あの日からもう一度

山田貴文

第1章 ことのはじまり

神部直弘が過去に行けるようになったのは高校二年生の時だった。自己催眠の本を読み、過去の追体験ができるようになったことが始まり。


 目を閉じて気持ちを落ち着かせ、ゆっくりと階段を下りていくイメージを持つ。下へ、下へ。潜在意識の底へと降りて行く。深く、深ーく。そして降りられるところまで降りたら、自分に言い聞かせる。私は今、何年何月何日の何時何分にいると。


 最初はおぼろげなイメージだけだったが、そのうちはっきりと過去が見えてきた。まさに自分がその時その場にいるように。人間の潜在意識は生まれてから現在に至るまで、すべての瞬間を克明に覚えている。練習を重ねると、レコーダーの再生スイッチを押すようにその記憶を再生できるようになるのだ。


 練習は近い過去から始めた。一ヶ月前のあの日、あの時間、私はあそこにいます。天気は、気温は・・・と、できるだけ細部を思い出し、それに浸る。しばらくすると、目を閉じた暗闇が突然開けた。


 寒いっと思った。ガタガタ震えている。だが、両手は温かい。手に持っているのはコンビニで買ったおでんだった。真冬の公園。直弘はベンチに座っていた。


 隣を見ると、仲の良い友人、山村孝則が既におでんを頬張っている。彼はこちらを見てニタッと笑った。


「何してんだよ。食おうぜ。うまいぞ」


 その日は部活の帰りにコンビニで買ったおでんを山村と食べた日。普段はゆるい軟式野球部の練習がその日は珍しくハードで、くたくたに疲れていた。さらに寒かったし、空腹だったので、帰りに買い食いをしたのだ。


 直弘はまさにそこにいた。おでんにむしゃぶりつくと、あの時と同じように凄まじく美味だった。ちくわの暖かさ、味の染みた卵、こんにゃくの噛みごたえなど、食感をリアルに感じることができた。ただ、過去の再現なので、当然ながら現在とは違う。


 この感覚を表現するとしたら、と直弘は考えた。中学の頃、クラスの演芸大会でやった二人羽織が一番近い。その時、彼は手が使えない前を担当した。羽織の代わりに毛布をかぶった級友が、直弘に熱々のカップラーメンやお約束のショートケーキを食べさせてクラスの笑いを誘った。


 もちろん、自己催眠で体験する過去は自分自身なので、口じゃないところに麵をぶつけて熱がらせたり、顔中をクリームまみれにすることはない。ただ、自分でありながら自分でない感覚は、まさに二人羽織のそれだった。体が勝手に動くというか、誰かの体にお邪魔しているような感覚がぬぐえない。


 ただ、あくまでも再現なので、自分の意思で過去と別な動きはできない。卵より先にこんにゃくを食べることはできないのだ。


 おでんを食べ終わり、山村と談笑しているうちに直弘は心配になってきた。ここから戻れないのではないか。一ヶ月後の現在に自分は帰れるのかと。それほどまでに追体験はリアルだった。


 直弘は本に書いてあった通り、心の中で大きく宣言した。


「私は三つ数えたら現在に戻ります。三、二、一、はいっ!」


 戻れなかった。目の前にはまだ一ヶ月前の山村。クラスで人気の女子について、ああだ、こうだと言っている。たぶん、直弘の顔は満面の笑顔でその話にのっていたのだろうが、中にいるもう一人の直弘は本気で焦りまくっていた。


「三、二、一、はいっ!」


「三、二、一、はいっ!」


 何回か失敗した後、ようやく彼は自室のベッドの上にいる自分に気づいた。全身、汗でぐっしょり。慌ててカレンダーを見ると、追体験への出発前の時間、つまり現在だった。時刻は深夜。両親と妹は既に寝ているようだ。


