一章

1:放浪する

 暗く沈むような暗闇にほんわかと光が灯る。

 懐中電灯ほど明るくはないけれど通路を歩くには全く困らない。

「どう? 明るいでしょ!」

「......はい」

 いつでも彼女は心を読んだようなコトばかり口にする。それが僕には不気味に思えて仕方ない。

 彼女を載せた台車は思っていたよりも軽くて、台車が転がるリズムは軽快で心地いい。

「ところでさ」

 彼女がふと気づいたように顔を上げる。

「わたしのこと、どう思う?」

 いたずらっぽい笑みとともに彼女が振り返る。

「............」

 どう、とはどういうことだろう。怪しいと言えばいいのか、けれどそれでは機嫌を損ねてしまうような気がした。

 彼女は目を逸らさない。

 なんとなく気まずくなって顔を背ける。

「あ、逃げた」

「逃げてない」

 彼女は露骨に頬を膨らますとそっぽ向いてしまう。こうなると肉に噛み付いたネズミみたいに頑固だ。

 前にこの例えを彼女に話したらしばらく話しかけられなくなってしまった。自分が思っているよりも彼女の騒がしさが好きだったのだと、その時になって初めて気が付いた。

「でもさ、わたしとお話するのちょっと楽しいでしょ」

 なんて返せばいいのか分からなくて、僕は口を閉じた。

「もー、なんでそこで黙りこくっちゃうかな......」

 彼女の表情が少し曇る。その様子に心が少し痛むような心地がした。けれど、それも一瞬のこと。反省をする暇もなく彼女はまた話しかけてくる。

「不気味だよね。こんなに家が並んでるのに誰もいない」

「こんな場所に住みたい人なんているとは思えないですけど」

 傷だらけの建造物が通路を挟むようにして立ち並んでいる。今にも崩れ落ちそうなそれらに住みたいとは微塵も思わない。

「こんな静かな場所でのんびりするのもいいと思わない?」

 静けさとは正反対みたいな人が何を言っているのか。

「休憩にはちょうど良さそうですね」

 指摘するとまた面倒な態度を取られる気がしたので口にはしなかった。

「そうしよ! せっかくだからあの建物で休憩していこうよ」

 そう言って彼女が指さした建物は今にも崩れ落ちそうだった。

「……休む間もなく死にそうだけど」

 足を踏み入れたら最後、僕らが下敷きになって終わりだろう。

「……行かないの?」

「目的地まで早くしろといったのは誰だったっけ?」

「だから行こうって言ってるじゃん」

 彼女の目は笑っていない。

 もう一度、彼女が指さす方向を見る。そこには小さな箱みたいな建造物が建てられていた。

「……もしかして」

 ある可能性に気づいて彼女を見る。案の定、その表情は満足そうだった。

 出会った時と同じ、無邪気な子どもみたいに彼女は笑う。

「氷空、はじめての仕事だよ」


 

