短編さまざま

駒鳥なごみ

線路のむこう側

 夜が白み始めている。

 じんわりと色を変えていく空を見上げて、それから視線を前へと戻した。すぐ前を歩いている、あの子の後ろ姿が見える。大学に入って派手髪にしたと聞いていたが、青っぽいプラチナブロンドに紫やマゼンタピンクを混ぜているとは思わなかった。何でも今の推しモチーフの髪色らしい。メッセージアプリで送ってもらったのを見たことがあったけど、実物はずっときれいだと思った。

 肩ほどまでの髪が揺れて、あの子が振り返った。シャツから覗いた白い腕が持ち上がって、「あっち」と声が聞こえる。見ると、そこには小さな売店が併設されたプラットホームが見えた。

「ちょっと休憩しようぜ」

 彼女が言うのに、わたしはうなずく。何しろ線路というのは歩きづらい。そろそろべこべこした地面から這い上がりたかった。


 あの子とは高校時代、一度だけ同じクラスになった。3年生にあがったときだ。新学期が始まってすぐはほとんど話もしなかったけど、徐々にクラスのコミュニティが出来上がり、お互いにグループでかたまることに興味がなかったわたしたちはなんとなく一緒に過ごすことが増えていった。

 そんな彼女から「旅行いかね?」と連絡が来たのは、大学が夏休みに入るすこし前くらいだった。どうにか大学と一人暮らしとバイトとを兼ね合わせる生活に慣れはじめた頃で、忙しい日々ではあったけど、夏休みはそれ以上に膨大だった。とくに断る理由もなく承諾すると、あの子はなんだかんだ全部決めてくれて、当日朝に駅で落ち合うことになった。

 彼女はとにかく海が見たかったらしい。まあ夏だしな、などと、高校時代とぜんぜん変わらない口調でそう言った。いいんじゃん、夏だし、とむかしと同じように返した。異論はなかったのだ。

 三泊四日、宿は海の近くだった。どうやって見つけてきたものか、それなりに田舎のちいさい浜の傍で、ごはんが美味しくてお風呂が最高の旅館だった。これでほとんど客入りもなくすいていたのだからほんとうにすごい。友人の意外な特技に感心してしまった。

 近所の神社とか美術館とかを巡って一泊、近くの浜で泳いだりごはんを食べたりして一泊。最後の夜、なぜか早朝に起こされてこんなことを言われた。

「線路歩いてみね?」

 海沿いに敷かれた線路は、もう何十年も前に廃止された路線らしい。その一部が観光地化されていて、それなりの距離の線路を歩いていけるのだそうだ。

 そういうわけで、わたしたちは朝っぱらから線路を歩いている。初めて知ったことだが、線路っていうのは歩きづらい。すぐに足が疲れてしまって、ぐんぐん歩いていくあの子が信じられなかった。

 廃駅のプラットホームに上がると、わたしはすぐにベンチにへたりこんだ。彼女は駅についた売店を覗き込んで「あいてねー」とのんきなことを言っている。あたりまえすぎてちょっと笑った。

「無理でしょ、まだ朝早いし」

「10時開店って書いてあったわ」

 彼女はそう言いながら、わたしの隣に座る。ぐでんと横になりかけていたわたしはどうにか身体を起こして、線路の向こうに広がる光景を見て思わず息を呑んだ。

 空にまじりそうなほどずっと向こうまで、海がひろがっていた。もう夜は完全に明けていて、水平線にじんわりと朝日がのぼり始めている。薄くピンク色がかった赤い光が、水平線を焦がして埋めていくような朝焼け。

「きれい」

 思わずつぶやくと、隣に座っていたあの子もすげーね、と言った。

 二人でぼんやり海を眺めていると、不意にあの子が「そういえばさあ」と口を開いた。その次にすぐ「ごめん」ときたので、わたしは海からあの子のほうに勢いよく振り返ってしまった。

「遺言?」

「ちげーよ、なんでだよ」

「だって朝からこんなとこ歩くし、急に柄にもなく謝るし」

「ここ歩けるんだ~行きたいなって思ってただけだよ。あたしが謝るのそんなレアか?」

 うなずくと、信頼ねー、でもまあそっか、と一人で納得していた。

「高校の時さ、あんたのペンケース壊しちゃったことあったろ。赤い花の絵が入ってるやつ」

 そう言われてはじめて、ああ、と思い至る。高校3年の、今くらいの時期だ。わたしの家で受験勉強を二人でやってたときに、あの子が立ち上がりざまにわたしの筆箱を踏んでヒビを入れたのだ。クリアケースに、カーネーションのイラストが描いてあったやつ。小学生の頃から使っていたようなやつで、もういい加減古いものだったし、なんだったらわたしが落としたり擦ったりしてヒビも傷も入り放題だった。その存在だって、今思い出したくらいだ。

「ごめん」

 あのときもたしか謝られたと思うけど、あの子は未だに気にしていたらしい。そこまで聞いて、わたしは思わず笑ってしまった。

「深刻な顔して、それずっと気にしてたの?」

「いや、なんつうか……ふと思い出してかなしくなったというか」

「なにそれ」

「ほんとなんだろ」

 そんなふうに言い始めたから余計に面白くて、そのうちあの子も笑い始める。

 ひとしきり笑って、ふとわたしの頭にもいろいろと浮かぶ。なんかもうちょっと一緒にいたかったよね、とか、一緒の大学行けなくてごめんねとか、どうにかしたかったけどどうにもできなかったことが頭を巡って、結局そのどれも言わなかった。

「そういえばわたしも、あんたがうちに忘れてったキーホルダー返しそびれてるよ」

 代わりに記憶の底から探し出してきてそう言うと、あの子はあれ、そうだっけ、なんて首を傾げている。

「まだうちにあるよ、今度返すわ」

 そう言って、また海のほうを見る。もう太陽ははっきりのぼっていて、海際はまぶしいくらいきらきら輝いている。

 すでにさっき言おうとしたことは頭の隅に追いやられていて、返すついでにどこか遊びに誘おうかな、なんてことを考え始めている。

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