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後編 オーロラの雨への応援コメント
壱単位さま、夜分遅くに失礼致します。
「ありがとう。また、会おうね。いつか、どこかの、隠れ家で」
この言葉に、心の全てを持っていかれました。
悲しみも痛みも優しさも、あらゆる感情がこの短い言葉に内包されていて……胸がとても苦しくなりました。でも同時に、滲み出るような愛しさもあって……。まるで涙の海の中を揺蕩っているような、切なくも安らぎを感じさせるお話でした。
この度は読ませていただき、誠にありがとうございました。
とても素敵でした!
作者からの返信
槙野 光さま。
お立ち寄りありがとうございます。
やるしかない、自分の身を犠牲にするしかない。
そういう究極の場面で浮かんでくるのは、あんがい懐かしい友達の顔かも知れません。みぃこが、そうだったように。
彼女の宇宙を、最期に光は満たしました。そうしてずっとずっと、彼女を包んで温めてゆくのです。懐かしいひとを、迎えるまで。
ありがとうございました。
前編 たくさんの手紙への応援コメント
やっぱり、壱単位さんはSFなんだよなあ。すごいすごいと頷きながら読んでます。
作者からの返信
よどかわさん。
そう、わたしはスーパーフナムシ(SF)。
けっこう強いフナムシである。
後編 オーロラの雨への応援コメント
「インターステラー」や「ほしのこえ」を想起しました。
尊い、崇高な、英雄譚も、それを成す“勇者”にとっては状況によって作り出された、致し方ない事象なのかもしれません。
泣き出したい、叫びたい、でも自分がやらなきゃという立場の弱い存在を犠牲にして世界は成り立っていても、彼女に届いた様々な立場の手紙が救いになればいいなと思いつつ、どんなに虚勢を張っても「やだなあ、いきたくない」この言葉が真実なんですよね。
面白かったです。
作者からの返信
K-enterpriseさま。
しっかり読み込んでくださってありがとうございます。
英雄、尊い仕事、自己犠牲。たくさんのひとが涙を流して思い出してくれることでしょう。ずっと長い間、伝説として語り継がれることでしょう。
でも、彼女はそこには、いないのです。
いつもの食卓。
いつもの教室。
いつもの友達の、となり。
ずっとずっと、そこにいるのです。
めぐりのなかで、無限のなかで、ずっとずっと、そこに。
後編 オーロラの雨への応援コメント
(´;ω;`)ブファ……
今いるこの世界も、これまでのどこかのだれかの犠牲の上に成り立っていて、
それが正しいとか正しくないとかは関係なくて、
生きているか、生かされているかも関係なくて、
ただそうだと知っておけばいい
泣いて笑って、たまに愛しい人の事を思い出せば良いと思うのです
隠れ家で過ごした思い出を……(´;ω;`)ウゥゥ
作者からの返信
はづきさま。
たくさんのひとがいて。
たくさんの人生があって。
なにが幸せで、なにが不幸で。
どれが良い一生で、どれが悲しい最期なのか。
そんなの、宇宙さんにとっては顕微鏡ですら見えないようなわたしたちに、生きてるかどうかすら定かではないわたしたちに、判断のつくはずもなく。
ただ、ただ。
そこにいたのです。
後編 オーロラの雨への応援コメント
こ、これは胸を締め付けるほど苦しく切ない……。。・゚・(ノД`)・゚・。
作者からの返信
甲斐央一さま。
お立ち寄りありがとうございます。
願い、覚悟、諦め、恐怖、希望、安堵、絶望、許し。
みぃこが立った場所は、そんなたくさんの光と闇の、その向こうです。
無辺の空間、そして、膝を抱えて座るほどの狭隘でもあって。
隠れ家には、永遠という名が付されることもあるのです。