 *



「なんで……こんな、無駄に……広いんだ……!」

 行く手を阻む瓦礫を横に投げ捨てる。

 いくらボロボロの建物とはいえ、外から見たサイズはせいぜい中堅シェルターくらいだと思っていたのに。

「いやー、大変だね」

「からかってるんですか?」

「してないしてない、わざわざありがとうね」

 こちらが汗水垂らして働く様子をユキさんは憎たらしいくらいの笑顔で見つめていた。

「わたし、ひとりじゃ動けないから!」

「……楽しそうだね」

 瓦礫のなくなった道はそれでも傷だらけだった。やっとの事で台車が動き出す。

 車輪が激しく音を立てる。

「はいはーい、ひとつ言いたいことがあります!」

「……はぁ、なんですか?」

 どうせくだらないコトだ。けれど一応、話くらいは聞くべきだろう。

「がたがたして乗り心地が悪いです!」

 ――無視すればよかった。

「床が傷だらけなんです。しょうがない」

 すると彼女はいつものように頬を膨らませる。

「これはどうしようもないですよ......」

「そんなの分かってる」

 また彼女の機嫌を損ねてしまったらしい。

「氷空くん、つめたーい」

「......」

 冷たいのはそっちの口調ではないだろうか。

 彼女が黙ってしまったからか、横たわる静けさが急に落ち着かない。

 いくつにも分岐した通路をひたすら真っ直ぐ進み続ける。見通す限り何も変化のない通路。ところどころ壁は崩れ落ち、剥き出しの配管からは水がこぼれだしている。

 歩けど歩けど終点は見えない。一直線にずっと続いている。

「…………」

「どうしたの?」

 もう一度、分岐している道を観察する。

「ユキさん、一つ質問があるんだけど」

「いいけど......?」

 怪訝な表情でこちらを覗き込んでくる。どうも彼女は顔を覗き込む癖があるみたいだ。

「この道、何かおかしいよね」

「そうね」

 ユキさんはなにか知っているのだろうか。

「なら、ここはなんだと思う?」

 崩れた壁から覗く空間、交差している通路、それらと比べても明らかにこの通路だけ明らかに様相が異なっている。まるで何かに貫かれたように――。

 だとしたら、これほどの空洞を貫けるモノは一体。

「気になる?」

 ユキさんがぐいと顔を近づけてくる。

 とても生き生きとした表情。

「それなら、教えてあげる」

 沈黙を肯定と捉えたのか、はたまた僕の表情が分かりやすいのか。

 とにかく、彼女はさも楽しそうに口を開く。

「むかしに起きたテロの傷跡だよ。今は……もう誰も覚えてないと思うけどね」

 彼女の眼に映る景色はきっと僕には見えない。

「ごめんね、勿体ぶったくせにそんなたいしたことなかったね」

「いや…………」

 彼女の取り繕ったような表情と、ほのかに寂しげな姿に言葉が詰まってしまう。

 どうしてテロについて知っているのか、ユキさん自身はこの場所となんの関係があるのか。気になることはたくさんある。

「さ、はやくいこう。そろそろ目的地だよ」

「……そうだね」

 けれど、僕にはそれを知る意味がないんだ。


 

 *



「こんなに広い場所があるなんて……」

 施設を下った先にはあまりにも広い空間が待ち受けていた。

「もしかしてこういう場所は初めて?」

「はじめてだよ! こんなに広い場所が本当にあったなんて......!」

 はるか上に見える天井は大小様々な光が灯っている。

「すごい......! 天井が光ってる......」

「あれは星空を模した装飾だよ」

 呆れたように説明してくれるユキさんも穏やかな笑みを浮かべていた。

 ユキさんは台車から降りるとその場で仰向けに寝転がった。

「ほしぞら、ってなんですか?」

 ユキさんはきょとんとしていたけれど、少しして合点がいったという風に頷いた。

「そっか。氷空は知らないんだもんね」

 今度はこちらがきょとんとする番だ。

「この都市の上にはね、どこまでも続く陸地とどこまでも続く広い空があるんだよ」

 君の名前と同じだね、と彼女は笑う。

「空にはたくさんの星が浮かんでて、真っ暗な空を明るく照らしてくれるの」

 僕もユキさんの横に寝転がる。

「それはここから見えるよりも?」

「もちろん。氷空が見たらびっくりして倒れちゃうんじゃない?」

 こうして見上げてみるとまるで星に包まれているような気分だ。

「空はどこまで続いてるの?」

 そう聞くと彼女はしばらく唸っていた。

「そーだね......。たぶん、どこまでも続いてると思う。空に限界があったとしてもわたしたちには一生をかけてもたどり着けないよ」

「......すごい、遠い場所なんだね」

 いつか、空の果てを目指せるのなら。

 その時は星空を旅してみたいと思った。

 ――――

 ――


 ユキさんは身体を起こすと台車によじ登る。

 もう少しこのまま星空を見ていたかったけれど、まだここは終着点じゃない。

「氷空、そこの扉が目的地」

「わかった」

 いつまでも僕らの道が離れないように、ふとそんなことを思ってしまった。

 相変わらず大きな音を立てる台車と、無機質に響く足音が何故か心地よく感じる。

 とても暖かいきぶ――――

「氷空! 逃げて!!」

 ユキさんの叫び声と共に強く突き飛ばされる。

 

 ……揺らぐ視界で見えたのは、僕に向かって叫ぶユキさんの姿と彼女を斬らんとする鋭い影だった。

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