第2話 名ばかり店長就任
《一章》
「音無君、言い忘れてたけどさ。きみ、明日から店長だから」
バイト初日、一通りのOJTを受けた最後にそれは言い渡された。
退勤間近の休憩室にて、青天のへきれきとはまさにこの瞬間。
「え、何ですって?」
はっきり聞こえたものの、俺は咄嗟に聞き返してしまう。
理解できなかったにあらず、理解したくなかったのだ。
「だって、僕は今日が退職日。来月からはアパレル関係に転職するんだよ。本社にいくら言っても、後任の社員を寄こさない。じゃあ、新たな店長を採用するしかないよね?」
「バイトがいきなり店長ってマズいのでは?」
「大丈夫、大丈夫。うち、そーゆーところ結構緩いから。それに採用面接で言ったよね? ゆくゆくは正社員を目指して頑張るって」
「……」
確かに言った。
しかし、あくまで建前である。ただの嘘っぱち。バイトの面接でやる気アピールをしただけじゃん。そっちも素人じゃないんだから、別に本気じゃないと分かるでしょ。
「いやー、音無君は実に運が良いね。入社初日で大出世じゃないか! 後任にしっかり引継ができて、僕は安心して有休消化に臨めるよハッハッハ!」
先ほどまで店長……だった人が満面の笑みで、俺の肩を何度も叩いた。
「この仕事は結構楽だけど、やりがいなんて全然感じなかった! ぶっちゃけ、精神的にきつかった。やっと辞められるぜヤッホォーッ!」
元店長、アクロバットなブレイキンに興じるばかり。
OJTの間に培った真面目な印象が崩壊していく中、パソコンで書類申請を済ませた。
「あとはよろしく。はい、これカギ。何かあったら、SVに相談かタブレットで調べるように……ふ、ふふっ。フフフ! これで、これで僕は自由だぁぁあああーーっっ!」
そう言い残すや、かつての上司がホップスキップらんらんるーと去っていった。
静寂と共に取り残された、俺。
呆気に取られ、肩をすくめ、両手を広げちゃう。参ったねのポーズだ。
「……どうしてこうなった?」
もちろん、俺の独り言に答えてくれる者は誰もいなかった。
…………
……
ハッ! 何だ、夢か。起きたらすぐ支度しなくちゃ、間に合わないぞ。
カプセルトイ専門店の朝は早い。
早朝に輸送された商品を荷受けし、ガチャマシンに補充。店舗の清掃、売上の回収、レジ締め、入金。販売計画の進捗確認、在庫管理チェック、ポップとポスターのレイアウト変更、SNS更新、本部指示の回答……オープン前の完了報告がマストだ。
そんなに急かすならば、昼前に行う生産性の欠片もしょーもないリモート会議をやめてくれ。意見交換の場とのたまいつつ、実際決定事項の押し付けだろ。うちはもう、干物シリーズのガチャポンを置くスペースなんてないぞ。ちいかわの人気のやつ送ってこい。
「はあ……俺はね、暇そうだからこのバイトに応募したんだよ」
働きたくないが、働かないと一人暮らしできない。生きるとは金を稼ぐこと。
迷える子羊がガチャショップの前を通り過ぎた折、天啓下ったのだ。
この店、あまり人と関わらなくていいのでは? ガチャ屋なんて、空になった筐体にカプセル詰めるだけの簡単なお仕事やろ? よゆーじゃん。
アットホームな職場、皆と楽しく和気あいあい。
そんな求人広告に吐き気と嫌悪と忌避感を覚えるような、基本コミュ障な俺でもできそうなバイトだと直感したのだ。
「一人でいい、一人がいい。二人きりより、一人ぼっち」
音無景弘の座右の銘である。
ワンオペを強いられるのは、正直問題じゃない。だって、人付き合いよりマシだから。
昨今、おひとり様とやたらフィーチャーされている連中の末席を汚す者なり。
「なのに、バイト二日目から店舗の責任者ですよ。みなし残業だよ」
名ばかり店長の待遇なぞ、入社三か月までアルバイトと一緒。
義務と責任だけが増えただけ。労働基準法違反ですよね? 訴える証拠集めしとこ。
志望動機は楽そうだから。入ってみたら、面接で聞いていた業務内容と全然違ってめちゃくちゃ大変。はぁー、無意識に退職代行会社を検索検索っ。
チャンチャンチャンチャーン。
休憩室で永遠と愚痴っていれば、オープンチャイムが鳴ってしまった。
オープン直後は店頭でお客様のお出迎え。ディベロッパーのご意向ゆえ仕方ないね。
カプセルトイ専門店・ガチャポンの森は、ショッピングモールの一画を間借りしている。狭いスペースながら筐体が横に並べられ、上に積み上げられ、多種多様のガチャラインナップを展開しております。
「今日の昼飯どうすっか」
