボタンを押して開いる。すると、微かな光がランプから漏れ出してきた。


 その弱々しい光を見つめていると、不意に短かった平民としての記憶がよみがえってきた。

 エマさんに引き取られたばかりの頃、夜は光がないと怖くて眠れなかった私に、エマさんは幾晩もランプを照らし続けてくれた。あの家の油を私のためにずいぶんと使ってしまったのだ。

 後になって、平民にとって油がどれほど貴重なものであるかを知った時は、顔が真っ青になったのも覚えている。けれどエマさんは、太陽のように明るい笑顔でこう言ったのだ。

 ――「この代償は、仕事でちゃんと償ってもらいますよ、覚悟しておきなさいな」

 

 私、あの分の代償、まだ返し切れていないよね。


 貴族としての生活は、物質的には平民よりずっと恵まれていた。

 たとえ誰にも疎まれている私は、お父様達が離れて、叔父様の管理下となったこの公爵邸で年々配られた日用品の質が落ちている今の幼少期でさえ、基本な衣食住に加え、教育と教養の勉強についても特に不自由することはなかった。

 たとえ今日も誰も、私が一日何も食べていないことに気づいていなくても、お腹が空いたら、いつものように本館のキッチンへ行って残り物を探し、そこで空腹を満たすことができる。


 今まで私は、ただ与えられるものを何の疑問もなく享受きょうじゅしてきた。それならば、いつ、それを取り上げられても、失っても文句は言えないわね。


 『働かざる者、食うべからず』

 エマさんの言葉が脳裏をよぎり、思わず口元がほころんだ。

 本当に、彼女からは多くのことを教わったものだ。

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