 こうして直弘は過去追体験の技を習得したが、その代償も大きかった。心身の疲労が体験したことのないほど激しかったのだ。精も根も尽き果てるとは、このことだった。翌日は這うようにして学校へ行ったが、化学の授業中に寝てしまい、先生に教科書で殴られた。当時はこんな体罰が普通だったし、特に問題にもならなかった。


 そう、三十九年前は。


「神部さん、直帰する時は前日の定時までに連絡くださいね。一応決まりですから」


 ひとまわり以上若い、課長の山田英俊に注意された。営業である以上、急にお客を訪問することがあるし、商談が長引いて遅くなり、オフィスに戻らないこともある。課長の言うことはもっともだが、この課では長老と言っていい年齢の自分が若い彼に素行の注意をされることは恥ずかしかった。


 結果さえ出せばあれこれ言われず、自由にさせてもらえるのが営業のいいところだと思っていたが、今の部署では通用しない。上司は部下を細かく管理するのが本務だと信じ込んでいるようだ。もっとお客の方を向けばいいのに。おまえ営業だろ、細かいこと言うなよと直弘は心の中でため息をついた。


 五十六歳の今、彼が務めているIT企業での役職は担当課長。いわゆる部下なし管理職である。とは言っても、やっている仕事は一般職のそれと同じ。六年前までは本物の課長だった。外資系のこの会社では役職定年制があり、ある年齢を過ぎると役職を退かなければならない。直弘は五十歳で課長を退任し、かなり年下である課長、いや正確には課長代理の部下となった。


 この会社の面白いところで、役職を退いた担当課長の彼は課長の給与をもらっている。一方、仕事は課長だが、職位が課長代理の上司は主任の給与しかもらっていない。会社の役職昇進が年々難しくなり、課長代理が課長を務めるいわゆる「なんちゃって課長」がだんだん増えてきた。これ、法律上の問題があるのではとも思うが、詳しいことはわからない。


 若い山田課長は部下のくせに自分より高給をもらっているやつが面白くないのかもしれない、と彼は思うことがあった。


 いずれにせよ、業務上の指示はたとえ年下でも、上司から受けなければならないのが会社だ。 


 使い古しのタオルのように、最後は雑巾のように使われて終わりか、と直弘は自嘲的に思うことがあった。もはや部長以上に出世する見込みは事実上絶たれている。ほぼ間違いなく、これ以上給料は上がらない。


 管理職を退くのは一歩譲って仕方ないとしても、直弘のように経験豊かなベテラン営業には難しいお客を担当させるとか、後輩の指導育成を行うとか使いようがあるはずだった。ところが実際には、会社の方針だからと未経験かつ畑違いの商材を新人たちと一緒に売り歩かされた。さらに業務のほとんどが単純作業を占める案件に従事させられている。


 正直、今もらっている給料でやる仕事だとは思えない。現実に若い上司よりはるかに高い金をもらっているのだ。ただ、ここで腐ってしまえば、会社は外資系特有のドライさと冷酷さで高齢・高給与の直弘へ襲いかかり、左遷、降格、減給を次々に強いるだろう。直弘は心折れて仕事の手を抜き、そのような目に遭った中高年を何人も見てきたし、さすがにそれはごめんだった。


 直弘は思った。会社は俺にもう期待していない。これは飼い殺しだな、と。


 仕事を終え、自宅に帰っても直弘は一人だった。かつて妻はいたが、結婚生活はわずか二年で終わりを遂げた。子供はできなかった。いや、作らなかったという方が正しいだろう。妻の方にも言い分はあるだろうが、不幸な結婚生活が始まってすぐ、直弘は思った。この人と子供を作ってはいけないと。すぐ泣きわめく、不機嫌になる、人とした約束は平気でドタキャンする。明らかに彼女は人格破綻者だった。それに経済観念は皆無どころか、直弘の知らない間に笑えない額の借金をして遊び呆けていたことが発覚。その後始末に直弘は忙殺されることとなった。