俺はすでに、休憩時間に思いを馳せていた。
平日の午前時、カプセルトイの店なんてほとんど客など来やしない。
この仕事、早朝の繁忙タイムを乗り越えれば休憩室で空白の時間が発生した。
秒針が時を刻む中、部屋で基本待機。業務中ゆえ、自分のスマホでソシャゲなどもっての外。監視カメラが常にお前を見張っているぞ。
さりとて。
前任者にとって精神的に辛く苦しい時間が、俺にとって至福のひと時なり。
何もしないをするのは得意だし、カプセルトイに触れて新商品の情報をいち早く調べられる。やれやれ、おひとり様ってやつは孤独に好かれちまうんだ。
漫然とぼぉーっと過ごしたかったけれど、監視カメラの映像を捉えてしまう。
「変質者、発見っ。あの野郎、また来やがったか!」
そこには、カメラ目線で腕を十字に組んだ成人男性が映し出されていた。
怪しいお客様対応もしなくちゃいけないのが、バイト店長の辛いところ。
俺は渋々、売場へ顔を出した。
「――再会の時、来たれり! 待ちわびたぞ、我が好敵手・景弘音無」
「不審者が映ってたから、様子を見にな」
「フン、相も変わらず寂れた店構えよ。否、小生の高揚を鎮めるには一興か」
常連客の一人、十文字クロスがよく分からん戯言をうそぶいた。
額にバンダナを巻き、チェックのシャツをジーンズにインしたレトロタイプのオタク像。リュックサックから飛び出す丸めたポスターの正体はいかに――
「まるで、旧態依然の産物。あんた、過去に取り残されたのか?」
「拙者が背負いしは人の業……っ! 汝、カルマを抱けッ」
こんなんでも、オモチャレビュー系ユーチューバーとして人気がある。
俺なら、全動画に低評価押しちゃう。
「うん、そうだね。一人称は統一しようね」
「それがしは十文字クロス! あらゆる並行世界の己とリンクしているのだ!」
マルチバース理論はさておき、十文字が腕を十字に決めポーズ。
自分が作った設定に準じるタイプのオタクらしい。
この上なく面倒な存在だが、金を落とす常連なのでコミュらなければならない。基本陰キャなのに、おじさんの自慢話に付き合うキャバ嬢の気持ちと通じ合ったぜ。
「我が同志」
「同志じゃないです。店員と客です」
「真名を開放した仲だ。貴様が達者にやっていたか、慧眼で見定めてやるぞ我が宿命」
「昨日も来ただろ! 美少女フィギュアのガチャ十連回したじゃん! ありがとうございます!」
十文字相手に真面目なツッコミなんて疲れるだけ。パワハラと厄介な客には毅然とした態度で臨むのが当店でございまして。
「しかして、我が怨敵。今宵、拙者が馳せ参じたのは」
「魔法少女☆オタサープリンセスの新弾だろ……あるよ。ニッチなカプセルトイも入荷する。それがガチャポンの森のモットーゆえ」
「でゅふ、でゅふふふ! 待ち遠しくて夜しか寝れなかったでござる」
中二病か、キモオタか。キャラを統一してもろて。
「フヒヒ、サーセン」
チーズ牛丼を注文しそうな顔だが、声はハリウッド俳優並みのイケメンである。
「それがし、決戦に挑まんとす! これにてドロンッ、吉報を待つべし」
十文字がそう言い残して、新入荷コーナーへ足を延ばすのであった。
やれやれ、奴の対応はいちいち疲れる。見回りの警備員にちょっとお話よろしいですかされてください。
接客は嫌だ、何人たりとも関わらず何もしないをしたい。今はただ、スタッフルームでひたすら昼休憩を待ちわびたい。
俺がくるりと踵を返すや、さりとて行く手を塞ぐ新たな人物が現れた。
「ハァイ! カゲヒロ! ゴキゲンカヨ!」
田中マイケルがカタコトな日本語で挨拶してきた。
金髪碧眼のハーフらしく、陽気なアロハシャツが似合っている。
「やあ、マイケル。この前は斡旋してくれて助かった。おかげで売上ノルマでぐちぐち文句を言われずにすんだぜ」
「ハハハ! キニスンナ、ワイタチココロノトモダロ?」
マイケルは、外国人観光客へ当店を紹介してくれる常連。
ガチャポンは海外人気があり、カプセルトイ目的で来日する物好きが結構多いのだ。
苦手な集客を勝手に手伝ってくれて助かるものの、距離感が近いのが玉に瑕。ノールック肩組み食らってビクッとしちゃう。自分、基本根暗なんで。パリピ、きついッピ。
「今日は一人で来たの? 珍しいな」
「オー、ソーリー。ワイハオシノビヨ。ゾンブンニヤスミヤガレ」
「俺も休みたい。毎日が休日であれ」
ただし、祝日。テメーはダメだ。
無駄に忙しくしやがって! お前もワンオペやってみろ! 飛ぶぞっ、意識が!
