プディングと仔羊【朗読用フリー台本】

江山菰

プディングと仔羊

 わたしたちの修道院は、幸せとともにありました。


 たいていの修道院は街はずれにあります。立派な佇まいで、貴族やお金持ちの商人のお嬢さんが行儀見習いという名の花嫁修業をしにきます。もちろん、寝るのも食べるのもお嬢さんに相応しい設えをするよう、親御さんからたくさんの寄付金が修道院に渡されます。

 しかし、わたしたちの修道院は街はずれもいいところで、とてもみすぼらしい佇まいです。前の住人は一家で首をくくってしまったという話で、その後誰も住もうとしなかった、いわば呪われた家でした。そのお屋敷をもらい受けて、おがくずと石の粉を混ぜたものでひびや穴を塞ぎ、ガラスの割れたところには板を張り付けて修道院にしたのです。わたしたちは呪いもみすぼらしさも気にしません。神はわたしたちと共においでなのですし、貧しき者は幸いなのですから。


 わたしたちの修道院がひときわ貧窮ひんきゅうしているのにはわけがありました。

 孤児たちに寝食を与え、読み書きや家事を教えてから独り立ちをさせる。あるいは、女の子に限って、わたしのように修道女としてここへ残り、信仰や善行に身を捧げる。そのようなことをやっているうち、ここは修道院というより孤児院に近いものになってしまいました。犬猫の子を捨てるように嬰児みどりごを置いて行く人すらいます。もちろん見捨てるわけにはいきません。

 他の修道院では、こざっぱりした修道士や修道女が神を讃える絵を描き詩歌をものし、飛ぶように売れる高価なスパイスを漬けこんだお酒やバターと卵がたっぷり入ったお菓子を作って、貧しい人々に奉仕をしています。

 一方、わたしたちは庭を耕して野菜を育て、質素な刺繍を入れた小間物や薬草のチンキ、軟膏を作って売りました。周りに住んでいた人たちはみな気のいい方々で、お腹を空かせて泣く赤子のために山羊の乳を分けてくれたり、大きくなった子を住み込みの農夫として雇ってくれたりして、労わってくれました。


 こんな爪に火を点すような暮らしでしたが、たまに好事家こうずかのお大尽だいじんがぽんと大金を寄付して下さることがあります。そんなとき、わたしたちは街で必要な品々を買った後、うきうきしながら砂糖商人の店へ行きます。最近は海の向こうの国へ砂糖貿易の大規模な商船団が行き来するようになったのでずいぶん安くなりましたが、それでもわたしたちにはなかなかのお値段です。だから、手に入りやすいモラセス……お砂糖を精製するときに出てくる黒い糖蜜を瓶にたっぷり買います。安いモラセスは子どもの口には合わないので、少しだけ良いものを選ぶようにしています。

 毎回値段におっかなびっくりで、十字を切りながら空の瓶を差し出すと、店の人たちはいつも面白そうに笑い、瓶にモラセスを詰めて小さなロバの引く荷車に積んでくれます。


 ずっしりと重い瓶を持ち帰ると、小さな子から年かさの修道女にいたるまで、みんな目をきらきらさせます。街のお土産としてお皿にほんのちょっと出し、大人も子どももみんなで少しずつスプーンにつけて舐めます。いつもならみっともないと叱るところですが、たまのことなのでうるさいことは言いませんし、言えません。

 聖人の祝日や、特別な祝い事があったときに、このモラセスと牛乳と小麦粉でプディングを作ります。

 鍋に牛乳とモラセス、少しばかりの小麦粉を入れて、よく混ぜながら火にかけていると、もったりとしてきます。焦げ付かないようにそのまま混ぜ、クランペットの生地くらいのところで火を止めてよく冷やせばぷるんと固まって出来上がりです。

 さっそく子どもたちにお皿を持って並ばせます。

 できあがったプディングを順番に杓子でよそい、上に砕いたくるみとモラセスをかけます。

 食卓につかせると、誰もかれもそわそわと待ちきれない様子です。

 特別な日の特別なお祈りをしてから食べるのですが、みんななんとも言えずいい顔で、味わって食べます。どの子も口元は汚れません。汚すひとかけらが惜しくて大切に食べるからです。