 それが十数年前の話。その後、人並みに恋もしたし、付き合った女性もいたが、再婚には至らなかった。現在、交際相手はいない。


 せっかく生まれてきたのだから子供は持ちたかったな、と直弘は考える。ただ、それを別にすると、独身生活に特に不都合は感じなかった。身の回りのことは自分でできるし、好き勝手に趣味へ金を使えることもありがたい。


 その趣味だが、高校、野球と続けてきた軟式野球の延長で、数年前までは草野球チームに所属。週末ごとに汗をかいた。十年前に肩を痛めて引退してからはしばらく、映画、読書、旅行とおとなしい楽しみに専念していた。


 それを一変させたのが四人組の女性アイドルグループ、ムーンライツである。六年前、五十歳近くになるまで、直弘はアイドルに一切関心がなかった。いわゆるオタクなぞ、自分とはもっとも遠い存在だと思っていた。


 ところが、同僚にムーンライツのライブへ誘われ、気が進まぬまま行ったらはまってしまった。アイドルというと可愛さだけで、下手な歌とダンスを延々見せられるのかと覚悟していったのだが、予想は完全に覆された。


 場所は日本最大のスタジアム。直弘と同僚のいるスタンド上段からステージまでは相当距離があったが、関係なかった。心に染みる歌、キレのあるダンス。それはまさにプロの技。数十メートルの距離を超え、一瞬にして直弘の心に突き刺さった。俺は天女を見ている、と直弘は驚嘆した。


 このスタジアムでのライブはムーンライツのメンバーが結成六年目にして実現させた悲願だった。路上ライブで数人の客を相手に踊っているころから、いつかはここでやると目標にしていたのだ。ライブを終え、最後に満席の客を前に挨拶するリーダー鉾田佐和子の顔は神々しいまでに輝いていた。


 その翌日、直弘はムーンライツのファンクラブに加入し、憑かれたようにCDとブルーレイを買い漁った。ライブがあれば地方でもためらうことなく遠征した。その熱意は最初に彼を誘った同僚を凌駕し、あまりの温度差にかえって疎遠になってしまったほどだった。


 ファンがアイドルグループの中でどのメンバーを一番好きだと表現するのに推しという言葉を使う。直弘の推しはリーダーの鉾田佐和子だった。彼女のイメージカラーである赤い服を身につけ、行けるライブやイベントにはすべて参戦した。この参戦という言葉もアイドル業界で使われる言葉である。普通に参加でよいはずなのだが、なぜかそこは戦争用語だった。


 当初は休みのたびに一人で行動していたが、やがて他のファンと仲良くなり、いつしかオフ会を組織していた。自然と直弘は幹事となり、四十名に膨れ上がったメンバーを仕切るようになった。大学生から六十を超えた男女まで、年齢や職業がさまざまな人々がムーンライツのファンという共通点で集まり、交流を深めている。


 ムーンライツのファンの特徴は女性ファンが多いことである。たぶん四割近くいるだろう。ムーンライツは他のアイドルグループと異なり、性的な魅力を売り物にしていない。もちろんルックスは可愛いのだが、メンバー四人とも中性的な雰囲気がある。水着グラビアは一度もやったことがないし、これからもやらないだろう。数年前を最後に握手会はやめてしまった。これは事務所の意向である。ただ、圧倒的な歌とダンスのパフォーマンス力でファンの心を鷲づかみにしているのだ。


 ファン仲間とのSNSを使った毎日の雑談やちょくちょくやる飲み会は本当に楽しく、直弘に居心地のいい場所を提供してくれた。彼らと接していると、仕事のストレスや日常の嫌なことも完全に忘れられる。


 そして気がつくと、直弘の部屋はムーンライツのグッズだらけになっていた。壁にはポスター。本棚はブルーレイディスクやCD、そしてメンバーをモデルにしたパペットなどで一杯だ。知らない人が見たら、とても五十六歳の男の部屋には見えないだろう。完全にオタク丸出しなのである。


