車と凍星(いてぼし)、そして猫【短編】

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車と凍星(いてぼし)、そして猫

「くそっ!」


 誰に言うでもなく、悪態をつく。ハンドルを強く握りしめる。

 二月の深夜、しかも民家もなく国道からも外れた道。多少運転が荒くなっても、歩行者はおろか対向車もない。


 また就職に失敗した。

 大学を卒業後、公務員を目指したがことごとく試験に不合格。

 心機一転で民間の会社への就職を目指したが、地元のめぼしい企業は競争率が高い。

 

 働き口の多い都会へ出ることも考えた。だが生まれ育った町を出て一人、知らない場所で生活する勇気が出なかった。


『あんた、いつになったら就職が決まるの?』


 何度も見た、母の呆れた顔と声が思い出される。

 一応バイトをして家に生活費を入れてはいるが、実家に寄生している息子がどう見えているだろうか。


「うぅ……」


 情けなさに視界が潤むが、すぐに袖で乱暴に拭う。さすがに泣きながらの深夜のドライブは危ないし、ますます心が辛くなる。

 代わりにアクセルを強く踏み込む。流れる景色が速くなるのを見て、少しだけ気分が高揚した。

 

 当てもなく車を走らせ続ける。このまま一生走り続ければいい、そんな益体もないことを考えながら。


          ◇

 

 どのくらいハンドルを握り続けただろうか、ふと道路の真ん中に丸い何かが落ちているのが見えた。


「石か……?」


 見渡す限り畑しか広がっていない道路だ。大きな石が落ちているとすれば、誰かのいたずらかダンプカーか何かから落下したか。


 普通に避けても良かった。きっと昼間だったら避けていたと思う。

 深夜の当てもないドライブ。この時は何となく「石をどけておいてやるか」と気まぐれな考えが浮かんだ。


 きっとこの瞬間こそが運命だったんだろう。俺と『彼女』の出会いは。


 少し手前で車を停める。車が通る気配はないが、念のためハザードを点灯させておいた。

 エンジンを付けたまま車から降りる。歩いて近付いていくと、それが石ではないことに気付いた。


「猫?」


 それは道路のど真ん中で丸くなって座る(香箱座り)猫であった。生まれたてと言うほどではないが、まだ子猫に見える。

 きっと雑種だろう。白と黒が不規則に混ざり合った変な柄だ。

 

 周囲を見渡してみるが、見る限り母猫や兄弟の姿は見えない。はぐれたか、あるいは……誰かに捨てられたか。

 とにかく、このままでは危ない。俺は手前で気付けたから良かったものの、他の車にひかれてもおかしくない。


「おい、危ないぞ。どっか逃げろ」


 少し離れたところから声をかける。猫はこちらを見るだけで、全く動こうとしない。


「おい! 聞こえてるのか!」


 さっきより大きい声で話しかける。それでも猫は動かない。

 

「……まさか動けないのか?」


 詳しく様子を見ようと、歩いて近付く。猫まで二、三メートルくらいの距離まで近付いたところで、


「ミャ~」


 猫が急に立ち上がったかと思うと、一声鳴いて俺の足にすり寄ってきた。


「ええ……」


 何だよお前、元気じゃないか。ゲンナリした俺とは対照的に、猫は嬉しそうに俺の靴に身体をこすりつけている。

 屈んで頭を撫でてやったら、喉がゴロゴロと鳴る振動を感じた。


「ハァ……どうすっかなぁ」


 季節は冬、目の前には子猫。この子が今までどうやって生きてきたのか。

 弱った様子はないし、痩せてもいない。もしかしたら昨日今日、誰かに捨てられたのかもしれない。


 俺がここで見捨ててしまえば、この子は……。


 こんな季節に、こんな時間に、こんな場所に、俺みたいな馬鹿が通りかかったのは奇跡的な確率なのかもしれない。

 そう考えると、ここでこの子を見捨てるということはできなかった。その小さい身体を持ち上げる。


「一緒に来るか?」

「ゴロゴロゴロ……」


 ずっと喉がゴロゴロ鳴ってる。多分イエスで良いのだろう。

 そのまま車の運転席に乗り、シートベルトをつけると膝の上で丸くなった。全く、お利口なことだ。


 深夜のドライブを再開する。今度は当てもなくではなく、一緒に帰る家に向かって。

 ああ、一応コンビニに寄って食べられそうな物を買って帰るとするか。


          ◇

 

「……懐かしいな」


 ふとした時、あの冬の日を思い出す。今となってはずっと昔の出来事なのに、鮮明な思い出として。


 何もかもが嫌になっていた俺が、ほんの少しだけ前を向くことができた日のことを。


 部屋の窓から小さな庭の隅を見る。そこには、墓石代わりの大きな石が置かれていた。

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