 わたしたち修道女は、素朴なプディングをこの上ないご馳走だと信じ切っている子どもたちを可愛らしく、そして不憫に思いながら、鍋底に残ったものを分け合うのです。


 わたしは孤児で、この修道院で育ちました。

 修道女たちはやさしかったし、同じような境遇の子どもたちが何人もいたので特に寂しさも感じず、暮らしていくのに必要な一通りのことを学んできました。

 同じ境遇の二歳下のケイトがわたしの親友で、ふたりでたくさん子どもらしいことをしました。菜園の手入れのついでに雑草で粗末な花束を作って修道女たちに贈ったり、壁に消し炭で落書きしたり、そうそう、二人で大きなもぐらを捕まえて、修道女たちに隠れて飼おうとしたのをを見つかり、大目玉を食らったのも懐かしい思い出です。

 十四歳になると、ここを出て働くか、残って修道女として信仰と善行に身を捧げるか選ばなければならないのですが、わたしは迷わず残ることを選びました。内気で大人しいケイトもわたしと一緒にいることを選び、わたしたちは修道服を着て神に仕える身となりました。


 しかし、そのケイトが、あることをきっかけに変わってしまったのです。

 ある日、三人ほどで連れ立って街へ買い出しに行ったとき、ケイトは男に声をかけられたのだそうです。わたしはちょうど熱を出した子どもの看病に忙しく、一緒に行かなかったのですが、その場にいた修道女によると、男は領主の息子で、奥方もいるのに身持ちの悪いことで有名で、馴れ馴れしくケイトの容姿を褒めていたようです。

 その男はケイトを待ち伏せするようになり、ケイトも少し浮ついた様子で出かけるようになりました。買い出しの担当を他の者と交代するよう言われても、頑として譲りません。先日など、ケイトは同行者たちの前から少しの間姿を消したそうです。年かさの修道女たちに勝手な行動を咎められても、とろんとした目をしてぼんやりと自分の爪を撫でたり、唇に触れたりして、いいかげんな態度です。

 わたしは、怖くなりました。

 本当は、ケイトが規律に背いているのはわたしにはどうでもいいことで、子どもの頃から一緒にいる親友が未知の世界へ行ってしまうのを感じて怯えたのです。


 ある日、わたしは黒イチゴの藪の陰にケイトを呼んで、男に口説かれて舞い上がっているのではないか、きちんとした手続きを踏んで修道院を出、誰かの妻となるならまだしも、妻を持ちながら修道女を口説くような男になびくなど、神が絶対にお許しにならない、とたしなめました。

 すると、いつもおとなしかったケイトがまっすぐ顔を上げ、わたしにこう言いました。


「あなた、男にきれいだとも愛しているとも言われないでここで一生を過ごすの? 女として一番きれいな時期を無駄にするの? わたしはいやよ。わたしは本当の生き方を見つけたのよ」


 そのときのケイトはぞくっとするほどきれいでした。驚いて口も利けないわたしに向かって、ケイトはポケットからきらきら光る首飾りを見せました。


「どう、すてきでしょう。あのひと、絹の服や宝石をくれるの。わたしを大事にするって誓ってくれたわ。わたし、きっと可愛い子どもが産める。他人の子どもの世話であくせくするのなんかまっぴらなの。わたしの人生はわたしのものよ」


 そしてわたしに侮蔑と憐憫の眼差しを投げたあと、ぷいと背を向けて早足で行ってしまいました。何も言えないまま立ち尽くすわたしに、一度も振り返ることはありませんでした。


 それから一週間も経たずに、例の男の家から使者がやって来て、たくさんの寄付金をわたしたちの前に積み上げ、引き換えにケイトを連れて行ってしまいました。


「このお金でモラセスを買って、みんなでプディングでも食べるといいわ」


 そう言った彼女の顔はとても晴れやかで高慢ちきでした。


 ケイトがいなくなってしばらくは、一番仲が良かったわたしを皆が気遣ってくれました。親友を失って、つらくないわけがありません。でも、日々は寄せる波のようにやってきます。去ったもののことを思っていても、時が戻せるわけはありません。目の前にあることをやりつづけていくことが大切なのです。ひと月も経てば、ケイトの話をする者はいなくなりました。まるで、ケイトという人間がここには存在しなかったかのようです。


 それから二年して、先の領主様の息子、例のあの男が新しい領主になりました。その一年後に、ずっと子供に恵まれなかったその男と奥方様との間に後継ぎの男の子が生まれて、街はお祭り騒ぎだという話を教区の方々から聞きました。しかもその話には嫌な噂がくっついていて、子を産んだのは本当は修道女上がりのめかけだったとか。