 ずいぶん金を使ったな、と直弘はグッズを見回して思うことがある。ただ、これらの購入は楽しい思い出とペアになっているので全然惜しくない。また金額的にもブルーレイディスクやパペットなどは、いくら買っても社会人の収入があればたいしてこたえない。もっとこたえるものが他にあった。


 それはムーンライツの「生写真」である。要はただのアイドルの写真なのだが、生という言葉がついている。なぜ生なのか? 昔のようにポジまたはネガフィルムからプリントを起こしていた時代であれば、原板からの焼き付けということだとわかる。ところが現在ではコピーし放題のデジタル写真なのだから、一見、意味不明に感じる。実は元の画像がフィルム、デジタルにかかわらず加工や印刷をせずに印画紙へ直接焼き付けた物を生写真と定義しているそうだ。


 生写真はライブ会場で百種類の写真が五枚ひと組をセットにして売られている。値段はちょっと高めのランチ代ぐらいだ。写真がランダムに封入されていて、袋を開けるまでどの写真が入っているかはわからない。運次第だ。


 直弘はそれを毎回二十セット、百枚購入している。つまりライブごとに高いランチ二十回分の金額を投資していることになる。これがグッズ関連の費用としては一番大きかった。当然ながら全部違う写真とはならないので、同じ写真がだぶって何枚も来てしまう。それを他のファンと交換し、直弘の推し、鉾田佐和子の写真を集めるのが楽しみだった。


 生写真には射幸心を煽るがごとく、特典がある。ごくまれにムーンライツメンバーのサイン入り写真が混ざっているのだ。これがまたファンを熱くさせ、何とか引き当てようと生写真を買い漁らせていている。直弘は軽く四桁を超える生写真を購入しているが、サイン入りを引き当てた枚数は両手で数えられる。サイン目当てであればお世辞にも効率のいい投資とは言いがたい。


 だが、直弘に取ってサインは二の次だった。それよりも生写真自体が好きなのだ。ライブの衣装や私服姿で微笑み、時には真顔でカメラのレンズを見つめるさまざまなメンバーの姿を見ることが楽しかった。少女から大人の女性へ変わっていく一瞬の時を切り取った大量の写真をアルバムに整理し、自宅で暇さえあれば眺めていた。まさに至福の時である。そのたびに直弘はムーンライツを知ることができて本当によかったと天に感謝していた。


 ただ、と直弘は思う。本当はもっと早くムーンライツのファンになりたかった。初めてライブに行ったのが目標達成の巨大スタジアムでは遅過ぎる。路上で数人の客を前にライブをしている頃から応援したかった。もちろん、デビューからスタジアムまでの日々はネットの動画やブルーレイなどで追体験できるわけだが、彼女たちと共にその時間をリアルに体験したかったと悔やんでいた。


「うらやましいな」


「あの頃は何とも思わなかったんです。自分と同年配の子たちが踊っているなって」


「しかし、天下のスーパーアイドルを犬の散歩の途中に見てたってすごいよ」


「うちの犬、メロンと言うんですけど、メンバーになでられたんですよ」


 ある晩。直弘は小林亜沙美と二人で飲んでいた。亜沙美は二十四歳。誰が見ても美人だと思う独身女性である。別に交際しているわけではないが妙に気が合って、二人でよく飲みに行っていた。最近では休日を一日共にすることも時々あった。年は三十歳以上離れているが、普通に友達付き合いをしている。職場も住んでいる場所も全然違うが、二人には共通点があった。同じムーンライツのファンだということである。


 怪しい関係にない五十代の男と二十代の女性が二人きりで何時間も語るなど、世間一般的には考えにくいことだろう。親子ほどの年の差である。ところが、ムーンライツのファン界隈では特に珍しくない。ただし、二人の会話の九割はムーンライツにかかわることだ。