「カゲヒロ、オツカレカー? トゥゲザーサウナデトトノウカー?」
「貧乏暇なし金もなしってな。今日も嫌々ながら時給を貪るさ」
「ザンネンネ。ツギノニチヨウ、カネヅルタクサンキタイシヤガレ」
「頼んだぞ。代わりに、マイケルの好きなガチャポンこっそり準備しとく」
外国人ツアーガイドを生業としていた、マイケル。
お土産用や自分のコレクションに、ネタ系のカプセルトイを集めている。
「オヌシモワルヨノウ」
金髪の青年は善さそうなスマイルで、懐から取り出した日の丸扇子を開いていく。
今度、山吹色のカプセルを包んでおこう。それくらい貢献度があるのだから。
マイケルと別れ、ようやく暇を弄ぶ他ない退屈の楽園へ帰還できると思えば。
店内にフローラルな芳香が広がり、俺の鼻孔をくすぐった。
「店長さん、こんにちは」
振り返った途端、長い黒髪をバレッタでまとめた美人に会釈される。
「おはようございます、保科さん」
保科桜子さんは、花柄のワンピースにカーディガンを羽織っていた。
なぜお洒落なカフェテラスではなくて、このチンケなガチャ屋に足を運んだのか?
「今日は花蓮ちゃんと一緒じゃないんですね」
「まだ幼稚園の時間だから」
娘がちいかわのガチャポンにハマっていたものの、その付き添いの方が次第に熱中し始めた運びである。十文字の次に出現率が高い常連枠の綺麗どころ。
欲しいブツが全然排出されなければ鬼の形相でぶん回したり、カスハラ上等なクレームを吐いたり。美人の名誉がため、俺はそっとバックヤードへ引っ込むのが常。
否、全て些事。保科さんには困った嗜好がありまして。
「ふふ、店長さん。もう少し、顔を近くで見せてくださる?」
美人に頬を触られ、ビクッとしちゃう。薬指で輝いた指輪の圧がちょっと痛い。
「やっぱり、あの人の若い頃と雰囲気がそっくりだわ」
「お、お触り厳禁ですよ! うちはそういう店じゃありませんっ」
「私ね、店長さん……夫が単身赴任でしょう? 連絡したって全然返事をくれないの」
「はあ、大変ですね。個人情報は要らないです」
「せっかく新築マンションを買ったのに、娘を寝かしつけたらいつも独りの時間。私、夜が嫌いよ」
最高じゃないの。すごく、最高じゃないの。
「寂しさを紛らわせるために、人肌が恋しくなっても仕方がないじゃない? 心に空いてしまった穴を埋めるために、ちょっとくらい火遊びしても構わないと思わない?」
熱を帯びた視線と桃色な吐息を浴びせられ、クラクラと酩酊感を味わった。
「奥さぁん……人妻誘惑プレイはご遠慮ください。当店、美人の色香は禁止なんで」
「あら、お上手。迫られたら、本気になっちゃうかも」
微笑を携えた、保科さん。
恐ろしいハニトラ、俺が非モテの理を修めていなければ達していた。ふぅ!
これからママ友ランチらしく、丁重にお見送りした。
俺は売場からほうほうの身体で退散する。
「ハアハア……客三人の相手で体力の限界だ。心が、休みたがっているんだ!」
休憩室のソファにぐったりと倒れ込んでいく。水を、水をくれい。
監視カメラ? ふん、視線の死角に潜るなど造作にあらず。集団グループで単独行動を仕掛ける者の嗜みじゃないか。
以前保科さんに貰ったアロマキャンドルを焚き、ホットアイマスクを装着し、パソコンからヒーリングミュージックを垂れ流す。
「しみるわぁ~、おひとり様の時間がしみるわぁ~」
ほお、いいじゃないか、こういうのでいいんだよ、こういうので。
孤独のギョウム。たとえお賃金が低くても、充実した仕事だね。やりがい搾取?
昼休憩まであと一時間、俺は徹底抗戦とばかりに籠城するのであった。
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