 彼女が自ら選び取った幸せは、わたしたちの思うそれとは、大きく違ったもののようでした。


 ケイトがいなくなってから五年の歳月が流れました。

 あの、領主様の奥方だか妾だかが子を産んだという噂から二年がたった頃です。

 その日、わたしたちは孤児たちを連れて、近くの農家へ手伝いに行きました。お駄賃は、刈ったばかりの羊毛から取れる羊の皮脂で、軟膏の原料になるのです。

 羊の脂を入れた樽をロバの引く荷車に乗せてゆっくりと帰って来ると、わたしたちは門のところに誰か立っているのに気が付きました。贅沢な服を着た女の人で、ベールをつけているので顔は見えません。両手を胸で組み合わせ、何か祈っているようでした。


 それは、ケイトでした。

 幸せな暮らしをしているはずの、あのケイトでした。

 ベールをつけていても、わたしにはわかります。


 わたしは思わず駆け寄って、その手を両手で包みました。ケイトの手は冷たくて、きめ細かで、水仕事なんかしない人の手でした。ケイトは弱々しく俯くだけで何も言えない様子でした。

 荷車は他の修道女と子どもたちに任せ、わたしはケイトを修道院の客間へ引っ張っていきました。誰かが呼んでくれたのでしょう、院長もやってきました。

 ケイトを座らせて、真向かいに院長、その隣にわたしが座ります。

 長い長い沈黙のあと、ケイトがベールを外すと、幽鬼のように青ざめ、やつれた顔が現れました。そのまま椅子から降りてひざまずき、ケイトは悲しい声を上げました。


「どんな恥知らずかとお思いでしょうが、帰ってまいりました。どうか、どうか、この浅はかな女をお許しください」


 院長は黙って、答えあぐねている様子でした。

 ここの者は皆知っています。一度、俗世の幸福を願って修道院を去った者は二度と戻れないのです。

 彼女はぽつりぽつりと語り始めました。


 色恋と贅沢を覚えて、子どもを生めない奥方をバカにして有頂天になっていたこと。

 男の子を生むと早々に引き離され、奥方が産んだと公に触れ回られたこと。

 産後の容姿の衰えを男から罵られ、奥方は笑って見ていたこと。

 乳母としてなら屋敷に残ってもよいと言われて、子どもに乳を与えたが、愛は与えさせてもらえなかったこと。

 子どもが乳離れしたとたんにお払い箱になったこと。


 ケイトが話し終わると、院長はその悲惨な話を聞いていなかったかのように、のんびりとわたしに言いました。


「プディングを作りましょう。いつものように、みんなでね」


 何か考えがあってのことだと思って、わたしは厨房へ飛び込み、材料がそろっていることを確かめてからみんなを呼び集めて、プディング作りにとりかかりました。

 大きな鍋でプディングにゆっくり火を通していると、だんだんどろっとしてきます。ヘラが重くなって、力が必要です。みんなで交代しながら手早くかき混ぜます。

 子どもたちが横から鍋を覗き込みながら、今日はどんなお祝いの日なのか尋ねるのですが、わたしたちは何と答えればいいかわからず、あとで教えてあげる、と誤魔化しました。なぜ院長がプディングを作ることにしたのか、わたしたちにもはっきりとはわからなかったからです。

 プディングを火からおろすと、肌寒い時期なのでほどなく鍋の縁のほうから固まり始めました。院長はそこをほんの少しすくいとり、粗末な皿に盛って少しモラセスをかけて、厨房の端で三本足の丸椅子に座っていたケイトに渡しました。


「召し上がれ。おいしくできているかしら」


 優しい顔と言葉とは裏腹に、院長の目は険しくケイトを観察しています。

 それに気づくことなく、ケイトは震える手で一口食べ、大きな目に一杯涙を溜めました。

 二口目で、その顔は歪み、涙が頬を伝いました。


「おいしい……こんなにおいしいものがそばにあったのに……わたしは……どうしてわたしは……」


 みんな静まり返った中で、院長は今度は表情を和らげて言いました。


「おかえりなさい、ケイト」


 わたしは、子どものように泣きじゃくるケイトを抱きしめました。


 主イエスが語られた寓話では、放蕩息子が帰って来たときのごちそうは上等の仔牛でした。

 わたしたちにとってのゆるしのご馳走は、このプディングだったのです。


 さて、わたしのおしゃべりも終わりです。

 神がいつも、心弱いわたしたちのそばにありますように。


   <了>

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