 これを誤解して、ムーンライツにたいして興味もないのに若い女性目当てで寄ってくる中年、初老男がたまにいるのだが、そういうのは一発で正体がばれ、ファンの仲間からすぐにはじき出されてしまう。


 逆のケースもある。直弘は亜沙美と会う前に別の若い女性ファンと親しくしていたのだが、やがて彼女はいろいろあってムーンライツのファンをやめてしまった。やめた後も彼女から遊びましょうと連絡が来て、数回会ったが、やがて何となく疎遠になっていった。彼女もかなり可愛い子であったが、直弘はそれが理由で親しくしていたわけではなかった。初めにお互いムーンライツのファンであることありきなのだ。逆にそうでないと、共通点のない相手と何を話してよいかわからなくなってしまう。


 直弘は亜沙美に尋ねた。ムーンライツの路上ライブ時代を知っているなんて、聞き捨てできなかった。


「なんで今まで隠していたの?」


「隠していたわけじゃないんですが、なんか言いそびれちゃって」


 亜沙美は十年前、ムーンライツのメンバーが路上ライブをしていた公園の近くに家族と住んでいた。当時中学二年生。土日の犬の散歩時に何度かそこに遭遇していたそうだ。路上ライブをしていたグループは他にもたくさんあり、特にムーンライツが目を引くことはなかったと言う。直弘は彼女とオフ会で知り合ってから一年以上になるが、その話を今夜初めて聞いた。


「その時だったら、亜沙美ちゃんもムーンライツのメンバーになれたんじゃない?」

「ええっ。無理ですよ」


 笑う彼女はアイドルと言ってもおかしくないほど可愛かった。ムーンライツのリーダー鉾田佐和子と並んでも全然遜色ない。直弘はなぜ自分がこんな子と二人っきりで飲めるのかと、あらためて不思議に思った。  


 翌日。昼食で社員食堂の列に並んでいると、後ろから声をかけられた。


「神部さん」


 振り向くと、沖永憲三がニコニコ顔で後ろにいた。憲三より四歳年上のベテラン社員である。業務経験が豊富でその仕事っぷりは「匠(たくみ)」と呼ばれていたが、温和な人柄は誰からも好かれていた。


「今月末で私は終わりです」

「えっ?」


「定年です。今月末が誕生日で六十になりますので。でも、会社にはいますよ。来月からは嘱託契約で同じ仕事をします」


「あっ、そうでしたか」


 二人とも連れがいなかったので、一緒に食事をすることになった。直弘が新入社員で入った頃は違う部だったが、もう中堅社員としてバリバリ働いていた。あの頃はまだ二十六だったことになるが、とてもそんな若造には見えなかった。


 そう言えば沖永さん老けたな、と直弘は思った。ふさふさだった髪はてっぺんが薄くなり、残った毛も総白髪だ。服装に気をつかわないところは相変わらずで、よれよれのポロシャツと穴が空きそうなチノパン。そして足元はサンダル。いくら客の前に出ない事務方とはいえ、なかなか強烈な格好だ。 


「まだ下の子が大学生なのに大変ですよ」


 うどんをすすりながら沖永がぼそりと言った。


「嘱託契約って、確か給料が下がると聞きましたが」


「下がるどころじゃない。今の給料の半額です」


 沖永が暗い顔をして行った。ヤバイ、と直弘はぞっとした。このまま行けば、自分もあと六年でその世界に仲間入りするのだ。


 沖永の場合、六十二歳から年金が支給されるからまだよい。ところが、直弘の世代は六十五歳だ。六十歳からの五年間、半額の給与で生きていかなくてはならない。


 最初に思ったのは今のようにムーンライツに使う金が出せるか。次に今の住みかに暮らしていけるかということだった。今、住んでいる所は賃貸アパートであり、賃料はそれなりの金額だった。自分の収入を半額にして、そこから捻出できるとは到底思えない。


 わかっていたことではあるが、あらためて考えると直弘はめまいがしてきた。同い年の連中は子供を育て上げ、住宅ローンを完済して悠々と老後を迎えるのだろうか。それなのに俺はどうだ。家庭に失敗し子供は持たず、持ち家すらない。このままベルトコンベアのように孤独と貧困の世界へ運ばれていくのか。たったあと六年で。


 俺の人生、失敗したのかもしれない。直弘は思った。


「ところで神部さん」


 沖永が顔を上げた。


「はい」


「これがお好きだと聞きましたが」


 沖永はにこにこしながらペンライトを振る仕草をした。ムーンライツのことである。直弘がファンであることは社内でも有名なのだ。以前は隠していたが、最近はあえてオープンにしている。その方がライブなどの時に休みやすいからだ。


「ムーンライツですか? はい、好きですけど」


「趣味があるというのはいいですな。人生に潤いが出ますよね」


 時々あるようなアイドル好きを嘲笑する様子はなく、本気でうらやましがっているようだった。


「はあ」


 少し照れる直弘。 


「リーダーの赤い子、鉾田佐和子でしたっけ? あの子は可愛いですね」

「ご存知なんですか?」


「はい。彼女だけは知っています」


 沖永はにこりと笑った。


 その日。仕事から帰宅した直弘は机の上に白紙とペンを用意した。今後の方針を考えてみようと思ったのだ。彼は軽くため息をつくと、書き出した。


 一.縮退


 徐々に出費や生活レベルを落とし、四年後の収入六割減生活に備える。


 ・住居


 同じアパートに十五年住んでいるため、家賃は当時の高い水準のままだった。最近は賃貸不況で家賃が値崩れしていることを直弘は知っている。事実、駅前の不動産屋に張り出されているチラシものを見ると、今住んでいるアパートより家賃が安い物件はいくらでもありそうだった。


 何よりこのアパート自体、直弘より後に入った住人は彼より安い賃料で住んでいることもわかっていた。次回更新時に大家と交渉してみるか。ただ、駄目なら別の家を探します、と開き直れる自信はない。大家は感じのいい老夫婦であり、アパートのメンテナンスはこまめにきちんとやってくれている。自分の生活を向上させるために、彼らの生活の糧を削るのもどうかと思う。直弘にはそこまでの厚かましさはなかった。


 ではいっそのこと引っ越すか。より遠く、狭く、家賃の安いアパートを求めて。月に数万円浮けば効果は大きい。


 直弘はまわりを見回した。そこそこ広くこぎれいで、快適な今の住居。ここを捨てるのか。そう考えただけで暗い気持ちになった。


 ・趣味


 現在、何も考えずに金をかけているムーンライツ関係の出費を見直すか。ライブへ行く回数を減らす。グッズはあまり買わない。オフ会の付き合いも当然少なくする。


 これも想像しただけで、直弘はうんざりしてきた。一番の楽しみを減らして、何のための人生だ。四年後はいざ知らず、今は金があるのになぜ我慢しなくてはならない?


 ・車


 実はこれがキーポイントだと直弘は思っていた。新車で買った車が来年で十四年目を迎える。さすがにいろいろガタも来ており、買い換えまたは廃車等を次の車検前に考える必要があった。


 正直、都心に近い今の家ではあまり車の必要性がない。電車で移動すれば十分だ。以前は両親が住む実家に高速を使って行くのが便利なので、重宝していた。ところが、二十三年前に母が亡くなり、認知症を患う父が施設に入った今、実家を訪ねることもまれになった。妹しか住んでいないので、何かの用事がない限り、そうそう訪ねたりはしない。父の施設へ行く時は電車の方が便利なのだ。


 車を手放せば、毎月の駐車場、自動車保険、車検、ガソリンの費用がなくなるにもかかわらず、なぜ保持にこだわっているのか?


 それは直弘がもう一度家庭を持つことをあきらめていないからだ。子供ができれば、なんだかんだで車は必須だろう。逆に言えば、それさえ考えなければ車は不要だ。


 車を持ち続けるか。それとも手放すか。なかなか重たい決断である。


 二.攻勢


 座して死を待つのではなく、むしろ現在よりよい環境を目指して動く。これには三パターンあった。


 ・出世


 部長への昇進を目指す。部長なら役職定年はあと二年先だ。ただ、いったん担当課長という実務者へまわった今、そのお声がけがある可能性は限りなくゼロに近い。しかも現在は直属上司、その上、そのまた上と、全員が直弘より年下だ。


 わざわざ俺を上げる理由は何もないよなあ、と彼は思った。


 ・転職


 五十を過ぎて雇ってくれる会社はまれだし、さらに現在の給与を出してくれるところは絶望的までにないだろう。これが本部長とか役員レベルなら、お友達や知り合いの人的ネットワーク駆使して外資系の会社を次々渡り歩く人は珍しくない。だが、たかが中間管理職の元課長では絶望的だ。


 直弘はもう一度大きなため息をつき、紙の最後に「三」と書いた。


 三.やり直し


 行き詰まった仕事を、作り損ねた幸せな家庭をもう一度やり直せるとしたら? つまり、過去に戻って人生をやり直すのである。


 直弘はベットへ行き、ごろりと横になった。もはやこの状況になったら、これもありだよなあと考えているうちに寝てしまった。


 翌朝。通勤電車に揺られる中、直弘は昨夜の続きを考えた。過去に戻ってやり直す。


 馬鹿げているようだが、これは実行可能なのではないかと、以前から直弘は思っていた。その方法は彼が高校時代に習得した自己催眠である。


 部活の帰りに友人とおでんを食べた夜。あのリアルな追体験は今でもありありと覚えている。危うく現在へ戻れなかったという恐怖と翌日の激しい疲労もあり、それから三十年以上は自己催眠を行っていなかったが、少し練習すれば今でもできるはずだ。


 そしてあの時感じたこと、実は過去を変えられるのではという思いは直弘の心の底にずっと横たわっていた。


 自己催眠は二人羽織の後ろ側で、いわばお客さんとして自分の体に居候している感覚があった。それを前にいる過去の自分をどかせ、今の自分が前に来たらどうだろう? そして体を完全に自分の物にして、過去と違う動きをしてみるのだ。


 付き合う恋人を変え、学校を変え、会社を変えれば当然ながら別の人生が開けてくる。今の自分と全く異なる世界へ行けるはずだ。


 直弘ははたと気がついた。過去へ行けたら、ムーンライツのデビュー時にも戻れる。路上ライブから応援できるではないか。


 それは震えるほど魅力的な考えだった。

 

「結婚前だよ。結婚前。今のカミさんを絶対に選ばない」

 同期の高畑克也が、わははと笑った。


「私は中学生か高校生かなあ。運動部に入って毎日運動していたら、今みたいに大人になってダイエットに悩まなくていいでしょう」


 同じ部の小沢洋子が目をキラキラさせて言った。彼女はつい最近失恋したばかり。ストレスでやけ食いしたのか、以前よりややぽっちゃりしてきた。


「ぼくも中学生ですね。高校はもうちょっとまともな進学校に入って、大学もそれなりのところに入りたかったですよ」


 若手の小沢晋太郎がしみじみと語る。同期より早く主任になって、それなりに出世コースだと思うのだが、まだ不満らしい。


 会社の飲み会で、直弘が人生をやり直せるとしたら? という話題を振ったところ、それなりに盛り上がった。みんなそれぞれ思うところがあるようだ。今の人生が完璧で、やり直しは必要ないと言う者は一人もいなかった。


「ううっ、タイムマシンが欲しい」


 高畑がうめいた。


 機械なんかなくても行けるんだぜ、行きたい過去へ。そう思ったが、もちろん直弘は口にしなかった。

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